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三遊亭円楽・伊集院光 二人会 昼の部レポート

これは幸運にもあの数秒のうちにチケットを購入できた者の責務として、記録を残すものなり。以下、敬称略。


私はたしか高校時代、日曜日の秘密基地が入り口だったはずだ。試しに聞いてみた深夜の馬鹿力は、最初こそネタコーナーの面白さ目当てだったものの、徐々にトークが当時日々肥大化し持て余していた私の自意識に共振していった。浪人時代にはスペシャルウィークにネタを投稿して採用され、クオカードをもらったことは私の小さな自慢だ。以来現在に至るまで深夜は欠かさず録音して聴いているし、最近は在宅勤務時に朝のとらじおとが聞けるのも楽しみになっている。一方で他の番組はゲスト次第でかいつまんで聴くことが中心で、固定ではせいぜいアニスパくらいしか聞いてこなかったのでラジオリスナーというよりは伊集院フォロワーであるという自覚でいる。

さておき二人会当日。
昼の部だったので12時10分くらいに有楽町に到着。
エレベーターに同乗した人らをちらりと伺い、「ラジオリスナーなのかな、いやほぼそうだろうな」と考える。
ホール入り口。チケットもぎりの手前に花が並ぶ。ぶっちゃあさん、安岡さんなど過去の放送で何度も聞いた名前を見つけて喜ぶ。が、その反対側には既に物販の長蛇の列。慌てて入場しとりあえず並ぶ。
有名人とかいるかな、ときょろきょろしてみるととにかく多様な人がいる。メインはやはり40代くらい以上の男性だが、フリフリした服の若い女性もいればお年寄りのカップルもいる。そして心なしか太っている人が多い気がした。みんな押し黙ってだいたいスマホを見ているが、あまり落ち着かない様子だ。私もスマホ、チラシ、周りと15秒ごとに目を移してしまう。明らかに興奮していた。
じりじりと列が進む間twitterで検索、昼の前座は一太郎ではとの噂を目にする。当代楽大は夜の部という情報は既に入っていたので昼は誰かしらと期待しない程度に気にしていたが、これは大変貴重なものを観られるのではないか!とまた興奮で小さく震える。
ようやく物販にたどり着いた時にはステッカー、手ぬぐい、扇子が売り切れ。悔しいので、小冊子と予定になかったトートバッグも買う。

着席、2階席はやはり遠く感じた。しかしさいたまスーパーアリーナでもないので表情はやや見えづらいという程度。周りを見回すと既に空席はほぼなし。転売屋から買った人も少なからずいるのだろうか、と考えるともやもやするので一旦忘れることにする。運営側のカメラが4台程度設置されているのが見える。最前列は招待席なのだろうか?まだ空席。すぐ前の席は壮年の女性で、あーやっぱり色んな人がいるな、と不思議な感覚を覚える。入手経路はひとつではなかろうが、ここに来るには小さくない手間なり費用をかける必要があるはずだ。円楽師匠が普段横浜にぎわい座の落語会を3,000円でやっていることを考えると、やはり一回限りのつもりの伊集院リスナーがほとんどなのだろう。普段伊集院ですら姿を見ない声も聞こえないラジオリスナーが、ここに集まっている。リアルイベントという意味ではジョークTシャツ企画(2001年)以来ということになるのだろうか。若者が少なく見えるのはそのままリスナー層なのか、それとも落語というイベント故なのか。
ラジオのトークでは伊集院はよく「自分がしゃべりたいからしゃべってる」という趣旨のことを言っていたし、今回の落語会も「自分の修行の成果を師匠に見てもらいたい、お客さんは最小限でいい」と話していた。私も伊集院のために行くだの応援だの立ち会うだのおこがましいことは考えず、単に反応する舞台装置としてそこにいる権利を得たつもりで行っていた。しかしおそらく竹内アナがそうだったように、長年伊集院からこんこんと湧き出してくる言葉を浴び続けているとどうしても伊集院の師匠への、そして落語への想いが見えてきてしまう。会場の中はそうした伊集院の巨大な感情にあてられた人々が手間と運(あるいは費用と後ろめたさ?)をかけて集まっているわけで、そこに加えてゲストやら花やら、どうやったってそうした背景を抜きにしてそこに座っていられるはずがないのである。私の勝手な感覚では、会場内は無言のうちにもそうした昂ぶり、喜び、非現実感でふわふわした空気が漂っていたように思う。声を出して笑ってもいいのかしら、なんて考えながら冊子を読んでいるとすぐに時間は過ぎた。

