アウトリーチのリアルと暇空問題で損なわれたもの

暇空問題のために生命や心身の健康がどれだけ損なわれたのか、回復の機会がどれだけ失われたのか、それを知ることはできないが、スタッフたちの体感としてその損失、逸失はとても大きい。総和としてだけでなく、会えなかったあるいは会えなくなった一人ひとりのことを想像したい。胸が締め付けられる。

女性支援団体への妨害や嫌がらせは様々な形で続いている。オンラインでも現実空間でも。そのために支援につながれなかった人、離れてしまった人もいる。あの時会えていたら、あの時言葉を交わせていたらの「もし」の重さ…。暇空らはそういうことを見ない、想像できない。

妨害者がいたために、YouTuberが撮影していたために、アウトリーチで女の子に声をかけられなかった、利用者が誹謗中傷や妨害のことを知って不安で居場所に来られなくなった……そんな話をいくつも聞いてきた。それでも、スタッフは悔んだり自分を責めたりしてしまう。「あの子はどうなったのかな…」。


若年女性支援で「あの時出会えていたら」「あの時話せていたら」は生命・健康に直結し得るあまりに重い「たられば」。もちろん、出会えていたかもしれない、話せていたかもしれない「誰」はほとんどわからないし、違う結果につながり得たかもわからないけど、可能性が絶たれたことの意味は重い。

アウトリーチへの直接的妨害、電話やメールの嫌がらせといった直接的な障害だけでなく、妨害対策・安全確保策として態勢を見直したり、YouTuberや見物人がうろついていて声をかけられなかったりといったことで出会えなかった人、話せなかった人は確実に、多くいる。

あるいは、不安・恐怖で居場所に来られなくなった利用者もいるし、ネット上のデマや噂に惑わされて足が遠のいた利用者もいる。相談するのをためらい、つながれなかった人も少なくないはずだ。直接的な因果関係は分からないが、足が遠のいたまま亡くなったり所在不明になったりした利用者は実際にいる。

支援者側に非がないことで足を運べなかった、声をかけられなかった、利用者が来なくなった、連絡が途絶えたという場合でも、支援者は「何かできたのではないか」と気に病み責任を感じてしまう。簡単には割り切れない思いをいろいろと聞いてきた。

アウトリーチや相談の態勢見直しだけでなく、暇空問題で事業運営管理上の実務負担は大きく増え、アウトリーチや相談支援の人繰りも大変になっている。女性支援団体と利用者、潜在的利用者への被害・負担・影響は目に見える妨害行為だけじゃ全くない。


暇空は誇大妄想と迫害妄想で身の危険だなんだ喚くけど、女性支援団体にとっての不安と恐怖は日々現実的なもの。妨害、脅迫、嫌がらせの他、入り込んだり情報を取ったりしようとする者もいるから、常に危険を察知できるよう注意を払っていないとならない。これらが暇空以後、大きく増え深刻な状況。

それは他の団体や個人も同じ。暇空以前からの妨害、嫌がらせも暇空以後のものも続いている。捜査等の妨げになるし模倣犯も招き得るから具体的には表に出さないだけ。もはや妨害や嫌がらせを前提にした活動・業務態勢を取らざるを得なくなっている。前にも書いたが、アウトリーチは警備要員を増やした。

まずはこの「リアル」をじっくり読んで欲しい。そして、希咲未来さんは人との出会いによって自分の体験を意味づけ直すことができ、今こうして語ることができている。そのような「出会い」になるかもしれないアウトリーチを今彼女は頑張っている。

アウトリーチも暇空問題のせいで様々な困難に直面している。アウトリーチ活動中に「Colaboか?」などと絡まれることが相次いだし、開示文書を元に現場を突き止め、場所がわかる形でスタッフを後ろから撮りXにアップした者もいる。YouTuberも歌舞伎町周辺に集まってきた。

各団体は警備要員を増やしてアウトリーチをしているし、元々危険を伴うのにさらに緊張感が増している。

YouTuberの前では相手やスタッフが晒される危険があるため声掛けができない。そのために声掛けができないまま男に連れて行かれてしまったということも珍しくない。

アウトリーチで即支援につながるかと言えば、そういうケースは多くなく、話ができる関係ができて見守るような形もあれば、その1度きりだったり、1日2日保護してもその後姿を消したり。人を信頼することができない、知らないことが多いからスムースにはいかない。

