見出し画像

受験前に読んで欲しい「人生最大の失敗で自分に合わない男子校に行った話」

1 高校生カップルへの嫉妬

「もういいかげん、気にするのやめたら」

街中で仲良くしている高校生のカップルを見て不機嫌になるぼくに、妻がいつもかける言葉だ。別に高校生が恋人同士になることが悪いことというつもりはない。単に羨ましいだけだ。なぜなら、ぼくは男子校に通っていたから。ただそれだけだ。

2 男子校に行った理由

「男子校に行っていた」というと、よく「何で男子校に行ったの」と聞かれてしまう。それはそうだと思う。今では共学の高校ばかりだし、ぼくが高校に行っていた当時でも、もうほとんどが共学であった。

だからぼく自身、男子校に行く気なんてさらさらなかった。ただ、公立高校受験前に受ける滑り止めの私立高校として、ちょうどいいレベルの高校が、男子校だったのだ。一応受験はしておくけど、公立高校に行けば男子校に入る必要はない。そんな軽い気持ちで受験していた。

どのくらい「軽い」かというと、公立高校に落ちた夜、友達に「3年間男子校やな」と指摘されるまで、その事実に気づいていなかったくらいだ。

3 男子校の苦しさ

そんな何の思いもなく入学した高校は、やっぱり辛かった。

もちろん、毎日男同士でわいわいと騒ぎ、大笑いしていたし、いまでも付き合いのある友人も何人かできた。それでも、楽しかったとは言えない。

長い登校時間、偏差値重視の8時間授業、そして、何よりも女性がいない。

もちろん、恋愛ができないということも大きな悲しみだ。

でも、今になって思うのだが、ぼくの場合、考え方とか感情とかについては、女性と合う部分が多くて、どちらかといえば男性の方が「合わせている」という気持ちがあって、女性がいないことで「深い友人ができない」という意味での喪失感もすごく大きかったのだと思う。

当時はスマホどころか携帯もまだそれほど普及していない。あってもポケベルぐらいで、中学の同級生と連絡を取るにも、自宅に電話という難関を突破しないといけなかった。

もちろん、その難関を突破して彼女を作っている人も何人かは。でも、ぼくを含むほとんどのクラスメートは「憧れの高校生活」を送ることはなかった。

そして、青春の大事な3年間を、自らの選択により、憧れと違った道に進んでしまったことについて、いまでもモヤモヤしているくらい、後悔をしている。

4 失敗の原因

この失敗、つまり男子校に行った原因は、2つある。

まず(1)成績がちょうど合うという理由だけで学校を選んだ
そして(2)公立高校を落ちることを想定していなかった

ということである。

(1)については、単純に「偏差値がそれなりに高い高校に受かっておきたい」、つまり「頭がいいと思われたい」という、邪念が完全に頭を支配していた。自分が本当に行きたいとか、学びたいとかそんな感情が一切ない状態で、学校を選んでしまったのだ。

でも(2)のとおり「公立高校にさえ受かれば、入ることはない」という安心感で、軽い気持ちで受けてしまった。しかし、当時の自分の成績を考えれば、公立高校の合格率は、実際には50%以下。

それならば、もう少し滑り止めの学校のこともしっかり考えるべきだったが、当時のぼくは、本当に根拠のない自信に取り憑かれ、合格するものと信じていた。つまり、リスクを過小評価していたのだ。

5 失敗を活かして

男子校に入って「女性がいない」と嘆いているうちに、あっという間に時は流れ、今度は大学受験をする時期が来た。ぼくは、高校受験失敗の経験を生かし、大学受験にあたって次の二つを厳守することにしていた。

(1)本当に行きたい学校を選ぶ
(2)リスクを過小評価しない

(1)については、まず、大学案内や仕事図鑑のようなものを読み漁って、本当に自分のしたいことを探した。結構早い時期から探していたと思う。そして、2年の夏にはなんとかして自分にぴったりの学科を見つけることができた。

