できないことはナメているだけ
年末年始で「うまくてもダメな写真とヘタだけどいい写真」を読んだ。
なんというか久々に自分のいやなところを突きつけられた本だった。
私、写真のことなめてた。つくづく。
良い写真はなんかセンスとか才能とかある人が撮れるものなので目指すのとかそもそも無理。
私が撮れるのはせいぜいそこそこの写真で、そこそこの写真は高いカメラと小手先の知識があれば撮れるのだと思っていた。
しかし、この本に書かれていたのは真逆のこと。
機材は何でも良い。
相手のことを考える。リスペクトする。
初心者は知識の前に数こなせ。
伝わるものを目指せ。伝わる方法を考えろ。
早い話が才能なんてあってもなくても
やらなきゃ伸びない、そういうことだ。
なんてことだ。これ全部私が初心者ライターさんにライティングを教えてるときに言ってたことじゃないか。
私は「クリエイティブ領域」とそうじゃない領域を分けてて
自分は後者にいると思っていた。
前者は才能の領域で努力じゃどうにもならないのだと思ってた。
そういう言い訳で「逃げて」いた。
でもほんとはそもそも両者の間に隔たりなんてなくて
ただ「やれる人」が伸びるという単純な図式だったのかもしれない。
もちろん頂点に行こうとすればある程度才能は必要なのだろうが
「できない」を「できる」に持っていくくらいの範囲なら
とにかく「やる」で十分だったのだ。
「才能がない」というのは便利な逃げ言葉だった。
それに気づかされた一冊だった。
やる必要があることをできないのは単なる甘えだ。
下手でも何でもとにかくやる。考える。逃げない。
そしたら上手になれなくたって多少今よりマシになる。
今年は写真、撮るぞ。
下手なら練習。泥臭く地道に。
ナメてるうちは始まらない。
***
それはそうと、この本で気づいた。
文字を書くことと写真を撮ることは結構似てるんじゃないかということ。
いや、もちろん必要な技術や知識は違うんだけど、考え方の方向性の話。
どちらも自分が見たものを他の人に「伝える」のが目的という点
文章も写真も一緒じゃないかなぁと思った。
だから、実は文章と写真は互換性があって
文章を写真で補ったり、写真を文章で補ったりすることができる。
文中、写真に注釈をつけて伝えるという旨出てくるが
私も実際にうまいフリー画像が見つからないときなんかは
かなり注釈でカバーしているし、私の文章ならカバーできていると思う。
そう考えると、写真と文章は地続きなんだよね。
あと仕事の住み分けも一緒だ。
本の中で「写真家とフォトグラファー」という章があるのだが
ここはそのまま「作家とライター」にしても通じると思った。
それくらい、位置づけが同じで、お互いへの意識も同じ。おもしろい。
さっきクリエイティブ領域の話をしたけど
クリエイティブ領域かどうか分かれるのは職種で技術ではないのだと思う。
初歩的な技術と知識の身に着け方はどちらも同じ。
そこからどこに向かいたいかで技術と知識の使い方が変わってくる。
私はクリエイティブ領域にめちゃくちゃ苦手意識があるので
作家じゃなくライターの道を選んだ。
だから写真においても写真家じゃなく、
フォトグラファーの方向性なら少しだけ前に進める気がしている。
ともあれ苦手は避けないで、とりあえず片足突っ込んでみると
見えるものが変わってくるなぁと思った一冊でした。
ライターさんも読んでみるといいかもよー。
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