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「わたしの休み」が復活してきた

子どもが生まれてからしばらくは、休みなんてなかった。
生産性のなさで言えば毎日休みみたいなもんだったが
労働環境という点でおけば母親という仕事はほとほとブラックだ。

子どもたちが幼稚園に入って「自分の時間」ができた。
母親という社会とのつながりのなさ、何も生み出していないという気持ちにとらわれていた私は、その「自分の時間」を「仕事の時間」にした。

フリーランスとして仕事をする時間は「お母さんお休みの時間」だから
正直あまり仕事をしてるという感じじゃない。充実していて楽しかった。
いわゆる休日である土曜日日曜日は家族と過ごす日としていたが
仕事をすればするほど「母親業」が義務的になって
むしろその休日が仕事の繁忙期みたいに感じる変な逆転を起こしていた。
月曜日に子どもを見送ったら不思議な解放感があった。

息子が年長になったくらいから、子どもが子ども同士で遊ぶようになって
土日は夫と出かけたり、ふと暇な時間ができたりすることが増えた。
末の息子が土曜も療育に通い始めると、いよいよ時間が空いた。
仕事はもともと平日で済ませる想定なので、土日はすることがない。
気づけば育児と仕事をとっぱらった私はあまりに何もなく、
「これじゃいけないんじゃないか」と気づいたのが去年の暮れくらい。
とはいえ、やることが見つからず、前倒しで仕事した。むなしかった。

子どもが求めるから子どもにつきあってあげるのはしょうがない
みたいに思っていたけど、
フタを空けてみれば子どもが母親を求めるのは案外短いようだった。
これからは全く逆転して私が子供を求めるようになるのだろうか。
でもそれは多分めちゃくちゃ子どもからしたら鬱陶しいことだ。

もう多分、求める求められるのフェーズは終わったのだと思う。
私たちはそれぞれ楽しく生きて、たまにみんなで楽しめばいいのだと思う。
つまり、私は私で楽しい休日を作らなければならない。

やりたいことを考えよう。
って思ったら「勉強したいな」と思った。
ライター初めて丸5年経つがあまりにアウトプットな日々だった。
インプットに転じたい。きちんとスキルを身に着けたい。
でもなんというか「ライティング」に関してではない。
仕事につながることであってほしいとは思うけど、仕事ど真ん中だったら
勉強じゃなくて仕事になってしまう。

ふと、近所の外国語大学から届いたチラシが目に入った。
英語中級講座の「英語で短いエッセイを書きましょう」という文言に
心がわぁっとときめいた。
大好きな「書くこと」、昔習っててさびついちゃった「英語」。
あまりに気分が上がってしまって、冷静じゃない感じがしたので
一日おいたけどやっぱりやりたい気持ちは消えなかった。

4月から毎週土曜日の朝に大学に行って英語を勉強する。
季節も良いし、駐車場もないみたいだから自転車で行こう。
午前中には終わるからそのあと子どもとも遊べる。
子どもが知らない私の世界が生まれたらきっと子どもとの話も広がると思う。

私の母は「休み上手」な人だった。
私が生まれても自分の好きな見失わず、毎日楽しそうだった。
だから私は、あんなふうに「大人」になりたいって思えた。

私はいっぺん母親業に全振りしちゃったけど
今は自分が楽しい仕事をやってる。
これで趣味も始めたら大層「楽しそうな大人」になれるだろう。
子どもたちにとって「大人いいなぁ」「大人なりたいなぁ」と言われる大人になるために、やりたいことはがんがんやる。

お久しぶりだね「わたしのお休み」、「わたしの好きなことをやる時間」。
これからどうぞよろしくね。

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