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僕はこうして出版社と縁を作った -あなたが作家になるための5つのステップ

#有料記事書いてみた
はじめに

 僕は複数の出版社の編集者や社長と知り合いである。また、複数の本を出版している。縁のあった人に編集者や社長を「無料」で紹介することもしばしばあり、その紹介がきっかけで何冊かの本が商業出版された。
 ちなみに、かく言う僕は出版するにあたり出版企画書を書いたことがない。

 これまでの37年の人生(2025年4月19日に49才になる)、特に21才で社会人になってから昨年までの16年間の主な収入は営業職で得たものだ。     

 従って、現段階では「営業のプロだが、出版の素人」である。
 そんな僕が「出版社と縁を作った方法」というのは同じように「出版の素人であろう、あなたにも参考になるのでは?」と思い本書を書こうと思った。
 あなたも本書を読んで出版社との縁を作ってみて欲しい。

1 彩図社と縁を作った方法

 彩図社は「今は」日本中のコンビニによく本が並んでいる出版社である。コンビニに自分の本を並べたいというのは僕を含めた著者の多くが思うことだろう。

 少なくとも僕や知人の中村文也さん(著書『あほな奴ほど成功する』は僕がプロデュースした)はそう考えている。
 コンビニの棚は激戦区だし、そもそもコンビニに流通させるルートを持っていない出版社も多い。
 そんな中、たいていのコンビニに本が並んでいる彩図社は、ある意味、勝ち組の出版社だと言えるだろう。

 ちなみに、僕の実家は三重県の久居という街で人口4万人弱の田舎である(彩図社刊、拙著『転職王』参照)。

 父が亡くなった時に久居駅にあるファミリーマートに寄ったら知人のライターが書いた本が目立つ場所に並んでいて、嬉しさ半分、「悔しさ半分」だったことを覚えている。

 処女作である拙著『0から始める幸福論』(彩図社・ぶんりき文庫)が出た時は久居の複数の小さな書店で大々的に販売してもらい、その書店のベストセラーになった。

 同級生や知人が書店で「久居市出身の作家臼井正己さんの本です!」というPOPを見て、

「臼井正己って、まさか、あの臼井か?と思って、手にしたらお前の本だったから」と買ってくれたという報告も、たくさん耳にした。国政選挙同様、地元の人脈の力は侮れないのである。

 僕だって、同級生の本がたまたま書店に売ってたら、よほど嫌いな奴の本じゃなければ1冊くらいは買うだろう。
 さすがに、中谷彰宏さんや千田琢哉さんや大川隆法みたいに何百冊も本を出されたら無理だけど……。ちなみに、久居市は平成の町村合併で津市に吸収され消滅した……。
 さて、冒頭で「今は」という言葉を強調した。つまり、僕が彩図社と縁を作った99年というのは、彩図社は今ほど業界で有名な出版社ではなかったということなのだ。

 僕が彩図社を知った、きっかけは名古屋の書店で買った「作家志望者のための総合専門誌」がキャッチコピーの『ぶんりき』という本だった。

「怒涛の作家志望者」だった僕はすぐに『ぶんりき』に投稿し、1回の不採用の後に作品が採用され、その流れで、99年の10月に僕は最初の本を出すことができた。
 不定期の刊行物から月刊誌になるまでに人気が高まった『ぶんりき』の掲載作品を「ぶんりき文庫」というレーベルで販売することになり、ぶんりき文庫創刊シリーズ35点が10月20日以降に全国の500の提携書店に並んだのだった。
 こうして、作家志望者の投稿専門誌を標榜していた『ぶんりき』から一気に35人もの新人作家が輩出された。
 ちなみに、この中の1名は、後に2年連続(2012年、2013年)オリコンの本の年間ベストセラーランキングに名を連ねるベストセラー作家(ペンネームを使用)になった。僕は彼と面識があるのだが、彼はmixiで拙著『転職王』に星5つの書評を書いてくれた。

※以下2022年12月加筆
『ぶんりき』の投稿者だったある女性は数年前の芥川賞の最終選考に残るほど「文力」が上がり有名な文芸誌に作品が載っている他、単行本を出版をするなど活躍している。また、ある男性はペンネームで書いた本が40万部以上のベストセラーになった他編集者として手掛けた本は2000万部以上の売り上げになっていて、こちらも相当、文力があると言えるだろう。

 作家デビューしたと言っても、ぶんりき文庫の創刊シリーズの内、僕の処女作を含む32点は38万円の費用を著者が払う、いわゆる「自費出版」だった。

 初版の500部が売れたら出版社全額負担で増刷される契約で、増刷分に関してはプロと同じ10%の印税(初版分は2%)がもらえるという条件だった。
 無名の新人作家にとっては決して悪い条件ではなかったと思う。

