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ウイバナ考 番外編 3 どうせ、生きていくんだけどさ。

ウイバナさんの動きは早い。
「ウイバナ考」が遅々として進まないうちに番外編をとうとう3回出すことになった。アーティスト写真は2つも新しくなったというのに。
今回は昨日(2023年4月29日)、ウイバナの日、語り部の日と銘打たれたライブの特典会で質問しきれなかったことを書くためだ。そうしているうちに今日もライブは2本あり、ウイバナさんはどんどん進んでいく。

昨日のうちに書けなかったのは取り上げる楽曲が「どうせ、生きていくんだけどさ。」で、未配信で歌詞も一部しか正式には出ておらず、それをかき集めるのに一夜かかったからだ。

最初にこの楽曲を聞いたとき、イントロの段階でその振りにギョッとした。普通に立った状態から1拍ごと、足を右、左、と順に真横に出して3拍目でホップして4拍目で最初に戻る、というステップを繰り返す。
私は「これは葬列を表現した踊りではないか?」と感じたからである。ミュージカルの一コマだったか、ヨーロッパの民族舞踊だったか?
そして歌い出しが「人間を辞める最高の日に」と、葬祭に呼応する。気のせいだろうか。

初めてこの曲を、この振りをライブで見た夜、Googleにかみついて探しまくったが、見つからなかった。「振り」を検索するのはけっこう難しい。早くAIができてほしい。
調べがつかなかったのでそういう意図の振り付けなのか、昨日特典会で聞こうと思ったが、やはり時間切れ、その日のライブの感動をどうしても先に伝えたくなる。

質問はそれだけだったが、例によって、一人の音楽はドシロウトで、「初花」以降の新参ウイバナファンが「どうせ、生きていくんだけどさ。」を聞いて考えたことを述べたいと思う。

最初の
「人間を辞める最高の日に」
端的に言うと死ぬときを意味しているのだろうけれど、「人間を辞める」とはなかなか変わった表現。仏教的に輪廻のことを言っているとは思えない。ほかに認知症などで人格を失うようなことを考えているのか、それとも、アーレントの示した活動的生、自由な思考のようなものを放棄せざるを得ない状態を示しているのか。なにかそのような状態にジツカワさんが追い詰められたり、思いを馳せる状況があったのか、想像してしまう。

そして#聞きまつがい。「最期の日に」だと思っていたが、公式ツイッターを確認すると「最高の日」だったのだ。前々回のエントロピースで「宇宙法則」を「チュール」としか思っていたと書いたが、あれは「うちゅうルール」と歌っているとサキマルさんに教えてもらった。この場を借りて#聞きまつがいを訂正します。🙇🏻‍♂️
「人間を辞める日」に「最高」の日があるのか?アメリカ先住民族の”This is a good to die"の境地か、Nancy Woodの"Today is a very good day to die"の流用なのか。

これに続く、
「青春なんて言葉言ってないといいな」
というのはまた考えさせられる。
今まであれだけ「終わらない青春」を唄っていたのに、死ぬときは青春を語りたくないと。どういうことだろうか?死ぬときまでには完結していたいということなのか?

情けもないダラけもない
薄っぺらい奴に
なってないといいな'

「情けない」ではなくて「『情け』、『も』、ない」。「みじめ」ではなくて、「情けは人のためならず、巡り巡って己のため」の「情け」なのか?人に情けをかけてあげられるくらいの慈愛と余裕ができててほしいということか?
「ダラけもない」のはよさそうだが、そんなのは「薄っぺらい」とのこと。「ダラける」という人のありさまに理解できるようになっていたいということだろうか。

