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「密林の聖者」とはどの視点によるものか①-日本人のシュバイツァー観への疑問-

 シュバイツァーのガボンでの医療活動を単純に日本人が人道主義的とみなしてきたことについて、考察します。今週は私のシュバイツァー観と寺村輝夫氏のシュバイツァーのガボン民衆への姿勢に対する批判的見解をご紹介します。(今回は当初の予定を変更した記事となります。)


私のシュバイツァー観

 (今でもシュバイツァーを無条件で「偉人」とみなしているんだな。)そんな想いをテレビ版の「ドラえもん」の「本はおいしくよもう」でシュバイツァーの伝記を読まなかったのび太とそれに怒ったのび助(のび太の父親)のやり取りを見て感じた。この話のオリジナルは「ドラえもん」のてんとう虫コミックス32巻「本はおいしくよもう」に出てきた話であり、そこには「偉い人の話 シュバイツァー」と表現されている。(※1)

 「本はおいしくよもう」は「小学5年生」1983年2月号に掲載された話であり、(※2)私自身もこの話のオリジナルは子どもの頃にコミックスの形で読んでいる。ただ、そのときは「本はおいしくよもう」のストーリーそのものを楽しんでいたという感じであり、シュバイツァーのことは知っていたものの特に意識をしてはいなかった。

 私が子どもの頃におけるシュバイツァーに関する知識は、学研「世界の偉人まんが伝記事典」に出てきた、よこたとくおの描いたシュバイツァーの箇所である。その漫画では、シュバイツァーはインフラ基盤が十分整備されていないアフリカに医師として赴き、現地の人々の病気を治療すべく尽力する「偉い」人として表現されていた。漫画の中で印象に残ったのは麻酔をかけて病気を治したシュバイツァーを現地の人々が「一度死んだ人を蘇らせるとは魔法使いだ」、「いやこの人は神様だ」と驚嘆し感激するシーンである。

 この漫画のシーンからシュバイツァーに感銘を受けて、医療職を目指すとか、海外で人々の役に立つ人間になりたいという使命感を持つまじめで誠実な人もいるだろう。しかし、私はシュバイツァーのエピソードを読んでもそのような想いを抱くことはなかった。ただ、子ども心に、さすがに麻酔といった医学の知識くらい現地の人でも知っているのではないかという違和感を覚えたくらいであった。そもそも、自分がいかに楽をするかといったことばかり考えているような性根がぐうたらな子どもだった。だから、人の役に立ちたいなどという使命感など持てるわけがなく、三つ子の魂百までよろしく、そのぐうたらぶりが今日まで続いている。

 かくして、シュバイツァーのことを気にかけることもなく、自分の身を他人や社会に捧げるという精神などまったく持たないまま大人になった。だが、現地の人が医療行為自体を理解できていないかのようなよこたの表現は、欧米が抱いていたアフリカの人々、社会に対する見下していた偏見を、私を含め日本人が無批判にそのまま受け入れていたことの表れだったのかもしれない、という想いをある一冊の本に出合って感じるようになった。その一冊の本とは寺村輝夫の著書「アフリカのシュバイツァー」である。

寺村輝夫のシュバイツァー観

 寺村は同著「アフリカのシュバイツァー」の中でシュバイツァーの生き方に疑問を抱き尊敬できないと述べている。(※3)その上で、ケニアを旅行していた際に、同行者がシュバイツァーのことを口にしたらガイドの態度が一変して口を開かなくなったこと、また、シュバイツァーはヒューマニズムのヒーローに仕立て上げられたことで植民地主義を正当化する手段となったと批判した現地の青年のエピソードがあったことを同著で語っている。(※4)

 寺村はシュバイツァーの著した文献を読んだうえでシュバイツァーを批判している。いくつか例を挙げると、① シュバイツァーは自分の価値観から見てアフリカ人を無知で無能な弟と見下し、権威を持って厳しく付き合うという思い上がった発想をしていた。(※5)② 現地の人々は手に職をもたせることや耕作を優先させるべきとして、高度な教育を受けることを否定する姿勢が現地の人を自身の医療助手、(パートナー)にしないという姿勢につながっていた。(※6)③ アフリカにおいて成人式を済ませた同世代における絆は強く、耕作、開墾などは彼らの絆によって行われているという実態を無視して、現地の人々は秩序だった仕事ができないとみなしていた。(※7)といったものがある。

 シュバイツァーの現地の社会、風習を理解できない姿勢に加え、ヨーロッパ列強が宣教師の派遣によるキリスト教の教化を通じて、やがて経済的、軍事力を背景にアフリカ諸国を植民地化したことにつながったことを考慮すれば、冒頭に紹介した寺村が体験したシュバイツァーを拒絶した人たちの姿勢の背景に何があるかはおそらくお分かりいただけるかと思う。寺村は次のように語る。

 シュバイツァー博士は、もとより熱心なキリスト教信者であります。そして、キリスト教の精神をガボンのランバレネで、実行した人でありましょう。そして、成功した多くの探検家のように、ヒューマニスト、つまり人道主義者でもあります。
 しかし、アフリカ人にいわせれば、そういうキリスト教徒が、ヒューマニストが、アフリカ大陸にまいた種は、いったい、何を実らせたか、というのです。(※8)

 シュバイツァー自身は具体的にどのような見解をガボンの民衆、社会に対して抱いていたのだろうか。次回からはシュバイツァーの著書「水と原生林のはざまで」を中心に考察して参りたい。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1)

のび太の部屋の本棚拝見(後編)(56) 参照のこと
『ドラえもん』のおはなしをドラチャン探偵団が徹底調査!|ドラえもんチャンネル (dora-world.com) 

(※2) 本はおいしくよもう | 横山泰行オフィシャルブログ「ドラえもんマンガの古典化大作戦」Powered by Ameba (ameblo.jp)

(※3) 寺村輝夫「アフリカのシュバイツァー」 童心社 フォア文庫 P12

(※4) 寺村「前掲」 P13~P15

(※5) 寺村「前掲」P89

(※6) 寺村「前掲」P89

(※7) 寺村「前掲」P108~P110

(※8) 寺村「前掲」P160


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