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FF14 Origin Episode:Rokuro Utageya -Open Your Eyes- Part1

Notice:
(先に伝えておかなければならないのですが、筆者はFF14でキャラクターを作るにあたって、普段使っているHNをそのまま用いました。
 後にキャラクターに設定を付与するにあたって、ある意味邪魔になったのですが、改名するのも変な話なので、どうせならと思い、それを利用した設定を作りました。
 この小説はそれを前提として作られています。
 宴屋六郎=私ではないということを、ここに付記しておきます。)


1.

 がたがた。
 チョコボキャリッジが揺れる。
 ある程度均された道とはいえ、所々に小石が落ちていたり、動物たちによって穴が作られていたりする。後輪がそのような道を跨ぐ度に、わたしの肩と頭は揺れる。
 黒衣森、森林地帯。
 背の高い木々からは僅かに赤色を帯びた光が漏れ出している。
 同乗者は少なく、見知った顔もない。向かいの長椅子にサンシーカーの冒険者らしき女性と、小さく髭を生やしたララフェルの男性。彼は瞼を閉じて眠っており、ララフェル族に詳しくないわたしには、彼がプレーンフォークなのかデューンフォークなのかの判別は付かない。
 そうやって周囲を眺めていると、赤髪のサンシーカーと目が合った。にこり、と自然に微笑みを浮かべる彼女。僅かに日に焼けた肌と悪戯っぽい表情は、よく似合っていた。
 が、わたしは交流が苦手なもので。曖昧に笑みのような何か、決して自然ではない真顔以上微笑未満の表情を向け、目をそらした。
 そらした先、右側にはチョコボたちの手綱を握る若いミッドランダー。森都グリダニアを中心に活動している御者で、何度か世話になっている。黒髪で快活、ある程度危険な地域まで荷運びも、『人運び』もやってくれる。便利な業者だ。
 人運び。
 今日の目的は単なる移動ではなく、冒険者ギルドから発注された仕事のため。夏過ぎからはレイヨウ――アンテロープの繁殖期となる。南部森林では雄たちが騒々しく活動を始める。
 雄同士、単に雌を奪い合うのであれば問題ないのだが、南部森林地帯の彼らはあまりにも数が多く、少しばかり歩けばアンテロープと出会う、というほどに人里との距離が近い。
 繁殖期に猛る彼らを追い払い、時に狩り、人と自然との住み分けの手伝いをする。そういう調整が必要な時期がある。それが今日の仕事だ。
 無論黒衣森の自然に介入する行為なので、グリダニアのありがたーい道士様に許可をいただいている。でなければ精霊の怒りを買うことになる。黒衣森は不思議な土地なのだ。わたしの故郷、はるか東方の森とは勝手が違うため、少し戸惑う部分だ。
 八百万の神々と似たようなものだ、と気づいてからは少し理解できるようになったが。
 キャリッジが止まった。ゆっくりと速度を落とし、丁寧に停車したので、強い慣性はかからなかった。
「荷物を少し積み込みます。天候の心配もありますし、様子見をさせていただいてもよろしいですか?」
 見ると確かに先のほうが黒く曇っている。
「もともと二日の予定だ。問題はなかろう」
 ララフェルが低い声で言った。
 休憩だ休憩と言いつつ、鞘に収まった直剣を左手に携え、キャリッジを降りた。盾も同様に抱えていたので、剣術士か。
 サンシーカーの彼女も伸びをしながら降りる。得物は手になかったが、乗り込む前に短弓を手にしていたので、弓術士だろう。わたしの知った顔ではないから、狩人出身なのかもしれない。
 いずれにしても、彼らは仕事仲間だ。同僚、ではない。感覚的には。
 単純に同じ仕事に集まっただけ。傭兵のようなものだ。
 わたしも降りて休憩しよう。
「乗り心地は良くなかったわね」
 サンシーカーが寄ってきて、わたしに囁きかけた。
「車輪式の羽車(ばしゃ)ですからね」
「そう! 最初に見て驚いたの。気球じゃないのは初めて」
 彼女はくすっと笑う。首にかけられた細鎖が揺れた。
 通常、チョコボキャリッジにはフロートとして気球を搭載する。そうすることで、わずか二頭のチョコボで車を牽引させることができ、道路の整備具合に左右されない踏破力がある。そのように発展した。
 だがこのキャリッジにはあるべき気球がなく、車輪が備わっている。ゆえにチョコボは倍の四頭も必要だし、道路によっては大きくがたつく。速度も出ない。代わりに、人間と荷物を同時に運べるほどの積載量がある。
 業界にとってもこの業者にとっても、主力となる車ではないだろうが、微妙な需要を埋める努力によって生まれた車輌なのだ。
 利用者にとってはその移動速度ゆえに『遅い』ということを除けばそう悪くはない。ほとんど荷運びのついでに人員輸送を行っているので、激安価格なのだ。
 業者発注は冒険者ギルド。費用削減に手抜かりがない。知人の海賊被れによって企画された海の旅を思い出す。あれは良くない記憶なので、記憶の詳細をたどる前に、忘れることにした。
「あたし、オ・リナ。よろしくね」
「……ロクロ。よろしく」
 差し出された手を握る。
 握手という文化には慣れない。淀みなく返せるようになってはきたが、ほぼ全ての礼をお辞儀で済ませる東方とはまったく違う。
 HALOで一度握手をしたときに、力加減がわからずに軽く握りすぎ、『死んだ魚』と笑われたのは苦い思い出だ。
「ロクロ? あまり――聞き慣れない響き」
「まあ色々あって」
 事情というほどでもないけれど、説明するには長い話だ。端的に言うのならば、エオルゼア出身の冒険者であった父と東方の母の間に生まれた子で、故郷の村を焼かれたので真実を探りにエオルゼアまでやってきました、流れ者の仕事として便利だから冒険者をやっています、皮肉なことに顔も知らぬ父親と同じ職業で、だろうか。自分で言うのも何だが波乱万丈すぎる。
 説明するのもめんどくさい。もし自分が他人だったとして、これを聞かされるのもうんざりだ
「あっ! もしかして東方出身なの? グリダニアの冒険者に東方出身のミッドランダーがいるって聞いたことがあったんだけど、もしかしてあなたのこと?」
「他に聞いたことがないし、多分わたしでしょうね……」
 顔はどちらかというとエオルゼアの人間に近いし、髪は少し染めているので容貌としては目立たないと思うが、やはりその出自はギルドから噂となって流れ、悪目立ちしている。この名前を名乗るのをやめるべきだったか。
 しかし故郷と左目が炎に呑まれたあの瞬間から、わたしは『宴屋六郎』として生きると決めたので、選択肢としてはあり得なかった。
「ね、ね! わたし、ひんがしの国から来た人はじめてなの。東方について聞かせて!」
 オ・リナの興味を強く引いたらしく、わたしは待合の長椅子まで引っ張られた。
 むむむ。彼女の猫のような耳と尻尾が楽しそうに揺れている。しばらく離してもらえそうにない。
 うう……一人にしてほしい。

