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「場面」を書くこと

実在したある人についての物語を書いています。

実在していらした方なので、彼が実際にした言動や作ったもの、書いたものが残っている。そして、それを実際に見聞きした人が書き残したものもある。史実の証拠に基づいてその人について丹念に調査し、細にわたって書かれた本が何冊も出ている。

そして、今私がやろうとしているのは、その人が本当に体験したものとはおそらく違うであろう物語をつくりだして読んでいただこう、という作業です。

まったく不遜なこと!と思います。ご本人がもし知ったら(彼について研究されている多くの方々も)私はこんなことしていない!言っていない!とお怒りになられる…かもしれない(いや、あの方はそんなことは笑い飛ばしてくださると思うけども)。

歴史上の数々の偉人たちにたいして、多くの作家たちが行ってきたのは「脚色」という名で自分の「物語」を作り出すことだったと思います。その人の特徴を単にキャラクターとして使っただけ、ということあるだろうし、時代を描くために必要だったということもあるでしょう。ゲームにでてくる戦国武将の21世紀風イケメンぶりもその一例。歴史上のご本人はいわば材料の一つに過ぎないのです。

実際と違う、なんていうのは当たり前!です。 作り事だもん。

それは分かった上で、でも!
と言いたい。へそ曲がり炸裂!!

その人が何を大切に思って、どういうふうに生きようとして、でもうまくいかなかったとか、やっぱりこれが正しかったとか…それはちゃんと伝えられるようにしたいと思う。その理解そのものが私の(作者の)独自のものになってしまうのは、もう避けようがないないんだけど。可能な限り、本人に近づいて、周りのにいた人のことも理解して、どんな場所でどんな口調でどんなことを話したのか…自分の空想にすぎないけれど、「場面」がつくれたらいいなあ。

こうした、ああした、こうなった、っていうストーリーはみんな知ってるけど「場面」は想像しないと出てこないので。

この物語はフィクションです、って言い訳のようにテロップがくっつくことがあるけど。世の中のものなんてみーんな例外なくフィクションだと思ってる。誰かの頭と手をつかって再生されているっていうこと自体がもう、本物じゃないもの。

その人の「本質」っていうと言い過ぎかなあ、でも「大事にしていたこと」を理解して伝えられるようにしたいと願っている。

で、それがなかなか大変で、すすまない TT

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