でも、困ったことがあると連絡してきたり、アウトリーチ活動中に見かけて声をかけてきたり、そういう形で緩くつながっているようなことは少なくない。でも、本人が困りごとをわかっていなかったり、利用するされるの感覚が染みついていて頼ることを知らなかったり、一足跳びにはいかない。

でも、アウトリーチで出会って、緩くともつながっていたり、何かあったら連絡しようかなと思えていたりすることがまずは大事。あるいは、再会はなくとも、その時に交わした会話が心のどこかに残っているということもある。利害打算ではなく心配して声を掛けられたという経験をしていないから。

一度話をした女の子がしばらく経ってからアウトリーチ中に声を掛けてきたという話を最近聞いた。スタッフはその子が顔を覚えていたことにびっくりしたそうだが、心配して自分のために話をしてくれる経験がなかったため、強く印象に残っていたようだった。そこで連絡先を交換しつながれたそうだ。

アウトリーチでつながった女の子との話はいろいろとあって、笑うしかないような話、呆れるような話、その場面だけ切り出せば「クソガキ」と言いたくなるような話…。人をどう信頼すればいいかわからない、自分が何に困っているかわからない、距離感をどうすればいいかわからない…でもつながっている。

うざそうにしていたり、キレてきたり、そんなだけど、離れない、見かけると近づいてくる、そんなケースもよくある。それはそれで彼女たちなりのコミュニケーションだし、無意識にサインを送っていることもある。スタッフはすぐに解決しようとはせず、強引に進めようとはせず、寄り添い、見守る。

こういうことは決して数字では捉えられないし、就職、自立といった形で効果を測ることもできない、とりわけ短期的には。また、警察や行政にできることではない。それぞれの役割、得意なことがあり、それぞれ果たしながら柔軟に連携することが肝心。

アウトリーチ含め支援活動のリアルは、知ろうと思えばネットでも書籍でもいくらでも知ることができる。各団体のHPなどの発信を見るだけで随分と分かるはず。でも、暇空らは、叩こう、ツッコもうという構えで見るから、些末なことを切り取ってケチをつける。


じゃがいもの件は、芽に毒があり取り除くべきことはcolabo側は当然知っているという前提で、食材をどうやって調達したか、どうやって渡すかに想像を巡らせばいいだけなんだよね。それができれば騒ぐような話ではないし、叩くネタになるはずもないこともわかる。それがわからないのが暇空、なるら。

食材を渡す時に、その使い方とかが会話のきっかけになるんだよね。「じゃがいもの芽はちゃんと取ってね」とか、逆に「芽が出てるの大丈夫なの?」といった会話もあるだろうなと実は初めから想像していた。支援における何気ない会話の意味ってそもそも暇空らが理解していないこと。

アウトリーチで配るビラにお菓子とかちょっとしたアイテムを添えるのも、受け取ってもらいやすくすると同時にそれが会話のきっかけになるんだよね。その場は他愛のない話で終わっても、それで緩いつながりができたりする。スタッフは何気ない会話で話されることや身振り、表情にも目を配っている。

もちろんさ、会話のきっかけにするために芽の出たじゃがいもを選んでるなんて言ってないよ(暇アノンならそう言いかねない)。無造作に食材を配給してるかの前提が全然違うよという話。人と人、スタッフと少女・女性の接点にこそ気が配られているし、門外漢にはそこが見えないということ。

食材調達に関してもそう。無償であるいは安価で譲ってもらったのかな、その時に提供者とColaboの間でどういう会話があったのかなと想像してみればいいんだよね。店頭では売れないけど信用できる相手になら譲れるということともちろん善意で食品、食材が支援団体に譲られる。

フローレンスやしんぐるまざあず・ふぉーらむに対する暇空らのケチ付けでもそうだったよね。企業が不良在庫を押し付け、団体側は調達費を浮かせた、ケチったという話にする。善意の循環、企業-団体-支援対象者の食品・食材の受け渡しの接点ということが全く想像できないんだよ。

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