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北海道マラソン2022

8月28日に北海道マラソンを走ってきた。

北海道マラソンは今回が初めての出場ということで、4月の長野マラソンを終えてから準備をしてきた。ここで1つの区切りになるので、振り返りをしてみたいと思う。

準備について

4月17日の長野マラソンを走ってから、北海道マラソンまでは4か月。

地元の駅伝に出たり、休養を取ったりすることもあったので、実際には4か月よりは短かったけれど、それでも十分な準備期間はあった。

5月、6月はハーフマラソンやトラックレースを走りながらやってきたので、距離走は30kmくらいに抑えて、どちらかというと短い距離(1000mのインターバル走など)に力を入れていた。

7月初めの日体大記録会で5000mのPBを更新することができたことからも、ここまでの取り組みはうまくいっていたように思う。

月間走行距離は、5月も6月も800kmを超えるくらい。

今まで700km~750kmくらいでやってきていたことを思えば、少し多めになっていることが伺えるだろう。

5月と6月に短い距離(スピードトレーニング)をやりながらも、800kmを超える距離を踏めたこともあったので、7月からはじっくり距離を踏むことができた。

今回40km走を合計6回(7/3、7/9、7/17、7/18、7/31、8/6)やることができた。

夏ではあるものの、白樺湖という環境が近くにあるため、涼しい環境でトレーニングができたことは大きかったと思う。

また、6回のうち5回は、長野県出身の実業団ランナーである桃澤大祐選手と一緒に走ったのだが、彼の存在はありがたかった。標高1500mの高地であることや気温等を考慮して、ペースは冬に諏訪湖でやったときに比べて若干遅めの設定(3分50秒~4分00秒/km)ではあったが、不満も言わずに快く対応してくれた。

1人で走るよりも精神的な負担が軽減されて、楽しく走ることができたことは言うまでもない。

16kmのペース走も、合計4回(トラックで2回、ロードで2回)やることができた。

トラックで1人でやるのは精神的な負担が大きかったため、途中からロードに変更したわけだが、ロードに変更してからは桃澤選手も一緒に走ってくれたおかげで、よりハイペースでのトレーニングとなった。


調整について

8月初旬に最後の40km走を終えてから調整に入った。

最後の40km走が終わってからは練習量を落とす予定だったので、ちょっと際どいときもあったけれど、なんとか乗り切れたと思っていたのだが、調整に入って8月中旬に股関節を傷めてしまった。

お盆の諏訪湖でのロングジョグがキッカケだったと思う。

故障というほどのものではないのかもしれないけれど、諏訪湖を2周走ったときに最後の4kmくらいで脱水症状っぽくなってしまったのだ。

途中水分を補給してはいたものの、台風接近による強風や気温上昇によって、予想以上に水分を失っていたのだろう。

体内の水分が失われて、体液の粘度が上がり、いわゆるエンジンオイルの油膜切れのように、筋肉と筋肉の潤滑がうまくいかなくなったのだと思う。

その結果、股関節が抜けるような感覚になってしまった。

走りながら調子を上げていく段階でそうなってしまったので、調子を上げるどころではなく、現状維持が精一杯になってしまった。

また、違和感を抱えながらも予定通りにトレーニングを継続したため、走りのバランスを崩してしまい、庇って余計なところに力が入ったことで坐骨神経痛のような痛みが出るようになってしまった。

マラソン前のトラブルはモチベーションにも影響が出た。
前日違和感を抱えたまま走り終えると、翌朝走りに出かけるのが怖くなるほどだった。

ただ、幸いにも直前の治療でなんとか真っ直ぐに走れる状態にまで治してもらったおかげで、不安はありながらも違和感なくスタートラインに立つことはできた。

ここまで、故障しないことをテーマに掲げて取り組んできたつもりだったが、高負荷なトレーニングではなく、低負荷なトレーニングによって故障してしまったことは、大誤算だったとしか言いようがないだろう。


レースについて

今回はペースメーカーが付き、30kmまで3分05秒/kmのペースでいくという情報をキャッチしていたため、行けるところまでついていこうと思っていた。

写真は成瀬さんから

3分05秒/kmというペースは、自分自身にとっては速いペースではありながらも、対応できないペースではないので、流れに乗っていけば中盤まではいいペースで進めることができると思ったわけだが、実際には3kmくらいで汗をかき始めている自分に気付いた。

