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M-1が「娯楽」であることを忘れるな

M-1の審査や結果について、いろんな議論が起こっている。

審査員をもっと現役の人物にすべきだ
審査員が好みで選ぶべきでない
トップバッターが不利なのは公平じゃない

といったものだ。

でも、M-1はそもそも、そんな固いものではない。漫才前の映像、審査員のトーク、そしてもちろん漫才。それをトータルで見て、視聴者が楽しむもの。

最終的な目標は、視聴者が楽しめる「娯楽」にすることであるはずだ。

「芸人の人生が変わる」のは、その結果でしかない。

少し言い方は悪いが、そんな事知ったこっちゃない。


真面目がいいなら、真面目な漫才のコンテストはいくらでもある。でもM-1は、そうではなく、若手漫才師の一つの見せ場として、用意されたもの。

そして審査員のトーク自体も面白い。

そもそも、審査員に噛み付いたり、審査員の宿題を後年に回収したり。これは本当のコンテストではなく、全てセットの一つの娯楽なのだ。

もちろん、ある程度の公平性がないとそもそも娯楽にもならないことはわかるけど、それでもこまかい「公平性」よりも、あくまでも「娯楽」を追求してほしい。

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