見出し画像

〔旅エッセイ #3〕忘れられない部屋_Wien

上海の中華料理屋に入ったとき。クアラルンプールのチャイナタウンへ行ったとき。瞬時に記憶が蘇り、思い出してしまうひとつの部屋がある。あの強烈な匂いによって。

その匂いをかぐと、記憶が一気に蘇る。日本にあるジャパナイズされた清潔な中華料理屋や、日本人観光客で溢れた中華街では嗅ぐことはできない。八角とも花椒とも違う。日本のごま油やサラダ油なんてものとは全く違う。あれは一体、なんの匂いと呼ぶのが正しいのだろうか。


記憶の先の部屋は、ウィーンにあった。ウィーン大学に通う日本人の友人の、学生寮だ。

旅の滞在で何泊かお世話になる約束をしていて、旅行前に部屋についていくつか説明してくれた。
主なポイントは三つだった。
・外国人女性(留学生)とルームシェアしている
・外国人女性(留学生)との共用ゾーンが汚い
・部屋を開ける鍵が固く、力とコツがいる

日本人の綺麗さと外国人の綺麗さの異なりはある程度理解しているつもりだ。潔癖症でもないし、汚さについては大丈夫だろうと思った。部屋の鍵は、きっと建物が老朽化しているんだろうと勝手に納得した。どちらも「おっけ〜」と聞き流して、正直心に留めていなかった。
実際、ルームメイトのゾーンはたしかに散らかっていたし、鍵も力を入れながら押してまわして開く必要がありかなり苦戦したけど、問題はなかった。
というか、問題は全くもってそこじゃなかった。
一番気になったのは、部屋に入った瞬間に鼻に広がって抜けなくなる、強いアブラの匂いだった。

一歩部屋に入った瞬間から、もうそこは中国だった。
音楽の都・ウィーンなんて高貴なものではなかった。
Wien likes China という感じでもなかった。
Wien is China.
Here is China.
China is here.
CHINA IS HERE.
チャイナでしかなかった。
あそこは間違いなく中国だった。

ドアを開けた瞬間、モワッとした重いアブラのような匂いにつつまれた。匂いの原因は探さなくても、直ぐに目に飛び込んできた。ドアの先にある共用ゾーンには、見たことがない謎の大型の中華食材や、これまた大きな黒い鍋のような中華料理用の道具が、一角に置かれていた。彼女のルームメイトの、中国人留学生の持ち物であった。

その一角を横目に、キッチンがある共用ゾーンを通って友人の部屋に入る。するとあの匂いは、ほぼ感じなくなった。

友人の部屋は、机と本棚とベッドが置かれている、シンプルな部屋だった。綺麗に整理されているのに物が床に置かれている部分もあり、清潔さとごちゃつき具合が私にすごく居心地がよかった。日本で彼女が一人暮らししていた時にお邪魔したこともあったが、それらもとても好きな空間だった。
彼女の部屋に、中国らしさは皆無だった。置かれている教科書やお菓子から、ほんのりヨーロッパを感じた。素朴で温かみのある、居心地の良い部屋だった。全くもってあの匂いとは似つかわしくない。それなのにあの匂いを嗅ぐと、瞬時にこの部屋を思いだしてしまう。

窓辺に立てかけられていたアドベンドカレンダーのチョコレートを、部屋に入ってすぐに一粒くれたこと。私が持参したお土産に、彼女の好物のパイの実があり、それをサカナに紅茶で乾杯したこと。そんな小さな思い出達が蘇る。目をつぶると、部屋の窓から見えた雪景色も目に浮かんでしまう。鍵が固くて自力で入れなくて苦労したことは、思い出しては何度も笑ってしまう。彼女と空港で出会ってすぐにハグしたことや、この部屋の近くのスーパーで、弟へのお土産のハリボーを大量に買ったことなんかも思い出す。とりとめのないウィーンでの出来事が、どんどん蘇る。

そうしてこうやって思い出すたびに、私はこの先あと何回、この匂いであの部屋を思い出すことができるのだろうとも考える。

思い出した最後はいつも、なんだか少し、切なくなってしまうのだった。

友人が住む部屋(学生寮)からの景色
Wien,Austria(2018)


☟はじめに :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

☟前回はこちら

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?