この日の札幌市のスタート時の気温は24度ほど。
涼しく感じている人も多かったかもしれないが、私は暑く感じていた。

ただ、集団を見ると、私だけが暑そうなわけでもない。やはり、周りも同じように感じていたということだろう。

先頭集団の後方で走っていたが、序盤から余裕は全くなかった。

レースの前半は、豊平川を渡る橋や創成トンネルで緩やかなアップダウンがあって、上り坂になるたびに離されそうになった。
それでも、なんとかギリギリ離されずに集団の後方を走っていた。

5kmは15分39秒、10kmは30分58秒で通過した。

序盤では暑さを感じていたけれど、5kmから給水所を通る度に水を取ってかぶったのが良かったのか、それほど暑さを感じなくなっていることに気付いた。

また、10kmでスペシャルドリンクを取ったときにも、集団から離されそうになってしまった。

というのも、今回私はNo.140だったので、0番テーブル(ナンバーの末尾の番号のテーブル)にボトルが置かれていたわけだが、0番テーブルは一番奥の方にあったため、私がボトルをキャッチする頃には、早い選手は飲み終わっていて、気が付くと集団から遅れそうになっていたのだ。

それでも、このときは少しだけ余裕もあったので、少しずつ差を詰めて集団に戻り、また集団の中で走ることができた。

先頭集団から離されてしまったのは、15kmの給水ポイントだった。

ここは、他の選手と接触しそうになって気を遣ったことや、中盤に差し掛かるところなので、多めに飲んでおこうと時間をかけて補給したこともあって、タイムロスがあったことを認めざるを得ないけれど、離された差を詰めていく余裕が無かったというのが本当のところだと思う。

離されかけているところ(16km過ぎ)

集団の中で走っていたときはペースを維持できていたけれど、20mから30mの差ができて、ほぼ単独になってしまってからは急にペースが落ちてしまった。

時代劇とかで悪役が「今日のところは、このくらいにしといてやるわ」と言わんばかりに、集団からはフェイドアウトしていった。

思っていたよりも余裕が無かったのは、調整がうまくいかなかったことだけではなく、シューズにも要因があったように思う。

というのも、いつもより反発を感じなかったのだ。

私の履いているヴェイパーフライNEXT%は、今年で3年目になる。

何回もマラソンを走ってきたこともあって、いよいよパワーが落ちてきたように感じた。いよいよ買い替え時なのかもしれない。

中間点(ハーフ)の通過は1時間6分3秒。
これは、偶然にも長野マラソンと同じタイムだが、苦しさは遥かに上回っていた。

中間点を越えたあたりからは3分10秒~3分20秒/kmのラップを刻んでいた。ペースが安定せず、余裕があると思っていたらペースが落ちていたり、苦しいなと思えばペースが上がっていたりしていた。

26km過ぎの折返し地点を過ぎると、またペースが少し落ちて、3分25秒~3分35秒/kmのペースとなった。

これは、風の影響もあったのかもしれないけれど、ここまでペースが落ちたのは久しぶりだったので、精神的にはかなり落ち込んだ。

写真は大槻さんから

スライドで「牛山さん!」と声をかけてもらっても、余裕が無くてほとんど応えることができなかった。それでも、本当にたくさんの人に声をかけてもらってありがたかった。

脚の感覚もいつもと違って、股関節周りに違和感こそ出なかったものの、左右のバランスがおかしいのか、左右の足が別々に動いているような感覚があった。

それでも、このペースで安定して走ることはできていた。

折り返してから32kmくらいまでは長い直線のコースだったので、前を走るランナーが見えていたが、前を走るランナーが次々と近づいてきている感覚があった。

自分もペースダウンしているけれど、周りはそれ以上にペースダウンしていたということだ。

35kmを過ぎるとそれはもっと顕著になってきた。
終盤まできて、余裕こそ無かったが、追い込まれていたわけでもなかったというのが救いだった。

なんとか3分25秒~3分35秒/kmのペースを維持できていたのだ。

北海道大学の構内まで来たら、あと少し。
終盤は、実業団ランナーの中でも有名なランナーや親交のあるランナーを抜いて少し元気になってきていた。

写真は成瀬さんから

初めて走るコースで、よく分からないところもあったけれど、最後の2,3kmはあっという間だったように思う。

写真は大角さんから

フィニッシュタイムは2時間18分39秒、順位は24位だった。

走り終えた直後は、思っていたよりも走れなかった悔しさや、2時間20分かからずに走れた安堵感、自分の弱さや、これからどうしていこうかなど、いろんな気持ちが交錯していた。