いよいよ開演。
冒頭、【トークショー】のめくりで伊集院光と円楽師匠登場、会場力いっぱい拍手。ゆっくりと円楽師匠がマイクを口元に運ぶと緊張感が走る。「こおんなにたくさん騙されちまって。これみんなお前(伊集院)のお客さん?面白い落語をやるとはチケットには一切書いてないからね」軽快にトークを進め、笑いをとっていく。伊集院は基本師匠に乗っかるか突っ込んでいくスタイル。
「こんなに来てくれるんだったら、秋か冬にまたやるかな」会場、精いっぱいの拍手。一度目は伊集院も軽くかわすが、終盤にもう一度「じゃ、次は秋冬で、うまくいったら全国回ろうな」とやると観念した様子で「じゃあ、今日やっていい結果に終わればもう一回やりましょう」。この展開は多少想定の範囲内とはいえ、有無を言わせないタイミングで放り込んでくるのがさすが師匠といったところ。
またお客さんについて「普段とやっぱり客層が違うね。今日落語初めての人手挙げてみて」半分弱が挙手。「入り口はこういうとこできて、また興味が出たら気軽に違う人の落語聴いてみてちょうだい」
ゲストについて、円楽師匠「ナイツは本当に人気で、落語会に出ると漫才目当てにお客さんが来る」とのこと。また爆笑問題のサンジャポ、日曜サンデーからの出演という過密スケジュールに円楽師匠が触れると伊集院「師匠だって今度ラジオ15本録りでしょう。この人おかしい!」そして師匠の病気についてなど、15分程度のトークだった。

二人が退出し、めくりは【三遊亭一太郎】。無用な注釈を入れると、この三遊亭一太郎、本名會一太郎は円楽師匠の実子で修業時代の伊集院がおしめをかえていたそうな。現在は声優としてご活躍中。初めてお顔を拝見したが、大変男前でいらっしゃった。伊集院がこの二人会前にリハーサルとして横浜にぎわい座に上がっていたことについて「伊集院さん、もとい田中のおじさんから声を掛けられ、自分も長く落語から離れていたからと丁重に辞退しようとしたが、『自分も何十年ぶりにやるから』と言われて引き受けた。それなのにコソ練していたなんてズルい」。
演目は「元犬」。途中やや早口になる場面もあったがすらすらとよく通る声、そしていかにも可愛らしいシロに口元が緩む。アクションを交えた笑いどころが多く、江戸弁もあまり強調せず、聞きやすく判りやすく笑いやすい楽しい落語。

続いてのめくりは【伊集院光】。えっ、もう?早くない?そんなもん?
若干戸惑いつつも、登場した伊集院の一挙手一投足を全員が見守る。声がとにかくよく通る。さらりと当日に至るまでの経緯に触れ、「せっかくいい帯を買ったのに腹に隠れてほとんど見えない」と笑いを誘う。いつものラジオのフリートークとは違う、強いて言うならはっきりとリズムと利かせつつも流れるようなトーク。「この演目の一声目、お崎さんの名前が出てこなくなる」という話は深夜でも既に聞いたが、内容が同じでも語り方が違っている。なかなかお崎さんの名前を呼ばない小ボケで引っ張って、すこし勢いつけて本題へ。
厩火事、特筆すべきはやはりお崎さんのキャラクター。仲人の旦那のどっしりとした江戸弁(心なしか先代圓楽を思わせた)とは対照的に、明るくてふてぶてしくてかわいい女性らしさを現代風にアレンジして演じていた。私含めた観客は、気取らない性格でコロコロと表情が変わりあげくに「チョーむかつく」とまで言ってしまうお崎さんをすぐに大好きになってしまい、最後の器を割るシーンでは全員が息を飲んで亭主の一言目を待っているのがわかった。ともすれば昨今のご時世ではみのもんたの電話人生相談みたいな重い印象を与えかねない夫婦話を違和感なく笑い話として演じた構成力、演技力にはひたすら感服するのみであった。また日頃ラジオを聴いている身としてはやはり目の前で演じている姿、それはまるで繰り返し観ていた白黒映画に色が付いたかのような世界の広がりがあった。お崎さんが丼を持って歩く姿を亭主が目で追いながら声をかけるシーンが特に印象的で、実際に存在しているのは高座の伊集院だけのはずが、小さな視線の動きやら首の角度、声の高さが脳内で変換されて小さな長屋で動き回るお崎さんと亭主がくっきりはっきりと見えていたのだ。もちろんラジオとどっちが上とかじゃなくて、初めてVRゴーグル付けたときのような不思議体験への昂ぶり的な感情。これは絶対に画面越しに観る落語ではできない体験。
サゲの後、伊集院は幕が降り切るまで何度もお辞儀をしていた。

