インストラクショナルデザイン学習記録④

鈴木克明先生著の「教材設計マニュアル:独学を支援するために」を中心にインストラクショナルデザイン(ID)の学習をしようと思います。
数学は独学で学べる部分が多いので、教材の力だけでどこまでできるのか知りたいと思ったからです。また、youtubeを活用した動画教材の開発をしており、そのクオリティを上げるためにIDの勉強が不可欠だと思ったので、今回の学習にいたりました。
また、このnoteは「教材設計マニュアル」をまさに独学で学習した際のレポートでもあります。引用はありますが、ほとんどすべて自分のことばでまとめていきます。
【感想】は最後に。それ以外は、私のための学習記録です。


【第3章②ー学習目標設定の仕方】

「すべての学習者は、その人にとって必要とされる時間をかければ、すべての学習課題を達成することができる」。心理学者ジョン・B・キャロルの言葉です。
「才能の差はある、学校では優秀な人とそうでない人で差がつくのは当然だ」という考え方を否定する言葉でもあります。
「時間が足りないだけ」と解釈すれば、学習者にとっても励みになるでしょう。必要な時間さえかければ必ず達成できるのですから!

さて、学習目標を軸に考えると、目標の難易度によって必要とする学習時間も変わります。
その難易度の設定が適切であることが大切です。


【教材のゴール(出口)を明確に】

・ゴールが明確でない学習目標の例
 「三角関数を理解する」
 「三角関数のグラフを理解する」
 「三角関数のグラフについて理解を深める」 


「理解する」、「理解を深める」、「わかる」というゴールは明確ではありません。なぜなら、測定不能だからです。学習者が「理解しました」と言えば目標は達成されたのでしょうか?
理解する」という現象は、頭の中で起こっています。明確なゴールにするためには、目に見える形にすることが大切です。以下のような例が望ましいです。

・ゴールが明確な学習目標の例
「三角関数の問題が解ける」
「三角関数のグラフを描ける」
「三角関数のグラフについて、誰かに説明することができる」

このようなゴールは明確です。行動でもって測定することが可能です。これを「目標行動」と呼びます。

【目標行動が評価される条件】

目標行動さえとれば、学習修了なるのでしょうか。必ずしもそうではない場合もあります。例えば、「三角関数のグラフについて、誰かに説明することができる」という行動の中には、「教科書をみながら」説明するのか、「何も見ないで」説明するのかで難易度が異なります。この条件はあらかじめ設定します。
これを、「評価条件」と呼びます。「解答をみながら」なのか、「解答をみずに」解くのか、「電卓を使用してよい」のか「手計算」なのか。「定規を使って」かくのか「フリーハンド」なのか。条件を明確にすることで学習者は迷いなくゴールへ進むことができます。
学習条件は細かければよい、というより、何が出来るようになってほしいのかを基準に考えます。そうすることで、柔軟な評価条件を設定することができます。
(※関連して複雑な計算はPCに頼ればいい、という発想の考察)

【事後テストの合格基準】


「目標行動」、「評価条件」に即したテストを作成しましょう。教材を終えたあとは、事後テストがあります。このテストでも合格基準を明確にします。
60点で合格なのか。満点で合格なのか。誤差5%以内(優位水準)で測定するのか。
学習者にどこまでできてほしいのか、を基準に考えましょう。


「目標行動」、「評価条件」「合格基準」の3つを明確に設定することで、教材が何を教えてくれるものなのかだんだん具体的になっていきます。





【感想ー1人ひとりに適した学習を!!】

この件は、熱く議論したい問題です。

ゴールにたどり着くまで、一人ひとりが要する時間や努力は異なります。一元化された「テスト」によって優劣をつけると、「あの人は、あの人より努力が足りない→怠けている」という判断が下される危険があります。
もちろん、いい点数を取る生徒と赤点をとる生徒で優劣はつきますし、学習に対する態度が良いとか悪いというイメージもつきます。

テストの点数で、その生徒の印象が左右されるのは私もわかります。しかし、その印象は「一元化されたテスト」による印象だということを忘れてはいけないんだなあ、と思います。


完全取得(マスタリーラーニング)の考え方が私は好きです。完全に習得するまで次に進まない。何度繰り返してもよいから、習得するまでやりましょう。
この考え方の延長に、留年や飛び級があります。
飛び級はいいのですが、留年には否定的な考え方が多いです。
「みんな留年してないから」という同調圧力によって、完全習得していないにも関わらず、次の学年に進もうとします。

習得していないのに次に進むのは、ラッキーなのかもしれませんが、学習者にとって苦しい状況でもあります。よくよく考えてもらえれば、「留年してきちんと理解してから次に行こう」と前向きになってもらえることもあるのではないでしょうか?

「留年は、ネガティブなものではなく1人ひとりにあった学習のための選択肢なんだ」という見方を大人ができるようになるといいんじゃないかなぁ、、、

留年は良い悪い、という価値基準に乗せるものではなく、ただの選択肢。
完全習得していないのに、「可哀そうだし、ギリギリで落ちたから、進級させてあげよう」という発想は大人のエゴなんじゃないかと考えています。習得していないのに、進級したらそれこそ「学習機会のはく奪」とも言えるかもしれません。

同じ考え方で、「転学」のイメージも考え直すことができます。

【第4章へ続く】

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