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成人式の思い出

今日は成人の日。かつて、私もその日の主役だった年がある。

金沢から名古屋へ帰省していた20歳の私は、朝7時半に、子ども時代から通っている馴染みの美容室の扉を開けた。すでに艶姿の姫がふたりいて、そのどちらとも仲良くはないが顔見知り。さすがは地元である。
当時の私は、前髪だけ長めで後ろは刈り上げという短髪スタイルだったが、危惧していた通り、やはり付け毛をつけられた。しかも、三つ編みを両サイドに結ったパンダみたいな変な形の。

「派手にしないとお着物の袖に負けちゃうのよ」

と美容師さんに言われ、ろくなメイク道具を持っていなかった私は化粧も一からやってもらった。そのくせ、見慣れない化粧顔に仕上がっていく自分を鏡で見て
「やっぱ、チーク嫌だなあ~。眉毛も濃くて変だなあ」
と内心憂鬱だった。

お着物は、母が成人の時に着たというお下がり。朱色が鮮やかな古典的振袖である。文字通りパンツ一丁になり、まずは1、2、3枚と白い下着のようなものを着せられ、順番に着物を着せられていった。帯は金色。襟は美容院から借りた金色と、伯母が貸してくれた緑色の豪華2本立て。意外と締めあげられても帯はきつくなく、重さも見た目ほどは感じない。

記念撮影をしてもらった時、いきなり袖の中に雑誌をバサリと入れられ、びっくりした。こうすると、ピンとするから袖模様がきれいに見えるのだそう。
「どんな高いドレスも2、3度目には飽きて見えちゃう。やっぱりこの、お着物のシルクのゴージャスさには勝てないよね」。
そう言って帰り際、美容師さんがお祝いに口紅をくれた。
家へ帰ると玄関前で母がにこにこ待っていた。

成人式の会場であるかつて通った小学校までは、友人Rの母が車で乗せてくれた。ちなみにRのお着物はピンクである。小学校の懐かしい体育館に、わざわざ中学校の先生たちまでお祝いに駆けつけてくれていた。毎年ニュースを賑わせるような騒ぎとはまったく無縁の、平和で短い式が終わり、そのまま皆でぞろぞろと中学校へも挨拶に行った(別の小学校出身で中学で合流するメンツもいた)。

そういえば、小学校の頃から芸能人を目指していて実際、今芸能のお仕事をしているらしいMちゃんと偶然顔を合わせた。Mちゃんの弟も、先日Jリーグ選手の卵になったらしく、「弟、おめでとう」と声をかけると「ありがとう」とにっこり返してくれた。
正午頃、一度解散。母の作ってくれたチャーハンを手早く食べて、隣町に住む祖母に着物姿を見せてから、ようやく脱いでほっとした。

夜は焼肉屋で同窓会があった。運よく、仲の良かったグループの席に座れたので思い出話と近況で盛り上がる。
「就職とかする予定あるの?」と尋ねると、
「うち家業が古美術商だから、卒業したら余所で4年くらい働いて、接客とか商売の勉強して、そんで家の仕事手伝うかな」と返ってきた。
相手は小学校から何度か同じクラスになりよく会話した男子だったけれど、お家の仕事など、まったく知らなかった。子どもの見ている世界は狭い。
自分は今、金沢の美大に通っていると言うと、少しびっくりされたが「あーそういえば、きれいな絵描いてたよね」と言われた。

きれいな絵。

こういう場合、「絵が上手だったよね」とかはよく言われるけれど、そういう表現はなんか新鮮な感じがして嬉しかった。
自分以外の子が、わりと愛知県内の大学に行っている子が多く、未だに交流があるようなので雰囲気に入っていけるか来るまでは心配だったけれど、会ったら、離れていた数年なんか存在しないみたいに、すごく自然に皆と会話ができた。



帰宅して、(当時実家が建て替え中だったので)仮住まい先の狭いアパートの一室で母の隣に布団を並べながら今日の出来事をぽつりぽつりと話した。
「やっぱり幼馴染はいいもんだよね。お母さんはあんまり、小・中学校のお友だちがいないから羨ましい」と、母は言って眠った。

確かに、大学で出来た友だちや高校時代とはぜんぜん違う何かが、小・中の友だちとの間には流れているような気がする。
一緒に育つというのは、そういうことなのかもしれない。


そんなことを思いながら、疲れていた私もすぐに眠ってしまった。





今週もお読みいただきありがとうございました。
振袖にまったく興味なく、もちろん前撮りとかもしていなかった私ですが、文中で出てきた隣町のばあちゃん家に行った際、じいちゃんのお仏壇の前で晴れ着姿の私がにっこり記念撮影した写真があって、金沢に戻ってそれを見たとき、ふと、生と死の奥深さを感じて制作のモチーフにしました。
その時の絵を、だいぶピンボケですが、最後におまけで載せますね。

皆さんは、ご自分の成人式の日のことを覚えていますか?

◆次回予告◆
記憶と記録が幸せの形になる。

それではまた、次の月曜に。


《生者の特権》2006年頃
©宇佐江みつこ
(モデルの顔は自分ではなく母の若い頃の写真を参考に。)



*私にとって大切な石川県。どうか、今後を神様が守ってくれますように。


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