「そこで俺は言ったわけよ。帰る度オーガみたいな顔の嫁さんに会うのは嫌だっつってな。まあ、まあ、まあ、おおーいに酔っ払ってたんだな、俺ぁ。で嫁さん、なんて言ったと思う? 『あたしの顔なんて大したことない、あんたなんかよりゴブリンと結婚した方がマシだった』ってよ!」
 トトダタは腹を抱えて笑った。少々酒が入っているので、デューンフォークの顔が赤みを帯びている。
 結局キャリッジは鏡池桟橋で宿泊することになった。今は焚き火を囲んで夕食を摂ったところである。テントの設営も終わり――我々冒険者は野宿することにとても慣れている。とても――、簡単に串刺しにした魚を焼いて食した。
 トトダタは持参の小瓶に入った酒を飲み、昼に見せた口調を少し崩した。
 御者は明日に備えて早めにテントに入っている。
「素顔を見せない、マスクしか見えないゴブリンのほうがいいってこと?」
「そう、そう、その通りよ」
 オ・リナはくすくす笑い、それを見た剣士トトダタがまた笑う。
 自らを笑いの対象にできる人間は好ましい。他人を笑いの種にするだけの人間より数倍、『人間ができている』からだ。
 鏡池の周囲に人影はない。ここは港のようになっていて森都の交通と輸送の拠点だが、夜も小舟が訪れるほどの活気はない。人家もなく、どちらかというとベントブランチ周辺の方が集落と呼べる。
 僅かに誘導のランプが灯っているだけで、とても静かだ。水が岩を打つ小さな音と、虫の鳴き声が聴こえてくるのみだった。
 それからもしばらくオ・リナやトトダタと談笑していたが、小雨が降り出したので焚き火を消し、各々テントに入ることになった。天候の変化でわたしの盲た左目も少し痛みを訴えかけていた。
 しばらくするとそれなりに強い雨となり、水滴が天幕を打つ鈍い音が周辺を支配した。明日は水に濡れた天幕を片付けねばならないだろう。今から気が重い。テントの設営は元狩人のオ・リナがほとんどやってくれたので、片付けくらいは自分でしなければ。
 明朗快活の彼女には随分と助けられた。人の懐に入るのが得意な人間は尊敬する。でなければ、わたしのような気難しい人間が夕食を他人と囲むことなどなかっただろう。
 毛布に包まって目を閉じる。明日には天候が良くなっているだろうか。そうでなければアンテロープの『間引き』も少々骨を折ることになる。別に雨中で矢を射ることに慣れていないわけではないが、状況は良い方が好ましい。
 寝返りを打つと足元に違和感があった。上体を起こして足元を探ると、冷たい物体が手の温度を奪った。
 月明かりがないためよく見えない。手触りからは銀細工のアクセサリーであることがわかる。また周囲を探ると細い鎖が見つかった。よく目を凝らしてみると、ロケットペンダントだということがわかった。
 身に覚えがないので、少し考える。おそらくオ・リナのものだ。設営の際に鎖が千切れたのだろう。
 悩む。
 今すぐ持っていくべきか、明日にするべきか。
 ロケットペンダントということは、中に何らかの絵画が収まっていることだろう。それが恋人か家族かは知らないが、首飾りをなくしたと思ったまま眠りにつかせるのもかわいそうだ。
 雨に濡れるのと世話になった彼女への恩を天秤に……かけるまでもない。
 今すぐ渡すべきだ。たとえオ・リナを起こすことになっても。
 しかし先程から左目の痛みが酷い。ほとんど幻肢痛に近いものだとわかっているが、雨の影響はかくも強いものだっただろうか。
 わたしは頭を振って毛布をよけ、その身を外に出そうとした。
 瞬間。
 背後から布を裂くような音。
 違和感、
 違和感、
 違和感!
 左目の痛みが強い!
 反射的に弓と、矢筒の装着された背嚢を手にとってテントから飛び出した。背後は見ていない。おそらく確認するほどの時間を与えられていない。
 勢い任せに地面を転がる。濡れた草が含んだ水と大雨によって全身ずぶ濡れになった。
 天幕の周囲に人影が複数。数えている余裕はない。ローゼンボーゲンの変形機構を展開。あまり狙いを定めず、三射。
「オ・リナ! トトダタ! 起きろッ!」
 位置を知らせる危険を冒して叫んだが、返事はない。
 雷が鳴り響き、稲光が走った。わたしの右目は反射的に情報を収集する。
 光に照らされた影は十以上。いずれも木製の仮面を装着していて表情は読めない。
 数人が手にした二叉槍の穂先に赤色が見えた。
 くそ。
 連中もわたしのことを認識した。仕留め損なったことに、気づいたのだ。
 わたしは矢を放って、踵を返す。南には影がない。少なくとも見える範囲には。
 ああ、くそっ、くそ!
 これは、罠だ。
 北のベントブランチ方面を塞ぐことで、わたしを南に追い込んでいる。人里や鬼哭隊に近づけさせない作戦だろう。
 足元が雨で泥濘む。裸足で出たのは結果的に正解だった。足の指に意識を集中させて、滑らぬように走る。道に落ちている微細な小枝が足裏に突き刺さる。
 途中見たキャリッジのチョコボはぐったりと倒れていた。息があるようには思えなかった。
 オ・リナとトトダタと同じく、御者もおそらく死んでいる。殺されている。
 背後から追手の隠さぬ足音。
 雨音に紛れてテントを囲むのはさぞかし楽だったであろう。暗殺の常套手段――わたし自身も同じ手をよく使う。
 思考を振り払い、地面を這うツリースラッグに矢を射る。雨で活性化した彼らは仲間を呼び込み、木からぼとぼと落ちてきた。
 途端に道路が樹上ナメクジで埋まる。走りながら矢を射るのは骨だったが、当てる必要はない。更に追加で十本ほど放ってから、再び疾走に集中した。
 道がふた手に分かれている。左は睡蓮岩に向か、行き止まりだ。すると右に進むしかないが、おそらくこれも彼らの思惑通りだ。
 しかし選択肢はない。
 乗るしかない。
 彼らの策通りだったとしても寿命を延長させて、その隙に生きる道を見出すしかない。
 細い細い道だったとしても。
 わたしは走った。

2.

