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アブ・シンベル神殿 ー 世界遺産条約誕生のきっかけ


1960年 エジプトは 毎年起こるナイル川の氾濫による被害を防ぎ、同時に国の発展のために アスワン・ハイダムを建設。

ダムの建設によって、ヌピア地方の遺跡が水没の危機に。しかし ユネスコの呼び掛けで 1963年から大規模な移築工事が行われ多くの遺跡が救済されました。

この遺跡救済がきっかけで 国際的に 人類の貴重な遺跡や文化財を保護する意識が高まり、1972年に国連で「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」を採択することに至ったのです。


エジプトのファラオ(王)の中で最も有名な一人で、絶大な権力を持っていたラメセス二世。建築王としても知られるラメセス二世は多くの記念碑的建物を各地に建設。紀元前1260年頃、ヌピアに建設したアブ・シンベル神殿は特に有名でしょう。

アブ・シンベル大神殿

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アブ・シンベル大神殿を目の前にすると、その大きさに圧倒されます。四体の巨像は全部ラメセス二世。左から2体目の崩れ落ちた顔の部分は足元に。かなり自己顕示欲も強いファラオだったようですね。

16000個ものブロックに解体し 元の場所から約60メートル高方へ移築。そして元の形に組立。1963年から1968年まで5年かけて移築工事を成し遂げた人達の凄さにあらためて感銘。正直、気の遠くなりそうな計画だったのではと思ってしまいます。

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大神殿に入って直ぐ大列柱室。 胸元で手を組む立像は全てラメセス二世。高さ9メートル。奥にあるのが至聖所。

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大神殿の一番奥の至聖所の神々。向かって左から 万物の創造神プタハ神、王の守護神アメン・ラー、神格化されたラメセス二世、太陽神ラー・ホルアクティ。当時ファラオは絶対の存在であり、神と同等と示していたのでしょう。

年二回 春分の日と秋分の日、入口から差し込む朝日がラメセス二世像と神々の像を照らします。昔 ラメセス二世が仕掛けた光景も、移築の際に綿密な計算で見事に再現。


エジプトの他の多くの遺跡と同じように アブ・シンベルも内部撮影には入場券とは別にカメラチケットが必要。頻繁にチェックされるので ズルは出来ません‼️

隅々まで ゆっくり見学していたら 神殿で働いている人が話しかけてきて 混んでいなかったせいか写真を撮ってくれることに。てっきり一枚記念撮影と思っていたら、神殿内外で何枚も撮影してくれるサービス。しかもポーズまで指導付\(^-^)/

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カデシュの戦いの壁画の前。大昔のものとは思えない鮮明な状態。カデシュの戦いはラメセス二世率いるエジプト軍とヒッタイトの戦い。実際の勝敗は引き分け状態で、世界最初の平和条約が締結されています。しかし 神殿の壁画は ラメセス二世の勇敢さと勝利を誇張。

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巨像の間で胸元で手を組んで撮影。像がいかに大きいか、よくわかります。

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神殿の鍵。なんかおそれ多い気がして 最初は遠慮したのですが、 いいよいいよで 貸してくれて またポーズ。 結構重かったです。

一ヶ所で何枚も撮影してくれるのですが、別に何も要求されることもありませんでした。 私の方から 感謝の気持ちで ボールペンと持っていたキャンディ(何故だか、どちらも 日本のものは喜ばれるらしいです)と、ほんの少しのチップを渡させてもらいました。

現地ガイドさんも言っていたのですが ヌピアの人は穏やかで親切な人が多かったです。

アブ・シンベル小神殿

大神殿の隣にある神殿。ラメセス二世の最愛の妻ネフェルタリに捧げるために建設。祭神はハトホル女神。

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大神殿と比べると 小さいですが、それでも相当な大きさ。入口の両側に それぞれ二体のラメセス二世像とラメセス二世にはさまれたネフェルタリ像。

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内部の列柱室のハトホル柱。ハトホル女神はホルス神の母。愛と美の女神。


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夜はライトアップショー。


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日の出の頃。左が大神殿 右が小神殿。

日中、夜、早朝と ラメセス二世の傑作をたっぷり堪能。


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アスワン・ハイダムの建設によって出来た人工のナセル湖。朝日がとても綺麗でした。 アブシンベル神殿はこの湖のほとりにあります。


「アブ・シンベルからフィラエまでのヌピア遺跡」は ユネスコの援助等で救済された後、1979年に世界遺産に登録されました。

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