そして、目指す大学としては、少しレベルが高い公立大学Aに絞った。そして、滑り止めの私立大学Bももちろんその学科がある大学を選んだ。

ところが、志望校を説明する2者面談で、先生からあるアドバイスをされる。

「学力的に、志望する公立Aと滑り止めの私立Bの間の大学Cも受けるべき。希望する学科はないけど、レベル的にはここくらいがちょうどいい。Bではもったいない」

という。まさに、高校受験の時と同じ。成績に合わせて受験先を選ぶスタイルだ。高校はそれなりの進学校だったので、学校としても、できるだけいい大学の合格実績が欲しかったのだと思う。先生はさらにこう続けた。

「もし受かっても行かなくてもいい。力試しや」

ぼくは、高校生の時、担任の先生の勉強のアドバイスは、基本的に聞くようにしていた。この先生とは仲も良かったし、信頼もしていた。

でも、進路指導室で先生の向かいに1人座っていたぼくは、その言葉を聞くと、先生から少し目をそらして、廊下側の窓から見える中庭と向かいの校舎を見渡してから、はっきりと言った。

「C大学は受けません。行きたい学科がないので」

先生は少し驚いていたが、もちろんぼくが決めることであり、理解してくれた。

この回答には、実はもう一つ意味があった。というのも、たぶん、B大学、C大学に受かって、A大学に落ちたら、ぼくは行きたい学科がなくても、絶対にC大学に行ってしまう。そう思ったのだ。

今思えば馬鹿馬鹿しい。でも、当時のなんの自信もない18歳の自分にとって、戦えるものは成績しかない。もし偏差値の高いC大学に受かっていれば、そこを蹴って、あえて偏差値の低いB大学に行くほどメンタルは強くなかった。

そもそも先生の進めるC大学に受かる可能性も低いし、A大学に受かるかもしれない。でも、そんなわずかな可能性でも、弱い自分が間違った選択をしそうなルートを作ることは絶対にしたくなかった。(2)を守ったのだ。

高校受験で失敗していなければ、軽い気持ちで「わかりました」と言っていたのだと思う。あのとき、先生からあえて目をそらして、自分が通う校舎を見た時「やっぱりここはぼくが来るべきところではなかった」とどうしても思ってしまった。

そして「もう二度とこんな思いをしたくはない」とも。

だからぼくは、C大学を受けることはしなかった。

6 決して無駄ではなかった

今頃こんなことを書いても遅いかもしれないが、決して「男子校が悪い」と言っている訳ではない。ただ、自分に合わない学校を、成績だけで選ぶことは絶対にするべきではないということだ。

もちろん、結果的に、ぼくにとって、男子校に行ったことは決して無駄なことではなかった。

すでに書いた通り、自分が本当にしたいことを見つけることができた。そして、雑音に邪魔されず、本当に自分がしたいことを目指すことの大切さを知ることができた。

もし、高校受験に成功していたら、ぼくは高校生の間に、ここまで必死に「自分のやりたいこと」と考えることはなかっただろう。

そして、先生のにアドバイスされるがまま受験し、学び、就職し、希望しない仕事を続ける人生を送っていたのかもしれない。

少なくとも、ぼくの人生に軸ができることとなった出来事ではあった。

7 今の自分

ぼくは実際、今、高校時代に「これがしたい」と思った仕事をすることができている。それほど競争率が高い職業でもないので少し大袈裟かもしれないが「夢が実現した」のは事実だと思う。

そういう意味で言うと「青春の失敗ではあるが、人生の失敗ではない」と言うことなのかもしれない。

でもやっぱり、青春をあんな気分で過ごす高校生がこれ以上増えてほしいとは思わない。

だから、理由はなんだっていい。何か成績以外で、自分がやりたいこと、自分が行きたい場所を見つけて、学校を選んで欲しいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?