考察:現代人が失ったもの。Fishmansとゆらゆら帝国の抱えた空洞について


最近よく、historicaというYouTubeチャンネルを見てる。このチャンネルの、特に日本の廃村を訪れるシリーズが大好きだ。かつてそこにあった生活の痕跡を見て、ナレーションで語られる地域の歴史を知り、そこで暮らした人々のことを想像する。すると懐かしいような寂しいような、不思議な感覚に襲われる。

https://youtu.be/-YKFE1Z6RL0

その感覚の正体はおそらく郷愁だ。しかし不思議なことに、1998年東京生まれの僕には、この動画に出てくるような村で暮らした覚えは一度もない。なのになぜこんなにも懐かしいのだろうか。

それとは別に、最近ずっと考えてたことがあって、それはFishmansとゆらゆら帝国(特に”空洞です”というアルバムについて)についてだ。彼らは共通して空洞を抱えていたように思う。僕は彼らの音楽が大好きで、それは彼らの空洞に深く共感するからだ。でも、その空洞の正体がずっとわからない。

自分自身を空虚に感じる時とはどんな時だろう。一番は、何のために生きてるかわからない時だと思う。それは何故か。誰からも必要とされてないと感じるからだ。ではなぜそう感じるのか。それは、みんなが疲れてるからだと僕は思う。人を必要とするのも人に必要だとされるのも、疲れるし怖いから、寂しいよりも嫌なのだ(原因は都市化が関係してるように思う)。その結果現代人は、スーパーマンになろうとする。一人で何でも出来るならそれが一番手っ取り早いからだ。

近代・現代に人が失ったものはいくつかある。そのうちの一つは、間違いなく故郷だ。僕は何だか、壊れた郷が壊れた家庭を産み、壊れた家庭が壊れた人間を生産してるように思えてならない。そして壊れた人間は神様になりたくてしょうがないのだ。

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