 知人の自費出版をたくさんしている大阪の出版社の社長は「そんな条件で出版社は利益出るんかいな?」と言っていたが、彩図社の人に確認したところ、「薄利だが、利益は出ていた。その小さな利益の積み重ねで自費出版から卒業できたんですよ」とのことだった。
 ちなみに、今は彩図社は自費出版をやっていない。

 僕の本は「発売2日目」に在庫切れになり増刷が決まった。そして、ぶんりき文庫創刊シリーズの中では最速の発売4ヶ月で3刷りになり、「公募ガイド」に出ていた「あなたの原稿を本にします。ぶんりき文庫続々増刷中!」という広告に売れている本の1つとして紹介された。

 それを見て、手書きの原稿を送ってきたのが、後に『僕、はまじ』という自伝エッセイを出版することになる「ちびまる子ちゃん」のはまじのモデルになった浜崎憲孝さんである。

 浜崎さんは有名人だったこともあり、すぐに商業出版が決まった。浜崎さんの本は発売忽ち6万部のベストセラーになった。彩図社の名前が書店で有名になるきっかけになった記念すべき本である。

 この本の次に出たのが僕の第2作『転職王』だった。02年の11月のことだ。初版は7000部。処女作の初版が500部だったことを考えると、僕の作家としての価値は10倍以上になったと言ってもよいだろう。

 が、この第2作が全く売れなかった。「200万部売れる本を作ろう!」と編集者のM氏と熱く語りあった本なのに……。
 以降、臼井正己名義の本は彩図社からは出ていない……。

 とはいえ、彩図社刊の『就職先はブラック企業 20人のサラリーマン残酷物語』という本の20人の物語の1人は僕の話(仮名で登場、巻末に本名掲載)だ。

 その他の彩図社の本に僕がモデルとなる人物が仮名で出てくるなど、彩図社と縁がなくなったわけではない。ちなみに、笠虎崇さんの『金融屋』(彩図社)は僕が編集者を紹介したら10分で出版が決まった1冊である。

 僕の処女作の編集者が現在の社長で、2冊目の本の編集者が編集長(2024年に退社、独立)である。そんな深い縁のある彩図社から、今年中に僕の新刊が出ても決して不思議ではない(2014年秋にトークアプリ755で幻冬舎社長の見城徹さんと揉めたことがきっかけで、僕がライターをして彩図社から出す予定だった中村文也さんの第2作の出版の話は白紙になった。そして、彩図社との関係も事実上切れてしまっている。その後、中村さんの第2作は別の出版社から無事刊行された)。

 初版2000部から4000部程度の小部数でも商業出版は可能だが、1万部売れそうな企画というのは、考えれば必ずあるはずで、僕の知人の作家で処女作が1万部を超えた人は何人もいる。彼らはテレビにも「先生」として出ていた。

 それは、はまじ(浜崎憲孝さん)のように作家の知名度によるベストセラーではなく、著書の企画によるベストセラーである。
 処女作がベストセラーになると2作目の依頼は複数の出版社から来るのがこの業界の常識でもある。

2 あなたも原稿用紙10枚の文章を書いてみよう!

 出版社は売れる企画を常に求めている。そして、

「本を出すのにお金はいらない!」。

 必要なのは「売れる本の企画」だけだ。
 本書を読んだあなたが、「これは売れる!」という企画があったら、僕に連絡をしてきて欲しい。  

 本作で紹介する出版社や本作には登場しないが繋がりのある編集者を紹介することは可能である。また、『分岐点』という本を書店流通なしではあるが商業出版し、既に著者には印税をお支払いるように僕自身が本を制作することもある。

 2022年10月には共著で『夢をかなえるもう』(発売元青志社)を出版したが、これは僕を含めた12人が夢を叶える物語である。
 この共著出版はニーズがありそうなので今後力を入れていこうと考えている。
 本書を購入頂いた上で問い合わせ頂ければ共著出版の詳しい参加条件をお伝えさせて頂く(2023年8月に『夢をかなえるもう❷』が発売となり、2025年中に❸が発売予定。現在は❹の執筆者を募集中!)。

 また「無印本命シリーズ」は著者には1円の印税もお支払いはしていないが、著者からも1円の費用も頂いてはいない。
 そして、『無印本命』掲載作品は少なくとも僕の知人の出版関係者は読んでくれる。これは、作家デビューしたい人にはメリットだと思うが、いかがだろうか。