 体が冷え切っている。
 夜の間降り続いた雨の影響もあるが、川に入ったせいでもある。
 追われたわたしはバスカロンドラザーズに向かった。大方の予想通り、道路には誰かを待っている風の人影が見えた。
 連中の仲間だと直感的にわかった。左目の鋭利な痛みに安易な理由付けをしてはならぬと学んだばかりだ。
 橋の陰から川に入り、しばらく身を潜めた。清流は冷たく、足から体温を奪った。
 浅い小川ではあるが、わたしの体を傷つけるには十分だった。
 このままでは明らかに健康を損なう(着の身着のまま追われている時点で大きく損なっている気がする)ので、川から上がり、身を隠せる場所を探した。左右どちらも急斜面でそもそも登れる場所が見当たらなかったが、なんとか斜面と岩の間に身を隠すことができた。姿勢は安定しないが、足元が水でなく、人目につかなければ何でもいい。道中いくつかの策を使って追手を引き離したが、とにかく態勢を整え、思考する場所が必要だった。
 しかし木陰にもなっておらず一晩中雨に濡れる羽目になったことと、反対側の斜面の上が見えるので下手に動くと見つかる可能性があるのは難点だった。ほとんど寝そべるようにして息を潜めることになり、全身を軽く痛めることになった。
 さて。
 どうするか。
 雨は上がったが空は曇ったままだ。ある程度体力が回復したので、思考に力を割くことにした。
 まず、なぜ襲われているか。
 誰かに追われる心当たりは――いや、たくさんあるけど。
 直近の出来事で狙われる理由が思い当たらない。
 昨日稲光の中で目撃した彼らの姿は軽装だった。木仮面といい、色褪せた緑の服といい、南部森林の密猟団に思える。
 無論彼らが変装していなければだが。
 そして彼らの怒りや恨みを買った記憶はない。あるとすればわたしが知らない何かが彼らに関係していたか――金で買われたか。
 後者のほうが線としてはあり得る。
 そうすると誰がわたしを恨んでいるのか全く見当がつかないのだが。これ以上は考えても無駄だ。
 岩から少し顔を上げて、様子を見る。バスカロンが営む食堂が見え、周囲に幾人かの住民が見えた。早朝から畑仕事に向かうのだろう。見える範囲に敵の姿はない。
 が、密猟者以外の姿に変装している可能性はある。誰とも接触しないことが最善だろう。
 バスカロンドラザーズにはただでさえ元密猟者やならず者がやってくるのだ。その混沌ぶりをわたしは気に入っていたけれども、この状況ではとても好ましいものではない。バスカロン氏に助けを求めるのは難しいだろう。迷惑もかける。
 しかしいつまでもここにとどまるわけにはいかない。冒険者であるわたしよりも密猟者としてこの地に生きる彼らのほうが森林の地形に長けている。同じ場所にいてはいずれ発見されてしまう。
 岩陰からはみ出さないように気をつけながら防水背嚢を開く。体温がなくなり、指先の感覚が鈍い。
 雨が止んだので着替えられる。さすがに全身とはいかないが、下くらいは変えられる。ただし、平時に穿いているものなので防刃性はほとんどない。それでも濡れたズボンを穿いているよりずっといい。自ら死に向かっているようなものだ。
 それとブーツだ。裸足よりずっといい。逃走中はずっと裸足であったため、小枝などで足裏が傷ついている。放っておいたら間違いなく化膿する。
 岩の間に貯まった雨水で洗ってから布で拭く。細かな痛みは無視する。足に乾いた布を巻いて、ブーツを履いた。
 こちらは防水仕様となっている。浅瀬くらいなら入っても問題ない。
 果物ナイフほどの短剣を腰のホルスターに差す。わたしの得意とする得物は弓だが、接近戦となれば使うことになる。心もとない武器だとしても、ないよりマシだ。
 その弓についてだが――置いていこうと思う。
 武器を捨てるなんてとんでもないことだが、ローゼンボーゲンは長弓だ。鋼鉄やいくら軽量とはいっても鉱石類を使っている関係上、重量は無視できない。
 そして、悪目立ちする。
 ゲロルトの名品らしく華美な装飾。黒字に金。お世辞にも森に潜むに最適とは言い難い。
 矢筒の中身も残り少ない。主要な荷物はチョコボキャリッジの荷台に置いてきたからだ。こちらの背嚢は最低限の荷物しか詰まっていない。
「詰まっていたところで、捨てなきゃいけないけど」
 つぶやいて身を起こす。いついかなるときも背負ってきた弓を置いていくのは正直なところ怖い。背筋が冷えて、不安に駆られる。いついかなるときも背中、あるいは腰に得物を提げてきたから。
 これが冒険者病ってやつかも、と冗談を思いつく。
 短弓にすればよかったな。照準器が付いていて便利だから何かとローゼンボーゲンを使ってしまうけれど、エルフィンボウのような短弓であれば、こんな状況でも携行できた……。
 過去を悔やんでも仕方がない。生きる途を探そう。
 密猟者なら短弓くらい持っているだろうし、上手くいけば殺して奪えばいい。そうすれば矢も補給できる。
 うん、元気が出てきた。
 慎重に岩陰から身を起こす。
 目指すべきは東部森林。ホウソーンの山塞の四番槍であれば、わたしの知人がいる。
 こうなってくると依頼自体がきな臭い。わたしを呼び出すための仕掛けである可能性が高い。山塞が駄目であれば、グリダニアまで戻ろう。
 途中で信用できる鬼哭隊に遭遇できれば良いが、希望は捨てたほうがいい。
 斜面を下り、再び川に足を付けた。夜と違って体温を奪われない。なんと素晴らしきか。
 音を立てぬよう、足を挙げずにすり足で歩く。進みは遅いが、斜面の上に誰がいるともわからない。
 音もなく、波紋も立てずに歩く。水中には大小様々の石が転がっており、体の均衡を保つのが難しい。静かに歩んでいることもあって、もどかしい。
 小魚の影がわたしの気配から逃げ惑う。
 直線に進むと川は右に曲がっている。かつて住民からの依頼を受けたことがあるが、この先はバスカロンドラザーズが炊事に利用している場所に当たる。わたしは曲がり切る前に川から上がった。今は誰にも会わない方がいい。
 中腰姿勢で地面を歩む。直立すれば目立つので、これからは姿勢を低く進む必要がある。近くの木まで進み、体を寄せた。
 このあたりにはオチューがいくらか棲息しているのだが、早朝ということもありまだ活動していない。本格的に日が当たるようになれば、日光を得るために出てくるだろう。その前に抜ける必要がある。
 わずかに小高い丘になっているため、少々背後に気を付けて行動する。酒場からこちらの姿が見えるのだ。
 木から木へ。周囲をよく観察してから小移動、小移動、小移動。
 ようやく丘の陰に入り、酒場から視線を遮ることができた。見るべき場所が減った。
 しかしこの後が問題だ。先の斜面を下ると森都の閉鎖監獄『トトラクの千獄』前に出る。つまり街道の一つだ。視界が開けすぎる。
 止まることはできないし、ここしか道はない。慎重に進むより他にない。
 千獄前に鬼哭隊の隊士でもいれば、と思ったが姿がない。見知った顔でなければ信用できぬ状況なので、期待値としては低かったが。
 姿勢を低く保ち、木陰から飛び出す。街道沿いの朽ちかけた塀に身を寄せた。倒れた灯篭も姿を隠すのに役立つ。整備不良がありがたいと思えるようになるとは。監獄閉鎖を決定した前幻術皇には感謝しなければなるまい。
 陰から顔を出す。近くに人影はない。
 ただ、遠くの主要な街道に緑色の影が見えた。やはりアッパーパスの主要な街道は抑えられている。
 顔の部分は黒い。髪の毛がこちらに向いている。見ていないうちに進んだ方がいいだろう。
 塀の切れ間から体を出す。そのまま飛び出した勢いで地面に飛び込み、匍匐前進で進む。木陰に入ったところで中腰に移行。忙しいったらありゃしない。
 連中はおそらくアッパーパスと沈黙の花壇の境目に人員を配置しているはずだ。このあたりの街道はそこで一本になる。ロウアーパスから蛇殻林を抜けるルート以外にはそこを通る他ないからだ。
 だから時折盗賊問題が起きるのだが――今はいい。
 下生えの中を静かに進み、樹齢何百年あるのか想像もつかぬほど巨大な大樹に辿り着いた。この大樹こそが道を狭める原因となっている。隣にこれまた巨大岩が鎮座しているため、通ることができないのだ。
 が、この大樹こそがわたしを救う。
 少々急な斜面を登り、苔むした幹に足を乗せる。苔を蹴って左足を岩に。左も同じ要領で蹴り、登る。
 故郷ではこのような訓練をひたすら受けていた。登ったり降りたり飛び越えたりは得意中の得意だ。弓を降ろしたおかげでもある。
 だがこの先がもっとも問題だ。
 近いのだ。
 レッドベリー砦が。
 件の密猟者たちとは違う、無法者集団『似蛾蜂団』だが、手を組んでいるとも知れない。
 そうでなくても、得物を失ったわたしが姿を見せれば、彼らは身を剥ぎに来るだろう。いい鴨だ。
 しかし結果的に。
 彼らの姿はなかった。
 レッドベリー砦の攻防は激しい。鬼哭隊が取り返し、また奪われ。それが日常となっている。運よく鬼哭隊が制御している時期だったのだろう。
 わたしは幸運を噛みしめて進んだ。

