サイレントマジョリティー
好きを好きと言わない
でも、
嫌は嫌と言う。
もちろん、無言で。
それがサイレントマジョリティー
🟰消費者
である
Wikipediaでしらべてみると
やっぱりそうらしい。
学校で集団の中からはみ出るとバシバシ叩かれて育った我々は、実験用のネズミみたいに、人と違う意見を言おうものなら、先生に
あなたは、悪い子である
間違っている
と怒られる
ビビビビッと電流を流されてしまうわけだ
何度もそれを繰り返すうちに、ビビビビッとが怖くなって
じっと黙ってしまう
発言したり発信したりすると
酷い目にあう
痛い目にあう
という刷り込みができ、
われわれはいつしかサイレントマジョリティー
ついでに、クリエイター、創造する側の人間は、
ものすごい鈍感なのかもしれないし、
バカなのかもしれない
自分を信じて疑わない強者だと言える。
もしかしたら、防護服を着てたのかもしれない。
防護服って、親からの愛情だったり、
お友達の応援だったり、
信じてくれる優しい先生かもしれない
防護服ってのは、愛って言われるものなんだろうな
愛があるからクリエイションができ、
サイレントマジョリティーは、愛という救いを求めているのかもしれない。
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