それでも、いろいろ不安がある中で臨んだマラソンで、無事にゴールすることができて良かったというのが一番大きかったように思う。


レース後のこと

マラソンを走り終えた後は、力を尽くして競い合ったランナーたちと話すことができた。

中でも、長野県出身のランナーたちと再会できたのは嬉しかった。

まず、SGHの湯澤舜選手とは、今年の東京マラソンぶりの再会。
今回も12kmあたりで集団の中で少しだけ一緒に走ったけれど、感慨深いものがあった。

そして、大塚製薬の相馬崇史選手とも、久しぶりの再会。
彼が中学生のときから関わってきているので、大きくなって一緒にマラソンを走るようになったと思うと、やはり感慨深いものがあった。

北海道の神直之君とも、久しぶりの再会。
今回も北海道勢としてはトップでゴール。

サイラス選手とは、3年ぶりの再会。
onのレーシングシューズ「Cloudboom Echo」がすごく良いとのこと。

こちらは1か月ぶりに再会した三津家君。
相変わらずのイケメンで、楽しそうに走っていて、これからのマラソン界を盛り上げてくれる人の1人だと思う。

他にも、たくさんの人との再会することができて嬉しかった。

今年の夏の思い出となったことは言うまでもないだろう。


これからのこと

レース中や、走り終えた直後は、思っていたよりも走れなかったことに対して凹んでいたけれど、いろんな人たちと話す中で、決して結果は悪かったわけではなく、むしろ頑張ったのではないかと思えるようになってきた。

次に向けて、少しだけ休んで、また頑張りたいと思う。


東京オリンピックの記念プレートのこと

レース翌日に、ジョグで札幌市内を散策してきた。

今回走った北海道マラソンのコースを見ながら回ったわけだが、東京オリンピックのマラソンの記念プレートをいくつか見つけることができた。

まずはスタート地点。

こんな感じで大通公園の郵便局前にある。

5km地点は中島公園の近く。

20km、30km、40kmは北海道大学の構内にある。

フィニッシュ地点は、北海道マラソンのスタート地点の近く。

一番分かりづらかったのはハーフ地点。こちらは、北海道マラソンのラスト1kmくらいのところだ。

どれも意識して探さないと通り過ぎてしまいそうだけど、ランナーなら札幌に行った際は探してみて欲しいと思う。


その他のこと

今回北海道から信州に帰る際に、新千歳空港ではなく札幌丘珠空港からの飛行機を選択した。

北海道(札幌)の空港と言えば、新千歳空港が有名なので、丘珠空港なんて知らないという人も少なくないだろう。

丘珠空港は、新千歳空港に比べると小さな空港で、信州まつもと空港と同じような雰囲気の空港である。

丘珠空港から信州まつもと空港には、夏季に限ってFDA機が就航している。

なぜ夏季ダイヤのみなのかというと、夏が観光シーズンだからというわけではなく、滑走路が短く、冬は路面凍結してしまうと安全に離着陸できない可能性があるからだそうだ。

ちなみに、丘珠空港の滑走路のマーキングは信州まつもと空港と同じようにオレンジ色なのだが、これは雪が降る地域の空港の特徴だそうだ。

また、丘珠空港の滑走路は1500mと短くFDA機にとっては距離が足りないため、離陸が少しだけ特殊で、スタンディング・テイクオフというのをやっている。

これは、簡単に言えばマリオカートのスタートダッシュと同じような方式で、滑走路まできたら一旦ブレーキをかけて、エンジンのパワーをある程度まで上げてから、ブレーキを解放して一気に加速するというものだ。

いわゆる「ロケットスタート」と言われているものだが、それを体験したいがために、わざわざ丘珠空港を選択したのは言うまでもないだろう。

飛行機への搭乗も、オーソドックスに階段を上がるスタイルだ。

実際に、ロケットスタートで離陸するFDA機の迫力はすごかった。

「ゴゴゴゴゴゴゴ!!」という感じだ。

丘珠空港を飛び立つと、北海道マラソンの折り返し地点付近がよく見えた。

その他にも、洞爺湖が見えたり、

佐渡ヶ島が見えた。

飛行機はかなり揺れたけれど、丘珠空港から乗って良かったと思えるシーンは満載だった。

信州に入ると、急に日本の屋根と呼ばれる山々が姿を現す。

そして、信州まつもと空港への着陸は、いつでもアグレッシブであり、かつ豪快であることは、言うまでもないだろう。

飛行機に乗るのが、マラソンを走るのと同じくらい楽しみだと言う人は少なくないのではないだろうか。

次回、飛行機に乗ってマラソンを走りに行く日のために、少しだけ休んで、また頑張りたいと思う。

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