3.

 クォーリーミルの外壁が見える。グリダニアのハムレットの一つで、南部森林における一大拠点だ。
 物見台では道しるべ代わりの炎が燃えている。
「誰もいなきゃ中に入ったんだけど」
 つぶやく自分の声に疲れが滲み出ている。そろそろ日が真上に登る。この数時間警戒しながらの前進を続けている。
 鬼哭隊に見つからないようにではあるが、周囲に密猟者の影がある。中に入ろうとすれば見つかってしまう。
 予定通り東部森林に向けて前進だ。
 背嚢から革袋を取り出して口に付けた。清水が乾いてひび割れた唇と、からからになった喉を潤す。
 もっと飲みたいという欲求を強い意志で抑えて口を離した。今後食糧も水も補給が難しいということを考えると、節約するに越したことはない。
 中腰姿勢で歩く。
 しかし鈍ったな。斥候としての技術を叩き込まれた時期には一日中警戒しながらの前進ができたものだが。
 正面切っての戦いばかりだったからか。
 と。
 風切り音。
 聴き慣れすぎた音。わたしが普段立てる音と酷似。左目の痛みが再発する。
 心当たりが身近過ぎる。
 矢を射かけられた!
 幸いにして一射目は命中しなかった。目の前の地面に矢が突き立っている。
 角度から射手位置を推測。
 急すぎる。樹上だ!
 ムーンキーパーの女の灰色の肌が見えた。仮面の奥の瞳はわからない。
 くそ、上への警戒が薄すぎた。集中力を欠いた。
 二射目をつがえている間にわたしは走り出した。
 左右に動くことで敵の予測射撃を乱し、回避。命中が難しいと判じた敵が甲高い口笛を吹いた。
 集合の合図だと直感でわかった。
 連中が集まってくる。
 すぐさま複数の矢が飛来した。
「つっ……!」
 うち一本が右肩を掠めた。
 痛みと熱が広がる。
 木陰を意識して移動しているが、残念ながらわたしの背後に目は付いていない。
 ただし背中に刺さる多量の視線には、気づいている。具体的な数まではわからないけれど、線状の殺意は確かにわたしの背中を突き刺している。
 短く左右に切り返しながら走る。
 動く目標相手に射撃を命中させるのは至難の業だ。斜め方向に切り返すのは最善の移動と言えるだろう。相手が射手だけだった場合は、だが。
 得物を抱えた槍術士たちの足音が聞こえる。斜め方向に避けながらの移動は、当然ながら速度に劣る。単純に直線を走る相手と比べて、こちらの走る距離が伸びてしまうからだ。
 下生えと落葉を踏む音が、複数聞こえる。
 敵の連携に舌を巻く。
 同時に疑念が生まれる。
 採用される戦術もだが、密猟団の練度ではない。
 まるで軍隊か狩人のような――。
 思考を遮る矢が飛来。
 今度も運良く命中は免れた。頭を掠め、染めた赤髪が数本空中に舞う。
 わたしが彼らよりも有利な点と言えば、大した荷物がないことくらいだ。得物を抱えていないから、全力で走ることができる。もしも武器を捨てないままであったら、既に追いつかれていたことだろう。
 それでも喉が乾き、息が上がる。
 大した睡眠を取っていないから体が重たい。緊張に伴って脳内物質が出ているから今は走れているけれど、この状況の維持は望ましくない。集中を欠いて転びでもしてみろ、瞬間わたしの命は終了する。
 まだ何の復讐も終えていない。わたしの世界と左目を奪った連中を殺すまでは、命を紡ぎ続けなければならない。
 それがわたしの生きる理由、生きている意味だからだ。
 ――幸いにして、前方に石造りの塀が見えてきた。追いつかれる前にたどり着くことができる。
 ムントゥイ醸造庫。東部森林との境に位置している。名前の通りムントゥイ豆を醸造する施設で、丘をくり抜くようなトンネルになっているのが特徴だ。
 平時は双蛇党の隊士が数人詰めているはずだが、正直なところ期待していない。
 これまでのように周到に根回しが行われていると見るべきだ。相手の手管が底知れぬ。
 鉄門は開いている。淀みなく内部に入ることができた。
 施設内は暗く、昼日中の視界からの切り替わりに時間がかかる。ほとんど視界情報が得られない中で、豆の濃い匂いが鼻を刺した。体力の減った状態では毒でしかない。
 息を切らして侵入したわたしを見て、グリダニアの労働者たちが目を丸くする。
「魔物が襲ってくる! 逃げろ!」
 大声で嘘を吐き出した。
 一世一代の名演技。
 労働者たちはわたしの必死の形相を見て、逃げ出すことに決めたようだった。彼ら数人は、蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
 醸造庫の私的利用に心が痛まないわけではなかったが、余計な犠牲が出ないように気を遣ったのだから良しとしよう。
 急いで入口の扉を閉じた。古びた木製の閂をかける。保って数分といったところだ。
 目が薄暗がりに慣れてきたところに、奥から一人のフォレスター族がやってきた。顔を半分隠す仮面。精霊に見咎められぬようにという衣装は、鬼哭隊のものだ。
 片手に槍を携えてやってくる彼に対して、わたしは警戒を解かない。その様子を見てか、フォレスターは偽装をやめて槍を構えた。
 予想通りすぎて面白いが、反面、胃が痛い。ついでに左目も痛い。
 槍術士が踏み込む。
 槍の長射程の狙いは腹。
 突きに反応して横方向へ回避。
 槍という武器の定石から、次にくる攻撃は薙ぎ払いと予想。
 想像通りに穂先が翻る。
 身を屈める。
 頭上を刃物が通過。威力を増すために大きく力を込めていると予想。慣性でしばらく穂は戻らない。
 屈むために曲げていた脚を開放。
 バネの要領で土を蹴る。
 槍の射程を殺すためにあえて前に出る。
 戦術としては悪くないが、この先に続く行動次第でわたしは窮地に陥る。
 しかし武器がない以上、取れる択がこれしかない。
 槍術士は慣性のままに槍を振り切った。
 最悪。
 次に来るのは、穂先の反対となる石突を使った攻撃だ。
 穂の刀身ほど殺傷力は高くないが――しかしその衝撃はわたしの左肩を捉えた。
 こちらから向かっていったこともあって、威力が倍増している。人体の内側から出てはいけない、あまりに軽快な音が聴こえた。
 衝撃で吹き飛ばされる。地面に転がると、肩が地獄のように痛んだ。
 片方しか存在しない視界の隅が赤い。どくどくと頭の血管が脈打つ。