これらを合わせると、1Aメロでは死ぬまでに青春の葛藤を乗り越えて、人間理解を深めていたいということなのだろうか。

嘘ついてもAh 満たされないから
どう悔いても黒塗りして差し出した
「パパとママどうか許してください」
自慢のコドモなんてなれないよ

1Aメロの「人間を辞めるとき」から一転して1Bメロでは子供のころの回想のようである。
「満たされないからもう嘘はつけない」「親の期待を裏切る」
私は平凡な想像しかできないが、これらは「芸能」という仕事、夢に向かっていくことを意味しているのだろうか。私の世代からすれば芸能の仕事なんて雲の上の話であり、また、多分にアングラな世界との接点でもあった。「芸能の仕事をする」なんて言ったら親に大反対されるのは当たり前。実際、私の姉はそうだった。現在でも、元欅坂46の長濱ねるは親の反対で最終オーディションを受けられなかったのは有名な話だ。
アイドルへの志望を抑えずにはもういられない、ということなのか?と受け取った。
この述懐はジツカワさんのものなのか?歌詞を見る限りかなりインテリジェンスが高い。聞けば一流大学を出ているジツカワさん。芸術系の学部なのか定かではないが、そうでなければ現在のプロデューサーの仕事は両親によほどの余裕がなければ理解されないだろう。2Aメロの
「縦と横の糸を絡めて紡いできた
教科書 捨てちゃってもいいか」
で、「教科書」を一般的な世の中の教え、常識、堅実な生活、と解釈できるが、もしかしたらジツカワさんは学究を期待されていたのにアカデミズムを捨てて、今の仕事を選んだ、という具体的な言葉なのか、と詮索してしまう。
昨日、このフレーズでシグマさんが歌えなくなった。全体的なライブの感動で胸が込み上げたのか、それとも、もしかしたら両親の期待と異なる生活をしていることに、Annual dayも契機となってこの歌詞に重なる今までの葛藤が噴出したのか。

文学作品の解釈に作者の背景を調べるのは推奨されることだが、歌詞のエピソードを具体化したり特定したりするのは無粋なことなのかもしれない、そんなことがふと頭をよぎった。
「会えるアイドル」「話せる運営」というのがいいことなのかどうか、アイドルシーンを見る上での消えない課題だ。

そんな日も こころ追いつかなくて壊れて
どんな日でも どうせ生きてくんだけどさ

世のならい、あきらめのようでもあり、強さでもあり。昨年、今までになかった災難にいくつかみまわれたなか、この歌詞には勇気づけられた。
https://twitter.com/ofupickleslove/status/1613566253951770625?s=46&t=Pb73OgDqFgQ9ghCOG9F29g

2Aメロ9小節目

ハーモニーとメロディが交差すると
まあそんなんどうでもいいか

これは「縦と横の糸を絡めた」を「交差」で受けた、「教科書」に対して「音楽」を提示して、「どうでもいい」と嘆息する。それまでの葛藤の深さを物語っているようだ。

+記号 足し算斜に構えて
「明日」「希望」白塗りして×書いた

「白塗り」は1Bメロの「黒塗り」を受けた対句。
通常、かけ算にして増幅させることが多い表現だが、バツにもなるのは慧眼。

「毒林檎ボクに食べさせてください」
真っ赤な嘘だってきしめるよ

ここは難解。はっきり言ってよくわからなかった。もしかして意味はないのかも。
「毒林檎」と言えば白雪姫しか浮かばない。「白塗り」としかつながりを見いだせない。
もし、1番の解釈のとおりだとすると、本意を曲げて(嘘をついて)生きていくくらいなら自殺する、ということか?

そんな日もぼくら蹴落とし合って生きてて
どんな日でもどうせ生きてくんだけどさ

「理想」に向かって生きているはずなのに「蹴落としあって」という現実をここで見せつけて、それを問うている。さまざまな葛藤を唄いながらどんな生きる営みに賛辞を送っている。自らの希望に向かうことなく、青春に何かをかけることもなく、溺れないように、生きることに追い回され続けるだけの人生を送った私には、そんなやさしさが感じられた。

この曲名は定期公演のタイトルにもなっている。昨日もそうであったように、ほとんどのライブをこの曲で締めている。大サビ前の間奏でサキマルさんがファンにメッセージを伝える。とても心のこもったライブだということが伝わってくる。
葬列をイメージした厳かなはじまりから、最期は手を上げ壮大な生への賛辞を高らかに歌い上げて曲とライブは終わりを迎える。

ラストに持ってきてしかるべきすばらしい楽曲。「初花」という名曲の後にもこのような楽曲を次々と送り出している。ウイバナというグループは本当にすごい創造性があるし、それをステージ上で毎回新たな魅力を引き出すメンバーのパフォーマンスには圧倒される。
本当に贅沢なライブである。
「ウイバナの日」、素晴らしかった。

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