母親が死んだら楽しみだなぁぁぁぁ!!

見慣れた寺の中で
和装は私ひとりだった
ばあさんの遺産で唯一受け取ったのが着物だった
他のものは要らなかった
かたくなに断られたけれど
なんとか頼むと、1万円だけ葬式代に足させてもらった

集まってきた連中に目をやれば
腰の曲がった母の兄弟たちは全員黒のスーツやスカートで
寺の勝手がわからないためにただ居心地悪そうにしていた
「お手洗いはそこの戸を出て左手です」と伝えた

結局祖母の死に際に相続でもめたせいか
クリスチャンなのにお寺さんなの?
と一度聞いただけで,それ以上は何も言わなかった
母は死に際に「教会で、共同墓地に入れて」と言ったらしい
入院してから一度も見に行っていなかったので
死体を見たときはここまで老け汚くなっていたのかと
自分の将来がこわくなった

高校生くらいになった姪は
親譲りの恵まれた細い脚を進学校のスカートから伸ばして本革のローファーを履いていた
どうせ金のない生活なんて知らないんだろう
不細工の苦しみなんて知らないんだろう
どこかで折れてしまえばいいのになと思う

着物の中で太い脚が乾燥でかゆい私は苛々し
深呼吸して嗅ぎ慣れた寺のにおいをいっぱいに感じながら
納骨堂まで細い廊下を歩いた

外は風がなく静かに雪が降っていて
こんなきれいな冬の日に葬式をするなんて身の程知らずが
そう思ったけれど
葬式をやるときにしか見られない光景があるもので
死んで役に立ったことを褒めてもいいかと思うことにした
くそばばあが。本当に嫌いである。

仏壇には父方のと、父親と、兄が入っている
ショートホープを一本おいて
ここに入れてやるものか
かといって
望んだカトリックの共同墓地にいれてやるものか
ただの骨に母親のなにが残っているのか
バカらしい、骨に償える罰なんてないのに
どう辱めるか、どう雑に扱うか、そればかり考えていた
「あんたのとこにはいれないからね」
そう言って手を合わせた
「着物の着付けが下手なのは許してください」
とも言った。
かばんから緑茶を出して飲んだ
香りのいい、甘みの強い
ばあさんはお茶にうるさいひとで
ものを知らない母から送られたお茶に正直に文句をつけたことがある。
長くなるからな、と
備えたショートホープを持って仏壇の扉を片側だけしめ納骨堂から外へ出た

立派なものだ、葬儀の文字を見て思う
小さい頃
母はわたしに祖母を「非常識なひと」と言い続け
幼い私はそれを信じて避けていた
父のことも散々悪く聞かされていたものの
成長すれば本当にバカなのは誰かわかるものである。
ばあさん、父、兄、顔も知らないひとたち
全員に手を合わせ、これから故人をボロクソにすることを謝った
寺に迷惑はかけられない
私にできるのは火葬後の骨をいかに大々的にやるか、
まずは車のタイヤで踏みつぶし
自らの足で粉々にし
犬に食わせ、
勿論
申し訳ないのでくちなおしにちょっといいエサを与え
残りの骨カスは蟻の巣に流し込み
まだ残るならゲロと混ぜるか
どうしたらいいのかなぁ
車のそばでショートホープを吸いながら考える
横をベンツからおりてきた従妹が小走りで通り
そろそろ戻るかぁと携帯灰皿を相変わらずの錆びた軽自動車に投げ入れる
父が死んでから、もう誰も錆止めを塗ってくれない
指先まで冷えて
「寒いなぁ」と声が出る

ホテルのフロントに立っていた時くらい
私はおだやかに微笑んで
親譲りのふくわらいみたいにゆがんだ顔に気付かないふりをして
楽しみだった

小さい頃母親から 何をやらせても遅い、要領が悪い と怒鳴られ打たれ冷たくされ 外見の欠陥を指摘され笑われ続け 大学生の時に外見の欠陥を泣いて謝られ 葬式はぶち壊す予定でしたが 骨をいかに雑に酷い目に遭わせるか考えはじめたら滅茶苦茶楽しい。その記録。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?