 姿勢を立て直す。どうやら醸造庫の倉庫前まで飛ばされたらしい。左後ろに引き戸が見えた。転がっている最中に見えたのは、リムサ・ロミンサの印が刻まれた小麦粉の袋だ。
 槍術士は槍を構えてこちらを見ている。
 油断がない。
 おそらく仲間の到着を待っているのだろう、と考えたところで扉が蹴破られた。
 続々と密猟者たちが侵入してくる。
 前方に人の壁が形成されていく。逃げ出すのは難しくなった。
 姿勢が低いままのわたしはじりじりと後ろに下がっていく他ない。
 襲撃者たちが一歩を踏み出す。
 わたしは一歩下がる。
 踏み出す。
 下がる。
 踏み出す。
 下がる。
 両者の間に油断はない。付け入る隙は見当たらない。
 圧倒的にわたしが不利……というより絶体絶命だ。確実な死が見えている。
 彼らの足に注視する。
 密猟者が足を踏み出そうと地面から足を離したその瞬間。
 意識が足に集中したその瞬間。
 わたしは準備していた通りに左に跳躍。
 密猟者がこちらの様子に対応できない一瞬を使って、引き戸を閉じた。
 わっ、と声を上げて彼らが扉に殺到する。
「殺せ!」
「蹴破れ!」
 直線的な殺意をいただいている。言葉遣いはあまりにも犯罪者らしいが、どういうことなのか。
 立てかけてあった農具を戸袋に嵌め込んで心張り棒とする。
 これだけでは長く保たないので壁に設置された木製棚を倒して立てかけて扉を補強した。無理に力を使ったので肩が馬鹿みたいに痛むが、無視する。
 棚の空いている方を倒したため、小麦粉の小さな袋が地面に落ち、粉が舞った。
 周囲を観察する。
 狭くはないが輸入の小麦粉袋で部屋が埋め尽くされているため、広くもない。作物の入った袋もあるが、大半は小麦粉のようで、空気は乾燥している。
 隠れる場所――強いて言うなら床下か。倉庫の奥、地面に木製の扉が付いている。おそらく床下収納だ。開いて中身を確認すると、地下の冷気でひんやりとしている。アイスシャードと一緒に冷蔵の必要な作物を保存するためだろう。
 わたしが体を折り畳めば入れるくらいで非常に浅い。つまりどこにも繋がっておらず、逃げ道はない。
 机の上には目録帳。おそらく物資を管理するものだろう。灯りのために小さなランプが置いてある。
 やれることは一つしかないようだ。
「ああ、くそ。こんなことやりたくない……」
 密猟者たちは扉を破ろうとしている。一斉に体当たりしているようで、次第に音が大きくなってきた。
 壁に立てかけてあった鍬を手に取る。武器には……できないだろうな。農具はどこまで行っても農具だ。
 わたしは重たい鍬を手当たり次第に振り回した。小麦粉の袋が破れ、粉が空中に舞う。ちょっと爽快なので新たなストレス解消法にどうか。
 相変わらず左肩の主張がうるさい。灼熱のような温度になってきている。見たくないので確認していないが、肌はきっと恐ろしい色になっていることだろう。ごりごり言ってるし。
 商品への冒涜を続けていると、咳き込むほどに小麦粉が室内に充満した。鼻もむずむずしてきた。
 地面に落ちた粉も蹴り上げてなるべく部屋に満ちるようにした。
 ――そろそろだ。
 扉ももう破られる。ほれみろ、扉と一緒に棚が吹き飛んだ。
 わたしは机上のランプを手にとった。慎重に胸元に抱えて走る。
 どっ、と人が殺到してくる。
 まさになだれ込んできたところで。
 わたしは床下収納に飛び込んだ。
 抱えたランプを空中に放り投げ。
 ランプは放物線を描いて飛ぶ。
 それを見届けぬままに収納の扉を閉める。
 内部は闇に包まれた。
 あとは音だけ。
 最初に聴こえたのはランプの硝子が砕ける音。
 次に短い轟音。耳を塞いでいなければ鼓膜が潰れていただろうというほどの、大音量。
 同時に衝撃。
 収納扉が砕ける。内臓がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたんじゃないかと錯覚するほどの衝撃。
 いや実際に内蔵がかき混ぜられたのではないか?
 錯覚なのか現実なのかわからないほど、体の内側を震わせる衝撃。
 砕けた扉の破片がわたしの肌を突き刺した。
 高温に達した熱が肌を撫でる。肌に火膨れができる。
 わたしは息を止めたままアイスシャードを掴み、肌に擦り付けた。周囲の氷結晶たちは半ば溶けているようだった。
 ――一連の事象が収まったところで、わたしは床下から出ることにした。
 もう扉がないのだから、『出る』も何もないけれど。
 口は開かない。鼻で息もしない。耳を塞ぐ必要がなくなったため、手で抑える。
 目も薄くしか開かず、姿勢は低く。
 正直なところ頭がぐらつくし、吐き気もする。皮膚の表面はひりつく。肩は激痛を越えて虚無。控えめに言って重傷。
 倉庫内は炎に舐められて黒に染まっている。作物の入った袋や家具が燃えていた。窓は衝撃で枠ごと吹き飛んでいた。
 燃えている、ということは空気があるということだ。鼻と口を開放する。有害物質を吸い込む可能性もあるので、袖で抑えて小さく息をした。
 粉塵爆発だか粉塵燃焼だか。
 空気中に舞った粉や石炭に、連鎖的に引火することで爆発が起きる――ということらしい。かつて錬金術師に教わったことがあったが、二度とやるものか。
 密猟者たちは残らず床に倒れ伏している。壁に叩きつけられた者もいるようだが、体にまとわりついた炎を振り払おうと転がっている者もいる。
 まだ頭がぐらつく。咳も出る。乾いた喉が痛い。
「ああ、くそっ……」
 本能のままに毒づくと余計に喉が痛んだ。声も掠れている。
 転がった槍を手に取る。炎を纏った密猟者目掛けて突き出す。軽鎧に覆われていない喉を貫くと、彼は静かになった。
 錬金術師によると鉱山のような大規模なものでなければ大した威力が出ないとのことだったが、本当らしい。
 全員即死するくらいの火力を期待していたけれど、そうなると内部に潜んでいたわたしが死んでいなければおかしい。人が多く、将棋倒しが起きたことで反撃の糸口になったので、これで良かった。
 立ち上がれそうな者を更に数人突き殺した。
 他にも気絶している人間が山程いたけれど、彼らを仕留めているほどの時間はない。
 短弓と短剣を拝借する。
 力尽きそうな足に鞭打ってわたしは歩き出した。

4.

