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書くこととは自分を救うこと

職場から徒歩7分の距離にある郵便局。
そこからさらに徒歩7分の位置に大好きな書店がある。


上司へは、14:45ごろに
「お疲れ様です。郵便局へ行ってまいります。15:30過ぎに戻りますので、ご確認のほど宜しくお願い致します。」とLINEを入れた。

「過ぎ」はだいじ。
だってその時間を「過ぎ」てもいいから。

「過ぎ」の定義ってあるんかな。
調べやんとこ。知らぬが仏。


郵便局へはダッシュで向かい、用事を瞬時に済ませた。

タイムリミットまであと35分。
「うん、いける。いける。」

さっきよりも、ダッシュであの書店へ向かう。
この時は、本当に足取りが軽い。
不思議。急に痩せたんかと思う。

ガラス張りの小さめな扉を引くと、
暖かい色の灯りに照らされる背の高い本棚がたくさん。

木の香り、インクの香り、コーヒーの香り
不思議とここは「青木まりこ現象」が起こらない。

タイムリミットまであと20分。
雑誌と雑貨を交互に見てまわる。

関西の喫茶店を特集した雑誌、
表紙が冬色に染まったファッジ、
ホットを飲む猫舌高校生の「あっちっ」

綺麗に韻踏めたけど、全部事実やからな??

そうそう。
見たことない可愛いSUBUを見つけた。
(仕事場で履くように買おかな〜)
って思ったけど、一旦保留。
時間は割と迫ってる。

(そろそろコーヒー買いに行こかな、、、)
と足を進めようとした時、
なぜかそこへ引き寄せられた。

自費出版らしき作品が並ぶコーナー
あんまり行ったことなかったのに。


絵本のような硬くて白い表紙の本に手が伸びる。

真っ白の表紙の

左上には、暗闇の正方形。
その中には灯される蝋燭を掬うような両手

右上には、縦書きでまばゆい

左下には、横書きで僕のマリ


帯には、
『苦くて甘いよろこび
 色あせることのない思い出』


裏表紙には、
『わたしにとって書くことは、
 自分を救うことだった。』


ちなみに、袋で包まれてて中は見られない。
一択。
買うしかない。
一目散にレジへ向かった。


時計は15:20を過ぎた。やっっば。
コーヒーは買わずに、走って帰った。
嬉しいことに復路ですら足取りが軽い。

15:30過ぎ、無事仕事場へ到着。
郵便局へ行く用事がまた出来ますように。



自分も、書くことで救われてる。
noteを始めて約半年。
ジャーナリングを始めて約1ヶ月。

昔は、全部枕に吐いてた。
枕の中に、不満や不安や好きや愛おしいを全部全部

吐いてた。
詰め込んでた。

どれだけ大きな声で叫んでも、
1階にいる家族に届いていない。
最高な自分救いの方法だった。


でも、最近、見つけた。これを。

文字に起すことは、自分を救うためのこと。
自己分析や他己分析をできる。


これを、「キモい」って言うコもいるもんなあ。
関わる人、ちゃんと選ぼ。


来年の今、どんな生活をしてるのか、分からない。
この書店に足を運べるシチュエーションがあるのか。
あの郵便局に用事はあるのか、そもそも存在するのか。


もしかしたら、ここにはもう居ないかも。
そう思うと、今この生活を、よくよく愛でたい。




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