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小西杏優さんからの課題

先週、2024年3月13日、小西杏優さん、大西凜さん、星乃愛夢さんの3人組アイドルグループ、LOVE CCiNOが解散した。リーダーの小西杏優さんは小学5年生から続けていた12年間におよぶアイドル活動を終えると告げた(Konishi Ayu Solo Concert 2024年2月17日)。彼女の存在と喪失は私の推し活の動機づけ、イニシエーターであった。その過程をつづりたいと思う。

小西さんからの問いかけ

小西さんと最初に会ったのは吉祥寺でのイベントだった。当時はアイドルへの興味はなく、趣味としていた絵画、芸術写真鑑賞の一環で、たまたまアイドルの写真活動を知り、井の頭公園でつりビットというアイドルのメンバーが撮った写真の展示会を行うとのことで、写真目当てに足を運んだ。会場はカフェで、給仕をメンバーが交代でする趣向で、私が見に行ったときは長谷川瑞さんと小西さんが担当だった。メンバーのこともほとんど知らなかったので、給仕はリーダーの長谷川さんにお願いした。
とくに段取りもないイベント、参加者一同、写真をひととおり見た後、テーブルで黙々と飲食をしており、写真展としては特に違和感はなかったが、おそらくアイドルイベントとしては奇異だったのだろう、小西さんが参加者に
「ねえ、楽しんでる?」
と、参加者ひとりひとり、心配そうに顔をのぞき込んで聞いて回りはじめた。
この問いかけに私は大変困惑した。

「楽しむ?写真展でなんで楽しむことが必要なんだ?」
「楽しむ」とはどういうことだろうか?享楽?享楽主義は往々にして批判の対象ではあるし。
そもそも私に「楽しむ」資格などあるのだろうか?
間違いこそ起こしていないないが、私の力及ばず、困窮している人々が社会にはあふれている。そんな日常の中、いい大人の私は悦に入るということは許されるのだろうか?
趣味は仕事でのいやなことを忘れるためとか言うが、そんなことをしても現実は変わりはしない。むしろ逆に芸術鑑賞は仕事の苦境を打破する手がかりを探すためだ。芸術家も創造の苦闘をした。その過程が新たな道とならないか、それを見つけるため。アイドルの写真展もそのために。「楽しむ」ためではない。

そんな思いが頭を交錯していた。でも、なぜか小西さんの問いを否定できなかった。「楽しむ」の中になにかあるような、「楽しむ」が探求する価値があるような、そんな気がしてならなかった。写真のことはそっちのけとなり、高校生のアイドルが発した一言が私にとっての課題となって頭に残った。

The first contact

とはいえ、老人の私はライブに赴こうとはしなかった。いい歳をして、娘より若い女子を目当てに出かけるようにみられるのははばかれたし、座席のないコンサートなど、経験がない。地上波テレビ放送にほとんど出演しないのでYouTubeでどんなステージをするのかのぞいた。すると意外な発見があった。
一つは楽曲がいい。正直、音楽的にはあまり期待していなかったが、どれもいわゆる「売れセン」を狙っていて、J-POPのアルバムのような「ハズレ曲」がない。決してバカにできないな、と思った。
もう一つはオタクの湧き方が面白い。Mixとかコールとか呼ばれる合いの手があり、聞く分には面白いものだと思った。体操のような「オタ芸」はやっていないようだったが、若い人はこうやって楽しんでいるのだな、と。同時に、そこに私のような老人は場違いだな、と確信した。

それから間もなく衝撃が走った。つりビットが春に解散するという発表されたのだ。今 まで見に行こうとも思わなかったのになぜか「もう見られない」という現実が突きつけられると「行っていたらよかった」という悔恨の念で頭がいっぱいになった。あとからこのライブアイドルの世界では「解散」「卒業」というものが常についてまわることだと知った。まさに、「推しは推せるうちに推せ」の世界であることを。

