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ラジオが私の人生に影響を与えた、という話。

 以前、いくつかの人に私はこんな話をした。

「ラジオが好きなんですよ。小学生の時分には、朝のテレビではなくてラジオでした。そんなお仕事が出来るといいなと思いますね」

 そこから不思議なもので、ラジオ番組をやってみないかとお誘いを受けた。

 ほとんど二つ返事で「やります」と言って、テストを受けた。
 今も番組を持たせてもらっている。振り返ってみてもこの話はなかなか巡ってこないものだと思っているし、妙なめぐり合わせに出会うことができたものだと思っている。

 しかし簡単な話ではない。

 ここからはやや言い訳じみてしまうのだが、私の家庭には『団欒』というものがなかった。学校であったこと、友達と話したことなんて家族で共有しない。同じ家に住んでいながら、それぞれ全く違う世界に属し、やむを得ず交差するのは衣食住の確保のためだけだった。

 特に私は部活動もほぼせず(中学に一瞬やったけど、続けられなかった)、僅かな友人らと休日に遊ぶだとか放課後に遊ぶだなんてこともしなかったが故か、基本の『報告・連絡・相談』はもちろん『言葉のキャッチボール』というのも下手だった。

 それがラジオをやるというのだから、まあ上手いとはお世辞にも言えなかったと思う。

 辛うじて上手くできたのは「時間に合わせる」ということ。

 ラジオには「まずFMのコールが入る」「番組名のジングルが入る」「ここで曲を差し込む」みたいな、簡単なタイムテーブルがある。一応、なくても番組は成立するので、例えば「ゲストさんと話が盛り上がっちゃって、曲を差し込めなかった」としても30分という収めることが出来れば成功だ。

 ※厳密には、最低限『ラジオ放送局のコール』『ラジオ番組のジングル』『エンディングのBGMはフェードアウトさせる』などがあるので、多くてもお喋り時間は二十五分が目途だと思う。

 まずはそこから慣れていった。自分でタイムを計りながら、番組の流れに慣れる。

 もちろん話す内容も決めておく。最初は「原稿」という概念を持っていなくて、本当にその場しのぎのような話ばかりをしていたし、自己肯定感が低すぎてあまりにもネガティヴな話題ばかりを繰り広げてしまったことは大きな反省点だ。

 ではいまはそんな話題を持ってきていないかといえば、多少は改善されたもののまだまだ伸びしろと余白は十分に残っていると思われる。

 次に、私は声が前に出なかった。ボイストレーニングを受けることで現在では普通の人と同じくらいには会話が出来るようになったが、少なくとも2014年(平成26年)時点では、レストランにあるテーブルに向かい合って座ったとき、相手に声が届かなかった。

 ラジオを始める前からボイストレーニングを受けていたが、ラジオを開始した時点でも声は全然マイクに乗っていなかった。それでも続けさせてくださったことには感謝するしかない。

 見方によっては、私は番組をするためにお金を払っているのから、そりゃあ払っている以上は番組を続けることくらい出来るだろ、となるかもしれない。

 何事にも多面性だ。なんにしてもネガティヴに受け取ろうとすればなんでもネガティヴになるし、逆も同様だ。

 そんなこんなでいま、私はラジオを今でも続いている。

 世には多くの情報が溢れている。私はそれを、誰かに話す機会を得たわけだ。楽しくやらせてもらっている。

 さて、そんなときに私に転機が訪れた。

 自己破産と生活保護生活である。

カバー写真:pixabay
撮影者:ThorstenF

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