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3.第二次ジャニオタ期①書いてみたら懐かしワードのオンパレードだった(中学生〜

ジャニーズ愛が復活したきっかけは、ドラマ「っポイ!」。
そう、あれだけ大好きだったタッキーがまだまだ大活躍していたにも関わらず
私をジャニオタへと引きずり戻したのは、山下智久氏だった。
いや、あの時代のやまぴー、えぐかわいくなかったですか??????????
そして平もかわいいし万ちゃんもこれまためちゃくちゃ可愛いしかっこよくて原作も読んでたけどいつもどっちにするか迷っていた(迷っていた)。
万里役の相葉ちゃんもめちゃくちゃめちゃくちゃ最高だった。

そこから始まった私の第二次ジャニオタ期、
中学生にもなっていたからやはり小学生の頃よりも激しさを増していった。

その頃は所謂『ジャニーズJr.黄金期』真っ只中。
タッキー、翼くんだけじゃなくて
嵐のメンバー、やまぴー、斗真くん
そしてすばるくん、ヒナちゃん、横山くん。
(東のタッキー、西のすばる…懐かしすぎる)

木曜の怪談の頃からたぶん黄金期はじまってたんだろうけど
8時だJのあの頃は、特に凄まじかった記憶がある。
自分が夢中だったからかもしれないけど。

この記事を書くにあたって、8時だJはどれくらいの期間放送されてたんだろうと思って調べたら、
まさかのたった1年だった。
そんなんいくらなんでも幻すぎる。
というか、自分の中では10年くらいはやってたような記憶で。いや冷静に考えたらそんなわけないんだけど。

それに、あの頃の私は、担当(今で言う推し)が3ヶ月単位で変わっていたという変わり身の速さ。
でも毎回毎回全力で大好きで、考えてみると中学生の3ヶ月って、今で言う3年くらいの重さはあった気がする。
だから、一年の放送も10年くらいに感じたのかもしれない。

今はもう、昨日が正月だったくらいの感覚なのに。

担当の移り変わりの順番は全然はっきりと覚えてないんだけど
やまぴー、斗真くん、まっすー、ヒナちゃん(村上信五くん)、相葉ちゃん。
あの頃、お気に入りの写真をカラーコピーして名刺を大量に作りまくって交換するのがめちゃくちゃ流行ってた。
LOVE◯◯くん、LIKE◯◯くん
◯◯くんONLY
とか書いてませんでした??
掲示板で交換相手探したり、もう個人情報もダダ漏れだし、時代を感じるね。

そして「メッセ」、覚えてる方いますか?
メッセとは、担当の誕生日とか入所日とか記念日に、ファンからのメッセージを集めて事務所に送る事。
これも掲示板とかで募集して、住所書いて返信してもらって集めてた。
◯◯くんの誕生日メッセあつめてます⭐︎
プッシュお願いします!
とか書いてたなぁ…
プッシュというのは、メッセを集めてるオタクを、担当に向けてアピールしてあげること。
例えばメッセージの内容に、
「うさ川さんは◯◯くんのことを本当に大好きでとても素敵な方です!
うさ川さんのことをよろしくお願いします!」とか書いてもらう。
お願いしますって何やねん。だれやねん。って話でしかない。
オタクはいつだってトンチキで最高だ。
はぁ、本当に懐かしい。

そして、デビュー組の先輩たちのコンサートにも参戦をしていた。
(といってもその頃の中学生の子ができる遠征なんてお小遣いを貯めていける程度)
その頃はまだ、Jr.だけのコンサートはほぼないに等しくて
(単独コン始まったばかりの頃で1年に1回とかそれくらいだった)
お目当てのJr.を生で拝むためには先輩のコンサートに行くしか方法がなかった。
でも、Jr.の出演情報はもちろん絶対にわからないようになっていたから
自分の担当がその日出るかどうかは賭けでしかない。
そうやって先輩のコンサートに片っ端から参加してたけど、
(その頃のデビュー組の九州公演分は全て参戦した)結局それで自分の担当を生で拝めた事はなかったな…

コンサートといえば、「イッピ袋」というのも流行っていた。
今でいう痛バに当たるもので、
紙袋(無印の多分1番大きい紙袋が多かった)の片面に
担当の顔の切り抜き(カラーコピー)をびっしり貼って好きをアピールするもの。
調べたら、すこし前?くらいからイッピ袋はNGになったらしい…

この頃はもちろんSNSなどなかったので
オタクの友達を作るには掲示板に書き込みをしてメル友というものを作っていた。
ここで私は亀梨担のMちゃんと出会い
「相方」と名乗って一緒に行動することで
どんどんオタク度合いが加速していくのだった。
友達の力は強い。

②へ続きます。

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