 数刻の後、わたしは枯れ葉の山に身を潜めていた。
 東部森林。
 ザナラーンと近い南部森林と違ってやや気温が低い地域だ。色彩も深緑の多い南部と変わり、彩度が上昇する。
 湿り気が減っているのはありがたいが、気温の上昇に伴って砕かれた鎖骨が高い熱を帯びていた。
 即席で作った枯れ葉の迷彩の中から目だけを露出させて見つめているのは二人の男。シェーダーの二人組が焚火の跡を調べている。
 それは野営を行った跡で、水で消火されてから幾分も時間が経っていないものだ。周囲には携帯食料や火付けの道具が散乱している――はずだ。
 なぜならそれはわたしが散りばめたものだからだ。
 丁寧に、とても精緻に。人為的に自然を演出した。
 まるで突然立ち去る必要があったような。
 だから単に焚火を焚くよりももっと派手に煙が昇るよう、調整して水をかけたのだ。
 目論見通りに追跡していた二人組を炙り出すことができた。
 それに。
 二人の視線が野営跡に向いているうちに、枯れ葉の中から身を起こす。
 奪い取った短弓を低姿勢のまま構えた。
 シェーダーの一人は屈みこんで焚火を調べている。もう一人は立ったまま周囲に落ちている荷物に目を走らせている。
 ぎりり。
 弦が静かに鳴き声を聴かせた。
 対して、肩が抗議の声を挙げる。痛みという肉体が持つ最上位の行動をもって抵抗を示すけれど、わたしはそれを無視した。
 『意図的に痛みを忘れる』のは、わたしが幼少の頃より受けてきた訓練で既に会得したものだ。
 だからどれだけ肉体を傷つけられようとも、このように時間をたっぷり使える状況ならば射撃に影響など出ない。
 やや狙いがぶれているが、修正可能な範囲だ。
 わたしが呼吸を止めると、ぶれが治まった。
 右手を開く。
 弦に押し出された矢が風切り音を立てて飛び立った。
 放った矢は空中で揺れ動きながら標的に向かう。吸い込まれるように、背後から首を貫いた。
 僅かな命中音しかしなかっただろう。
 喉を貫いた故に、大した声を挙げられなかっただろう。
 わたしはそれを注意深く聴くことはできなかったし、観察することもできなかった。
 矢を放つと同時に駆け出していたからだ。
 二人組に向かって。
 いくら細心の注意を図ったところで、人間が倒れる音は消すことができない。近接攻撃による暗殺ならともかくとして、わたしのような遠隔攻撃を業とする者にはどうしようもない弱点だ。
 だがそれを利用することもできる。
 たとえば今。
 倒れた相方に気づいた片割れは、まずそちらに視線が誘導される。
 口と喉から漏れ出た血液の赤を見て、危険を認識する。
 それが矢によって引き起こされたものだと判じる。
 彼は警戒に移る。
 それまで数秒間。
 わたしは視界に入らない。
 視点が誘導されているからだ。
 それで十分だった。
 次の瞬間、わたしは彼を組み伏せていた。
 思考の空隙を逃がさない。亜麻布に覆われた腕に、矢を突き刺す。狩猟用の軽装ゆえ、さほど抵抗なく肉まで到達した。
 シェーダーは苦鳴を漏らした。
 まず痛みを与えること。
 思考を奪うのに大事なステップだ。
 鞣革の鞘から短剣を抜いて、もう片方も切りつける。新鮮な赤色が跳ねた。
 矢とは違い、短剣の方は突き刺したままにはせず、首元に突きつける。
「動くな」
 できるだけ単純な命令を下すこと。
 生殺与奪を握るのに重要な条件だ。
「口を開くな。わかったら頷け」
 ただでさえ青いシェーダーの顔がほとんど白くなっている。彼はゆっくりと頷いた。眼球は左右に揺れている。
「これからお前を尋問する。答えろ。わたしが満足する答えが出れば、お前は五体満足で夕食にありつける。理解したか?」
「……わかった」
 首筋に当たった短剣の刃に、少し力を入れる。ちょっとでも首を動かしたら皮膚を食い破る程度に調整。
「答えやすい質問から行こう。ここらを調べてる人数は?」
「六人」
「二人一組か」
「そうだ……」
 あまり派手に喋ると喉が裂けるということを理解したらしく、か細い声で彼は唸った。目元を覆う仮面を除いて、顔面の毛穴から汗が噴出しているところを見ると、かなり緊張しているらしい。
「お前たちの名前は」
「……洞の蜂団」
 やや聞き覚えのある名だ。
 新興の密猟団だったか。南部森林地帯では新興の組織が生まれては分裂や吸収合併を繰り返しているので、聞いている規模を考えると、露と消えていくような集団だろう。
 しかし成程。
 仮面の端に描いてある蜂はそれが由来だったというわけだ。先ほどから少し気になっていたのだ。どうでもいいことだけれど。
「わたしを追う目的は?」
「……知らない」
 ほーう。
「立場を理解していないな」
 力を籠めると短剣が皮を破り、首に赤い線が生まれた。
「本当に知らないんだ!」
「演技が上手なんだな」
「本当だ、信じてくれ!」
 末端が詳細を知らされていないのはよくあることだ。
 知るべきこと以外は知る必要がない。
 思考の中では理解を示し納得しつつ、口では彼が秘匿しているものとして扱う。適当に恐怖を誘う言葉を使って短剣を押したり引いたりした。
 その間に、彼らがごく最近戦術訓練を受けたことを知った。彼らの首領が急に施したものらしい。
 付け焼刃にしてはよくできているのが妙だ。
 しかし。
 今まで訊いたようなことは、別にどうでもいいんだ。
 本当に知りたいことのため、喉と舌の滑りを良くするための準備運動に過ぎない。
「お前たち、リンクシェル通信を使っているだろう」
 沈黙。
 これは肯定の意だ。
「通信に使っているエーテル帯と出力量を教えろ」
「それ、は」
 リンクシェル通信には他者を割り込ませたり傍受を防ぐために、利用している本人たちしか知らないエーテル帯がある。リンクシェルに流し込むエーテル量も組み合わせることで、簡単に他者には介入することができない通信網となる。
 ガレマール帝国のように、通信傍受技術が確立していなければ絶対秘密の通信となる。
「仲間は裏切れない……」
「いい心掛けだ、見習いたいくらいに。だが模範的行動の実践が己の命を救ってくれるとは限らないのが、人生の難しいところだ」
 わたしはにこやかに詰問する。
 肌に皺などが見られないこと、仮面以外の部分、声から彼は若者であると推察されるが、『それ』が何を意味するか理解できているようだった。
 通信機の一つを奪えれば、彼らの様子は手に取るようにわかるようになる。殲滅も容易ではなくなる。
 わたしのような遠隔狙撃と暗殺に慣れた者であれば、特に。
「…………」
 仮面の奥に見える青い瞳は揺れている。
 わたしとしてもこの質問にはぜひとも答えてもらいたいものだ。今までの質問はどうでもよかったけれど、これは訊き出さなければ自分の命に関わる。
「話しやすくするために、少しばかり昔話をしてやろう」
「何……?」
 急に話題が変わったために声に混乱の色が見えた。
「わたしはこのあたりの生まれではなくてね。というか、エオルゼア生まれですらない。遥か東方の、エオルゼア人が聞いたこともないような僻地で生まれ育った。人里から離れた山地でね、黒衣森とは地形が違うが、風景自体は結構似ている。だからお前にも想像しやすいはずだ」
 シェーダーの顔には困惑の色が浮かんでいる。なぜこのような話をされるのかわからないといった風だ。
「だが黒衣森とは異なる点があってな。故郷では一切の菜食が禁止されていたんだ。森の恵みを享受してはならないというのがその地に生きる者の掟でな。この辺は精霊を第一に考える黒衣森に似ていると思わないか。だからわたしは冒険者になってこの地を訪れるまで、菜食というものを知らなかった。野菜や果物は食すものだと思っていなかったんだ」
「…………」
「さて、エオルゼアとは異なる点がもう一つあるんだが、これはよく聞いてほしい。故郷にも密猟者がいた。そう、ちょうどお前たちのような、だ。肥沃な地であったし、食料となる動物にも事欠かなかった。ましてや人の手が入らない原生林だ。異邦人からすれば、いかに魅力的な森であったことか。薬効のある薬草も多かったのだろう。森を守るために何度も何度も戦ってきた。冒険者となった今考えれば、大金になることがわかるがね」
 短剣はその位置を維持している。
「わたしたち森の居住者は、異邦人とは異なる文化を持っていた。我々は戦った相手を尊重した。たとえ敵であっても、死者を尊重した。その戦いぶりを評価して、尊敬した。戦士は最も崇高な人間だ。戦士の死を無駄にしてはならない。ただ腐り果て、無意味に大地へ還ることをしてはならない。生きた証を、倒した者が受け継ぐべきだ。……こういった文化から何が生まれると思う?」
 密猟者の若者はこの先に続く言葉を理解していない。
 意識の空白。そこに言葉を流し込む。
「食うんだよ」
「……え」
「闘いで倒した相手は敬意をもって食うんだ」
 理解が及んでいない。
 これが異文化交流ってやつだ。
「菜食という文化がない土地で、わたしは肉の味を覚えて育った。猪や鹿、あるいは家畜たちの肉。そして、ヒトの肉、だ」
 シェーダーは震え出した。ようやくわたしの言葉の意味を理解し始めたらしい。
「さて、故郷には密猟者が多かったと言ったな。森を守るために戦うとも言った。だから」
「や、やめてくれ」