もはや躊躇することもなく、最後の姿を見ようと、ライブに足を運んだ。私にとってのアイドルの初コンサートはBLITZ赤坂で行われた「Sail away」、つりビットの最後のコンサートになった。チケットの取り方もままならず、2階席から遠巻きに姿を捉えるのがやっとだったが、大好きな「真夏の天体観測」を2度歌ってくれたのをとてもうれしかった。
「つりビットをしっかり推さなかった」という不全感。これが今の推し活の原動力になった。まさに、小西さんは私の推し活のオリジン、ビッグバンとなった。特典会も行かなかった私がたった一度だけ聞くことができた小西さんの声、「楽しんでる?」を見つける航海がはじまった。

つりビットラストライブ「Sail away」

Field of Dreamsとしての小西杏優さん

Field of Dreamsはカナダ人W.P.Kinsellaの小説 ”SHOELESS JOE” を原作にアメリカで1989 年に映画化され、オスカーに輝いた映画。トウモロコシ農家のケビン・コスナー扮する主人公が天からの啓示に従って畑を潰して野球場を作る。そこに過去にトラブルで野球の夢をあきらめた人々の霊が集まってきてプレイすることで現世で果たせなかった無念を回収する、というキリスト教的なとてもやさしい映画だ。テレビ放映でしか見なかったが、若いころとても夢中になり、読めもしない原作も買った。

私が引きずる無念、それはつりビットの推し活をしなかったこと。取り憑かれるように他のアイドルを見に行ってはいたが、やはりそれを埋めるものではなかった。つりビットのほかのメンバーはちょうど高校卒業だったので大学生として切り替えることができたかもしれないが、小西さんはもう1年高校生活があり、とたんに普通の高校生になるというのはどんな毎日なのか、案じていた。
それが、推しはじめて1週間のグループに新メンバーとして再び現れてくれたのは無上の喜びとなった。そしてやっと「認知」してもらえるくらいお話しすることができた。それからちょっと途切れたが、LOVE CCiNOとして三度現れてくれたときは本当に救われた思いだった。華々しい、いろいろな可愛らしさを詰め込んだ「キュートさが渋滞」するグループだった。いつも「最年少メンバー」だったのに、ここでは「最年長でリーダー」となった。
コロナの中、事務所のトラブルなど、なかなか思ったような活動にはならなかったようだが、私は”アーティスト小西杏優”の確立した姿を見ることができた。どんな唄でも、小西さんの唄声でなら聴きたい、アイドルらしい可愛らしさと磨きかかった歌唱力、そして揺るぎないダンス力。今までの推しの中では別格だったし、対バンで小西さんのステージを見る他のアイドルの眼差しからしても、やはり、小西さんはカリスマなんだな、と思った。
私ごときがこんなこと言うのもなんであるが、今回の解散は小西さんが発表のときから話していたように、発展的解消、悔いなくやれたんじゃないか、と思えた。小西さんがLOVE CCiNOをやってくれたおかげで今度はちゃんとお別れが言える、私の心のひっかかりを精算することができた。まさにField of Dreamだった。

課題について

小西さんに開いてもらったアイドルの世界を眺めてきたが、小西さんの言う「楽しむ」という課題が解けたか?というと、「まだ」とういうことになる。素適なステージを見たときの感動は、クラシックや他の音楽のときに受けるものと根本的には変わりなく、「楽しむ」という異なる次元を手にしたとは言えない。
むしろ、葛藤することが多くなった。最大の事項は「なぜこれほどのステージをする実力がある、地上アイドルなんかよりはるかに素晴らしいアイドルたちが芸能の世界で冷遇されているのか?どうしたら実力に見合った評価を社会から受けることができるか?」そんなことばかり悶々と考えるようになった。
そして、かねてからの課題、「女性の社会でのキャリア」という観点からアイドルというものを考えると、さらに眉間に皺が寄った。高校生くらいの年齢から、毎週末ほとんど休みもなく不特定多数を相手に興行し、さらに現代では24時間とも言えるくらい、SNSでの活動もこなさなくてはいけない。それでも「国民的アイドル」になるのは一握り。そうなったとしても、引退後にそのキャリアで豊かな人生を送れるか、あやしい。
指導者になれるような、声楽、ダンス、演出の系統的知識を習得しているわけでもなさそうである。普通の若者が自らの将来のためにスキルを学ぶ時期に、アイドルが時間と情熱をつぎ込んだものが将来回収できているのか、とても悩ましく思っている。この構造的問題をどう解決していけるのか、そちらに考えが向くことがほとんどで、果たして「楽しめているのか?」というと、あやしい。小西さんの啓示した境地への航海はまだまだ続きそうだ。

