加害者文化の根強さと、被害者が声を上げることについて

DV・虐待加害者は自らの加害性、暴力性を否認し、加害、暴力と言われることを嫌い反射的に激怒する。加害性、暴力性を相手に投影し自分こそ被害者であると信じ込み強硬に主張する。あるいは「可哀そうな被害者」を演じる(演じている自覚はない)。DV・虐待の知識がないと騙される。

DV・虐待加害者の弁明や被害主張は一見真に迫るし辻褄が合うように聞こえる。しかし、都合の悪い事実が落ちていたり、都合のいい解釈で述べられたりしていることに気づくのは実は容易い。それだけ定型化しているとすら言える。問われる程、饒舌になる程、加害性が露わになるのだが、当人は気づかない。

共同親権推進派が意に沿わない意見を述べる人に執拗に絡んでいく様もDV加害者のモラハラと同型なんだよね。自分の「正しさ」、そのストーリーをひたすらに押し付け、説き続ける。些末なことでもちょっとでも気に食わないと針小棒大に問い詰める。ほむらとか暇空・暇アノンもそうでしょ。

議員とかマスコミとかの中にもその主張を鵜呑みにして垂れ流す者がいて、その当人もDV加害者であるか少なくとも親和的である様子を見ることは容易い。実際加害者的な言動を見せることが多い。

結局ね、被害当事者、弁護士、支援者が恐怖と不安に抗ってでも声を上げるしかない今の状況というのは、そして声を上げたことに対するバッシングや冷笑の有り様は、この社会における加害者文化の根強さを示しているんだよね。そのことの認識がようやく国会に届いてきたし、動かしつつある。

性暴力やセクハラ、性(的)表現の問題でもそうだけど、加害者や加害者文化から利益を得てきた者が一番嫌うのが、被害者が声を上げること、それが聞かれること、それが既成の秩序・規範を揺るがすこと。だから被害者を黙らせようとする、信用を貶めて聞かれないようにしようとする。

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