中村計「甲子園が割れた日」の読書感想文

 先日、集英社文庫から中村計「甲子園が割れた日」が再版されたので、買いました。以前読んだときは図書館で借りたので、「手元に置きたいけど、もう絶版されているだろうから、ブックオフに行くしかないかな」と諦めていたので、ダッシュで買いました

 松井の五敬遠とは、「勝負事は勝たないと面白くない」という明徳・馬淵と「高校野球は人間形成のためにある」という星稜・山下との高校野球観がはっきり出た試合でした。馬淵は「勝つには最善の策」と松井の五敬遠を指示しましたが、山下は「高校野球は人間形成のためにあるので、全て敬遠はないだろう」という考えに留まりました。

 本書で「山下は松井が逃げられても得点できるように、松井は三番、チーム二番目の打力を持つ山口を四番、チーム三番目の打力を持つ月岩を五番におけばいいのに」と指摘されていますが、「だよね」としか言いようがなかったです。これだけで山下が「高校野球は人間形成」という性善説に立っていたことがわかります。

 僕はプロ以上に勝ちにこだわる馬淵が好きです。高野連加盟校が四千校弱あるなら、四千通りの高校野球があっていいと思うのです。だったら、一つぐらいは徹底して勝利にこだわる学校があってもいいでしょう。今夏の甲子園で、明徳が待球作戦で球数を増やして、牽制に難ありと見て盗塁を仕掛けて明桜風間を倒したのを見て、「馬淵さんさすがだな」と唸りました。勝ちにこだわる馬淵だからこそ、森木を甲子園に行かせず、風間を甲子園で倒すと二人のドラ一を退けられたと思うのです。

 松井の五敬遠について「明徳の投手は松井を敬遠したくはなかった」、サンザンヤジられたことから、明徳の選手は「甲子園に来たくはなかった」と言ったと伝えられていますが、本書で「監督は汚くても、選手は純真であって欲しい」という世間の願望が望んだ。ということがわかります。

 むしろ明徳の選手は「厳しい練習に耐えて甲子園に出られたんだから、優勝しないと元が取れない」という考えで、松井の五敬遠を当然の作戦と取っていたようです。明徳の投手河野は「背番号8を着けていたとおり、野手としてプレーしたかった」というぐらいなので、エースの誇りというのは無かったのが真実です。でも、「『松井と勝負したかった』と言ったら、満足なんですかね?」というぐらい松井の五敬遠に対してコメントを求められたのは、かわいそうでなりません

松井の後を打った五番月岩は、大学で五敬遠の話をされて騒動を起こして退部したあと、転々としますが「相手に対する恨み辛みは一切ない」と言っています。月岩も「打てない自分の力不足が全て」と割り切っているので、もうこれ以上どうこう言う必要はないでしょう。

 総括すると松井の五敬遠をどう捉えるかで、その人の高校野球観が問われるし、どう答えを出そうともその人の自由だと思っています。僕だったら、後々叩かれるのが目に見えているから、五敬遠はやらないだろうなあ。それでも徹底して歩かせた馬淵さんは凄いです。


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