忘れられないこと、変わらないこと、「問う」ということ

LOVE CCiNOのラストライブは「変わらないもの」と銘打たれていた。小西さんはほんとうに変わらない、落ち着いた自然体のアイドルだった。つりビット時代は「今夜も大漁でSHOW」の動画でしか知ることができなかったが、
自由すぎるお姉さんメンバーたちをよそに淡々とMCする姿は最年少とは思えない立ち回りだった。ご自身でも「『人生三回目?』ってよく言われる」と話していたように、よく自己を確立した若者だと思う。
ただ、さすがに12年に及ぶ営みに終止符を打つのに葛藤は隠し切れなかったようだ。「忘れないで欲しい」という思いをInstagramで吐露した。彼女が「変わらないもの」に託したかった思いは、今まで積み重ねたアイドルの思い出を変わらずファンにも持っていて欲しいということなのかもしれない。

小西さんは今春、大学を卒業するようだが、大学はややもすると「職業予備校」のようなもので「知識」、いわゆる「答え」を学ぶところだと勘違いしている人のほうが多い。それはお金を集めるためにしかたがなくやっていることで、本当の大学の存在意義は「学問をすること」で、「学問」とはその字のとおり、「問い」を「学ぶ」ことだ。決して「答え」を学ぶのではない。優れた「問い」というものなにかを。「問う」力を養うことが学問であり、誰かの出した答を頭に詰め込むよりはるかに精神を豊かにする。
「世界を作り上げているものはなにか?」という問いに、「火、木、金、土」という時代もあれば「原子」という答を出した古代。そして様々な素粒子だとする現代まで、答はどんどん変化する。しかし、古いものが間違いだということではなく、そのときに得られたことを積み重ねた結果なのである。「問い」に真摯に向き合い、合理的批判に堪えたものであればみな正解なのである。一方、「問い」は「変わらないもの」、永遠である。答が出ても、また問い直すことで時代をつくる。常に問い続ける価値あるものはなにか、それが「学問」であり、それを追求する場が「大学」なのである。(西洋)学問の祖、ソクラテスが2000年以上前にした「問い」をいまだに追い続けている。優れた「問い」は命を失ったあとでも時代を超えて人々に語りかける。「楽しんでいる?」と小西さんが5年前に私に放った「問い」はソクラテスのそれと同様に不滅である。他のファンも同様に小西さんが今までの活動で見せてくれたものを忘れることはできないだろう。小西さんの記憶、アイドル性は不滅の「変わらぬもの」となった。

群青ラプソディー

LOVE CCiNOのラストライブは途中からではあったが、「Sail away」よりずっと間近で、しっかりと見ることができた。変わらぬ凛(大西さんと紛らわしいが)とした小西さんの笑顔があった。
アンコールで歌われたデビュー曲、「群青ラプソディー」。コールとMIXが飛び交っていたが、コロナで声が出せず、クラップしかできなかった2年半前のバトゥール東京を思うと万感の思いが走る。しかし、あおりはやはり変わらずクラップ。「問い」と「答え」の相同をみる。
私たちの小西さんとの思い出は不滅、墓場まで抱きしめて行く。しかし、小西さんたちはあらたに歩みをはじめる。人生にどんなあらたな「答え」を書き加えていくのか。「答え」は自らのために、「問い」はみんなのために。
まだまだ人生は長く、まさにこれから。振り返らずに進んで欲しい。

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