「密猟者を見るとね。腹が、減るんだよ」

 わたしは微笑んだ。彼の首筋の血液を掬い取り、舌に運んだ。
 不味い。
 事実と虚構をいい塩梅で混ぜ合わせるのが、真実味を滲み出させる効率的な手段だ。
「しかも時間を忘れるくらいお前たちに追われて満足に食事を摂れていない。腹ペコなんだ」
「あ、あ、あ……」
 息が荒い。
 短剣が喉に当たっていることを忘れるくらい、乾いた呼吸をしている。また首の皮が破れる。
「さ、交渉と行こうか。ここに至った時点でわたしは既にほしいものを得ている。お前こと、食料だな」
 余った血液を顔に塗る。恐怖の演出にしては少々やりすぎている気もするが、動転している相手は、あまり疑問を抱かない。
「あるいはその食料を手放すことで、ほしい情報を得ることができる」
 選べ、とわたしは告げた。
「仲間を守るために食われるか、生きて戻るか。わたしはどっちでも構わない。情報が得られなくともわたしの腹は満たされるし、試してみたい調理方法もある」
 彼の耳に口を近づけて、囁く。
「……もし話したとしても、密猟団に情報が広がるまで幾日もかかるだろう。その間に荷物をまとめよう。時間があれば違和感なく逃げ出せる。黒衣森からザナラーンに向かってもいい。エオルゼアは広く、密猟団での経験があれば傭兵にだってなれるだろう。ひょっとしたら冒険者になれるかもしれない。今のお前は自由だ。自分で道を選ぶことができる。お前の好きにしていい……」
 シェーダーの喉はひゅうひゅうと音を立てている。
「お、おれは」
 わたしは続く言葉に耳を傾けた。

5.