『無印本命2』で表紙を飾った山下真理子さんのように、出版後、作家として幅広く活躍する著者も既に出てきた。
 また、熊谷ヤバイラジオは著者の1人である宇野元英君が『無印本命』を出版し、それを宣伝するためにラジオ出演したことがきっかけで誕生したミニFM局である(『無印本命3』(青山ライフ出版、電子書籍あり 参照)。宇野君はその後、コミュニティFMであるFMクマガヤを設立し初代社長に就任した。

 このように本を出版すると人生に変化が生まれることは珍しくないのである。それは「受身の人生から自分が主役の人生に変わるから」ではないだろうか。

 極論を言えば、「下手に高額の自己啓発セミナーに出るくらいだったら本を出した方が、あんたの人生は変わるぜ!」と言いたい。おっと、口調が原田翔太さん風になってしまった。ちなみに、原田翔太さんの『絶対領域』は『夢をかなえるもう』で書いたように僕がきっかけとなって出版された本である。

 ここで再び話を『ぶんりき』に戻そう。
 『ぶんりき』が00年に休刊して以降、素人が気軽に投稿できる作家への登竜門的な本は存在しない。
 星湖舎が「星と泉」を不定期に刊行しているのは知っているが失礼ながら当時の『ぶんりき』程の影響力はないので僕の中では無印とさせて頂く。これを読んだ星湖舎が「何くそ!」と頑張って頂けるのなら書いた甲斐があると言うものだ。

 さあ、ここからは「あなたが作家になる話」をしよう。『人は誰でも作家になれる』というのは作家の中谷彰宏さんの本のタイトルである。
 僕は本書を読んで作家になることを決め23才で作家になった。
 売れている、売れていないや有名、無名は関係なく作家を名乗れば作家だし僕のように本を出版していれば紛れもなく作家である。

 紙の本ではなくKindle本しか出してない場合はKindle本作家と名乗った方がより正確だろうが、近未来に紙の本が消滅するか極めて希少になれば、わざわざKindle本作家を名乗らなくても本を書いている人は一律作家を名乗ることになるだろう。

 また、齋藤孝さんは「書くことは価値の創造だ」と『原稿用紙10枚を書く力』で言っている。
 本書の読者はnoteのユーザーのはずだ。noteなら、すぐにあなたは文章を書くことも売ることもできる。
 もし、売るのが苦手なら『夢をかなえるもう』シリーズ用の原稿を書いて僕に送って欲しい。それが採用されれば」あなたも堂々と作家を名乗っていい。

 まずは「原稿用紙10枚の原稿を書く」ことだ。
 かくいう僕がnoteと出会ったことで、毎日のようにこうして「お金を取る」原稿を書くようになった。たった1人でもお金を払ってくれる人がいると、その読者を満足させようという気持ちになるのが普通である。そうして読者目線での文章を書き続けていけば、あなたの文章の価値は日に日に上がっていくことであろう。

3 青志社と縁を作った方法

 青志社の社長は阿蘇品 蔵氏である。阿蘇品氏の経歴は凄い。「週刊女性」編集長を経て主婦と生活社の役員に就任。その後、イーストプレスの社長を経て06年11月に青志社を創業した。独立前に、池田大作、細木数子、石原裕次郎、星野仙一などの本をベストセラーにするなど実績は申し分ないだろう。

 が、その阿蘇品社長が創業した青志社の名前は一般にはそれほど知られていない。ちなみに、僕が青志社の存在を認識したのは2013年の1月のことである。
 中日ドラゴンズの現役投手である山本昌著『継続する心』の出版記念握手会があるというので僕は1月24日に星野書店近鉄パッセ店まで足を運んだ。

 僕は熱狂的な中日ファンである。今年も熱狂的中日ファンという文字が書かれたブルーのTシャツを着てドラゴンズの沖縄キャンプに行って来た。
達川コーチからは「おい、そこの熱狂的中日ファン!」と声をかけられたり、「月刊ドラゴンズ」にそのシャツを着てキャンプを見ている僕の後ろ姿が掲載されたりした。

 話がそれたが、中日ファンだから山本昌の本を買ったのだ。正直、出版社名なんか気にしていなかった。ちなみに、僕は過去に1万冊以上、本を読んだと吹聴している。
 そして、読んだ本の出版社は意識しているほうだ。そんな本の虫の僕が知らないのだから一般の人にはほとんど認知されてないのではないだろうか。

 でも、冒頭で紹介したように、社長の経歴がとにかく凄い。従って最初に紹介した彩図社と同様、今後、いつ有名になってもおかしくない出版社だと思う。

 さて、僕が阿蘇品社長と知り合った経緯は『無印本命3』(青山ライフ出版)に書いた通りだが、簡潔に言うと、『継続する心』に誤字があったので、それを指摘するファックスを送ったら社長から電話がかかってきたのだ。

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