中入りを挟んでナイツの漫才。
野球はあまり詳しくないのだが、笑いまくった。時事ネタをふんだんに盛り込みつつ内海桂子師匠、薬物いじりなど。場内大爆笑に包まれ、本来漫才もやはりM-1なんかの尺じゃ本来足りないよなーとか考える。

トリは円楽師匠。
ーーとここまで書いておいて本当になんだが、この落語を言葉で説明する無意味さというか、野暮ったさときたらなんでしょう。この日このイベントに行った感想なんかトータルで「よかった」「幸せ」しかないです。そこを敢えて何か形にしないといつまで経っても余韻でふわふわしてしまいそうなのでこうして決着をつけてるんです。それくらい良かった。
演目は一文笛。大阪のざこば師匠から教わったという。笑いは決して多くなく、サゲも唐突というか「え、終わり?」という感じなのだが、とにかくすごいものを見た。冒頭はそれと言わずに回想シーン、しかもそこで見知らぬ男に着地点のわからない過去の話をされているという、非常に状況がつかみにくい場面からスッと観客を引き込む。回想シーンが終わり、種明かしをされてこれで終わりかと思いきやそこから話が一転、急に冤罪、身投げ、指詰めなどと重苦しい話に。観る側も完全に捕まって前のめりで聴いている。そこからの、一応解決は推測できるストーリーではあるが、悪い言い方をすればしょうもないオチ。幕が降りてからも呆然としていた。
全くお笑いどころの話ではない。完全に芸術であり、トップクラスのエンターテイメントである。教養としての落語なんざ無価値だと思わせられる凄み。客観的には71歳の男性が一人で話していただけ、しかし私はその間確実に別なものを見ていた。完全に連れていかれたのだ。記憶の中でその世界は映画と同等かそれ以上の鮮かさで描かれており、台詞の中に登場した「昨日五銭のおかずを買って来やがったってんで喧嘩してやがる夫婦」まではっきりと見えている。それがふと我に返ると2021年の有楽町で、二階席から舞台を見ていた。かといって騙されたとか乗せられた感覚ではなく、不思議に心地よい後味。一発で「これが芸術というものか」と理解させられてしまった。細かいテクニックとかはもう全然わからん!本当に一人の話術に綺麗に取り込まれてしまい、とにかく呆然。

そしてお開き。コロナ対策のため、座席のブロックごとに退場。呆然としたまま帰宅。


レポートは以上、以下は翌日の馬鹿力と続けて朝の円楽師匠ゲストトークも聴いた上での感想。

やはり長年ラジオを聴き続けていると自然と自己投影してしまうわけで、何十年間抱き続けてきた落語に対する想いというか師匠に対する想いがこういう形で集大成を迎えたということに関しては「良かったですね」ではとてもとても収まらないけれど「良かったですね」としか言いようがない。そこにその背景を多少知った上で居合わせることができた自分は本当に幸せだった。二人会の始まりは1年前の竹内アナの一言だが、そこに至る道筋は遡って以前の師匠入院明けのゲスト回、あるいは歌丸師匠、久米宏、志の輔師匠、一之輔師匠とのトーク、はたまた深夜での談志師匠ゲスト、ブーラジャースペシャル、先代圓楽のお通夜のエピソード、落語リハビリ・・・等々、落語への思いが常にラジオには紡ぎこまれていた。そして伊集院が落語と同等以上に想い続けたのは師匠その人だろう。古いトークで、「それまで負の念のカタマリのような存在だった自分をなんとか人間の形にしてくれたのが師匠だ」と話していたのを思い出すが、今回はすばらしい落語を見せるだけでなく、これだけの注目を集めてみせたことで成長ぶりを披露できたのではないだろうか。そしてラジオで円楽師匠が「いいお客さんだった」「伊集院にはいいファンがついている」と言ってもらえたのが本当に嬉しい。

しかしその師匠の円楽である。先のレポートの通り、私は伊集院の落語を観に行ったつもりが円楽師匠にすっかりやられてしまった。ラジオでの「反省会」でも、終始落語のこれからについて語っていた。もうこれは完全に落語の権化というか、なんか全然違うステージに行ってしまっている。伊集院の落語は師匠へのアプローチとするならば、円楽は弟子がそうして花開くことさえ落語の一部として取り込んでしまっているように思われる。このまま行くとどこまで行ってしまうのか、これは今後どうしたってもう一度円楽の落語を観なければなるまい。

以上とりとめもなく書きつけたれば誤解を招く表現や不正確な文言多分にあれど、徒然なるままに残しておく。長ぇよ!

お寿司を食べます。