《茨の森周辺に向かった二名との連絡が取れない。二班と三班を向かわせろ》
 耳に装着したリンクパールから男の声が聞こえる。丁寧なことに、ルートの指示まで入っている。
 ありがたい。巡回を躱して進むことができる。
 わたしは今、ホウソーンの山塞までに向かって歩いている。
 茨の森からはさほど遠くはない。
 枯れ葉の山に隠してきたが、『二人の死体』が見つかるまではそう時間はかからないだろう。
 ま、こうなると楽勝だ。鬼哭隊に出会えれば重畳。
 隊士に護衛してもらえばよいのだ。幸いにして、わたしには伝手がある。
 緊張がやや緩む。
 しかし末端を尋問したところで、彼らの目的は知れなかった。
 知ることができるとも思っていなかったが、ここまで追われてほとんど情報なしは気が滅入る。
 戻ったら情報屋に連絡を入れよう。
 ザナラーンのこととなれば敏腕のワイモンドだろうが、黒衣森だと誰が良いか。
 むしろ、広大で鬱蒼とした黒衣森の情報を、正確に把握できる人間などいるのだろうか。
 故郷に似た風景であるのは落ち着くが、こういった状況に陥ると困ったものだ。木々と、そこに生きる人々が、情報の伝達を阻害してしまう。
 犯罪者関連となるとバスカロン氏だろうが、再び密猟者の巣窟である南部森林地帯に戻るのは悪手に思える。
 他の冒険者を雇って向かわせるか。ついでに荷物の回収も頼もう。先日のリスキーモブ狩猟で、ギルにはやや余裕がある。
 どちらにせよ冒険者ギルドのミューヌと話さねばなるまい。
 考えがまとまった頃合いで、行く手に緑色の皮鎧を着込んだ人物が見えた。
 顔には木製の仮面。精霊に顔を覚えられないためのものだ。
 その背の高さと髪色、風貌には見覚えがあった。
「やれやれ、ようやくまともな人間と出会えたぞ――」
 安堵の息を吐こうとした瞬間。
 左目が痛み出した。
 同時に何かが飛来する。
 肩と首の間、右腕を掠めた。やにわに体が熱を発する。
 鈍化する時間の中で、それが投擲用の短剣であったことを認識する。正確にそれを視線で追わず、構える。
 瞬間、目の前に男が現れた。
 嘘だ。
 速すぎる。
 鈍い銀色が肩を狙って突き出される。
 短槍!
 体を捻って躱そうとするが、喉を狙い、突き出される速度が尋常ではなかった。
 肩口が引き裂かれて鮮やかな赤が散る。
 弓を構える暇もないため、捻りの動きを利用して右足を繰り出すが、空を切った。
 すでに身を引いている。
 わたしは肩から弓を降ろして、急ぎ構える。矢をつがえると、敵は口笛を鳴らした。
 既に木陰に隠れており、僅かに緑の鎧が見えるだけだ。
「短剣も槍も殺すつもりで繰り出したんだがな」
 鬼哭隊士ではない。
 変装か、何か。
 密猟者の一部だろうが、技があまりにも鋭すぎる。
 短剣による視線誘導、距離の詰め方、瞬速の槍撃、射撃警戒の遮蔽物移動。どれを取っても達人の域に達している。
 それも単なる武道の達人ではない。実践戦術としての動きが洗練されすぎている。
「宴屋の六郎を名乗るだけのことはあるということか」
 懐かしい呼び方だ。
 しかし彼は東方人には見えない。典型的なフォレスター……のはず、だ。
 記憶が正しければ。
「どこかで恨みを買ったかな」
 弓を支える左腕がぐらついて照準がぶれる。
 痛みを無視しても効かないくらい、大きな負傷を受けた。
 どうする。
 相手は相当な手練れだ。
 正直なところ、生き残れる気がしない。
「いんや。ただ、俺の知ってる宴屋じゃあないからな」
 その言葉に、わたしの思考は急停止する。
 こいつは今、何と言った?
「どこぞの嬢ちゃんが『死んだはずの宴屋六郎』を名乗ってるからさ、興味が湧いた」
 木陰の草が揺れると、黒い影が襲来する。
 空白を突いて、距離を詰められた。
「あんたは誰だ?」
 言葉と槍が繰り出される。
 横手から弓を叩きつけて逸らす。
 完全には受け流しきれず、脇腹のあたりが裂かれた。
 閉じた歯の間から唸り声が漏れた。
「里には子供が多すぎたし」
 槍が翻る。
「今から調べようにも生き残りがいやしない」
 柄が右半身を強打する。
「だから密猟団を乗っ取って直接見に来たんだが」
 わたしは吹き飛ぶ。
 背中から樹木に叩きつけられた。
 全身に痛みが走る。
「その風貌にはちょいとだけ見覚えがなくもない。が、いまいち思い出せない」
 再接近。
 槍ではなく蹴りが繰り出された。
 冷静だ。
 もし槍を外して樹木に命中すれば、致命的な隙となることを理解した行動。
 転がって回避。
 相手は言葉を発しながらも息を一切乱していない。
「あんたは誰だ?」
「わたしは」
 矢をつがえる。
「宴屋六郎だ!」
 照準がぶれる。放った矢は目標から大きく逸れ、樹木に命中。込めていたエーテルが爆散して、無意味な彩りを飾った。
「業は確かに宴屋なんだがなぁ」
 ちぐはぐだ、と彼は言葉を零しながら槍を突き出す。
 防御に差し込んだ弓が槍の穂先で絡めとられ、弾き飛んだ。
 続いて顔面を思い切り蹴られ、転がる。
 地面と空が交互に視界に映る。
 口の中を切ったらしく、鉄の味が広がった。
 脇腹から生命が漏れ出ていく感触がある。手で押さえるが、止血にまで至らない。
 目の前に槍の穂先が突きつけられる。
「試合終了だ、贋作」
 贋作。
 贋作だと?
 ふざけるな。
「偽物じゃ、ない」
 内臓が痛めつけられている。うまく声が出せず、咳き込んでしまう。
 それでも声を出した。
「わたしの、復讐も、終わらせな、い」
 己の魂に火をくべるために。
 男は笑った。
 心底楽しそうに嗤った。
「あんたのことはよくわからんが、その精神性はよくわかったよ」
 仮面の奥の瞳はよく見えない。
 ただ冷えた視線だけがそこにあった。
 対象を冷静に観察する、研究者のような視線だ。
「里の報復のために己を宴屋六郎と定義したか。あいつの弟子か何かなんだろうが、その自意識が、お前の刃を鈍らせているってところかね。無意味にすぎる」
 見透かしたようなことを言い続ける。
「興味深いと思わないか。俺は宴屋と浅からぬ縁があった。あんたもおそらく同じだろ。それがエオルゼアなんて遥か西方に至って、殺しあっている」
 死にそうなのはあんただけだがね、と彼は笑った。
 その笑顔は、どこかとってつけたようなもののように感じられた。
「里の生き残り二人が何やってんだろうな」
 ……何と?
 今何と言った?
 それを声にしようとも、絞り出すほどの力が残っていない。
 視界は揺らめき、地面に倒れ伏したい衝動に襲われている。
「ま、いいや。死んどけ――」
 槍を振りかぶった瞬間。
「そこの者! 動くな!」
 複数の声が挙がった。
 声の方向を見やると、チョコボに騎乗した男たちが数名こちらに向かってくるのが見える。
 緑の鎧に背中には槍。顔に木製の仮面で個性をなくした風貌。今度こそ本当の鬼哭隊だ。
「ははぁ成程。さっきの矢だな」
 男は察しがいい。
 黒衣森は、あらゆる場所に精霊の目が張り巡らされている。
 木々が傷つけられれば、すぐに人への警鐘を鳴らすだろう。
 各所に駐在している道士はその警鐘を見逃さない。すかさず鬼哭隊を派遣する。
 エ・スミ様をはじめとする幻術の道士たちは激怒するだろうが、しかしわたしが生き残る手はこれしかなかった。
 時間稼ぎに会話を続けていたが、あまりにもぎりぎりだった。
「世には俺の知らんこともあるものだ。何かそういう法則が動いてるんだろ」
 くくく、と面白そうに笑った。
 借り物を思わせる笑いで。
「全員皆殺しでも一向に構わないが、お前の奇策に免じて退散してやるとしよう」
 ……気づけば姿が消えている。
 どんな奇術を使ったのか。考えようとしても思考がまとまらない。頭に靄がかかっているかのようだった。
「ウタゲヤ?」
 チョコボを降りた一人の隊士が、わたしに駆け寄ってくる。残りは男の捜索を開始した。
 ああ、わかっている。
 君たちが訊きたいことも、森を傷つけたことへの弁明も、何もかも、わかっている。
 けれどもすべてが億劫になり、舌がうまく動かない。
 落ちてくる瞼にも逆らえず。
 わたしは。
 意識を。
 手放した。

Part1 end

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