春よ、来い 〜北京オリンピック〜

久しぶりに、はてなブログに掲載した記事からフィギュアスケート関連の記事を再掲してみようと思います。実ははてなブログの方でほぼフィギュアスケートについて愛を垂れ流すブログをやっております。

オリンピックの影響かやはり羽生結弦選手記事へのアクセスが多いため、今回は北京オリンピックのエキシビションの感想を綴った文章を抜粋してみます。本当は全カテゴリー・全選手の感想を書いているので大長文なのですけど、ある意味私らしい「ポエム」が書き上がったのはやはり彼の演技くらいだったので…。
再掲にあたり、ほんの少しだけ加筆修正しました。

過去にも『春よ、来い』の感想だけ抜粋してnoteに再掲した記事などもありますので、よろしかったら過去記事から見つけてみてくださいね。

ちなみに、元の記事はこちらです→「北京オリンピック雑感32


21︰羽生結弦

プログラムは『春よ、来い』。
練習中に過去のプログラムを次々と演じていたのでのまさかその中から?と私含めファンがざわざわしていたけれど、やはりこれでしたね。
日本代表の彼が、もうすぐ春を迎える世界で、コロナに沈んだ世の中に自分の演技を届けるなら、選ぶのはこれだろうと思っていました。立春から始まった北京オリンピックにも相応しいプログラムではないでしょうか。

リンクサイドに見える「2022」。2022の「0」が、選手の入退場口としてデザインされている。その「0」を潜って現れる羽生結弦の姿。ゼロから生まれてくる、春の命。

ピアノの音だけで紡がれる『春よ、来い』。水墨画のような薄いグレーの照明に照らされた氷に、黒のパンツと白のたっぷりとフリルのついた衣装、陶器のような白い肌と漆黒の髪の青年。
白と黒だけの世界に、ぼんやりと浮かぶ薄紅。衣装の一部に滲んだ桜の色。太陽が姿を隠し、ただ雪と氷に覆われた冬の大地にもたらされた、一陣の春の便り。

花びらが風に舞い、枝からこぼれるように、ピアノの音色がリンクにこぼれる。リンクでくるりと回る羽生君から、音と花びらがこぼれてくるような気がする。ジャンプでもスピンでもなく、ただくるくると回るその姿は、青空に薄紅の吹雪を降らせる桜そのもののようだった。

極寒の冬から春を告げに来た天の使者、希望を連れてくる花の女神、少年の姿をした春風。このプログラムの羽生結弦に感じる印象はいつも違う。それがとても不思議なプログラムでもあった。もちろん、このオリンピックでもそれは違った。

そこにいたのは羽生結弦だった。四年間を費やした目的が、守り通してきた王座が彼の手からこぼれたオリンピック。彼の姿は切なかった。その腕や、足や、背中や、睫毛は、切なさを纏っていた。それは彼も気づかないうちに滲んだ、音もなく降る雪のような切なさだった。

桜は美しいけれど、その薄紅の命は儚い。薄紅がほころべば人々は浮かれ騒ぐけれど、それは長くは続かない。
彼の四年間は散ってしまった。それを彼は「報われない努力」と呼んだのかもしれない。黄金の桜を、誰も見たことのない幻の桜を咲かせるために、そのためだけに四年間を費やしたけれど、桜は咲かなかった。開き切る前に、散ってしまった。ほんの2日だけ、この2日だけでもいい、咲けばいいと四年間を捧げてきた桜。

けど、春はまた巡る。

北京の雪と氷に開くことのなかった桜は、次の春にはまたどこかの大地で、いや、夏でも秋でもかまわない、どこかで咲くのかもしれない。桜の木はまだそこにある。たとえ傷ついても、なお瑞々しく美しい、若い桜。羽生結弦という名前の、世界にたった一本しかない桜。世界の果ての果てまで、薄紅の微笑みを届けることのできる桜。

ニュース番組はどうしてもダイジェストになってしまい、流されるのは主にジャンプの部分のみ。しかし、オリンピックという最も注目されるスポーツの大会の中継で、初めてノーカットで彼のエキシビションの演技を見た人も今回多かったのではないだろうか。エキシビションは放送されないケースも多いので、余計に。
だから伝わったはずだ。技の一つ一つも素晴らしいけれど、音と彼とをぴったりと重ね合わせた、最初から最後まで美しい五線譜を追うような、その演技全体を見て初めて、彼の真価はわかるのだと。

2017年の世界選手権の感想で、初めてこう書いたと思う。彼の演技を神に捧げる舞のように感じると。極限にまで高められた技術は、神を呼び出すのだと。
コロナに平穏を奪われた世界。収束を願い、人は神に祈りの舞を捧げることに決めた。人間の代表として選ばれたのは、ひとりの東方の青年。その研ぎ澄まされ、優しく、そして切なく儚い舞は、四年に一度しか開かれない舞台で、神に届けられる。世界の果てからも、人々はその舞を目にすることができる。舞は神だけでなく、人の心にも届く。
青年も、我々も誰も本当のことなど知るよしもないけれど、いつか来るこの日のために、神はこの青年を現世に送り込んでいたのだろうか。音楽に国境はないと言われるけれど、最高の水準に達した踊りにも、それはないのかもしれない。
羽生結弦がフィギュアスケートを選んだことは、偶然ではないのかもしれない、そんな気がした。

四年に一度しかない舞台で、ほんの数分だけ咲いた桜。けど、桜はもう永遠に散らないだろう。人類の希望として、我々の心に咲き続ける限り。
そして、羽生結弦という名の桜もまた、必ずその薄紅でまた青空を埋め尽くすに違いない。その花のような微笑みを、くちびるに浮かべて。


抜粋は以上です。時はまさに桜の色。皆様の元にも春がやってきますよう、願っています。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週3、4回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。


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