2019.4.15~16 最新の思考のまとめ

すこし前まで、イメージを声にした瞬間から、そのイメージは、もうすでに崩れている気がしていた。
言葉とメロディーの連続によって、それはどんどん崩れて、音楽的なところから離れていくのを感じていた。

歌声紀行を始めて1ヶ月とすこし経つが、どうしてもイメージとずれて気持ちが悪かった自分の声が、解消し始めた。

良い音の通り道は、やっぱり、軟口蓋裏の狭い空間にありそうで、イメージがそのまま音になるのは、その空間を抜けた時だと思った。

鼻腔共鳴とかいう言葉があるけど、ちょっとそれとは違う。
共鳴というほど大げさではなく、純粋な音が抜ける感じ。

鼻から空気が漏れているイメージもあるけど、同時に耳抜きにも近い。
それも、意識しすぎるとだめで、あくまでも音が抜ける感覚を掴むためのもの。

■連続する音程と言葉毎に、その狭き門を通り抜ける感覚。

声の響きは物理的に考えると、声帯から口内と鼻腔方面にしか抜けない。頭部共鳴とか胸部共鳴ということもあるけれど、それはその結果コントロールすること。
初めからそこへ向かおうとすると、音楽的なところからどんどん離れる。

連続する発声の渦中で、音は軟口蓋で遮断され、口内だけに留まってしまっうと、まるで穴を塞いだバイオリンのように、音がこもる。当然イメージしている音は曇り、抜けも音程も悪くなる。
それでも響かせることは可能だから、響きに惑わされて音楽から離れてしまう。響きだけが外に出て、音がこもっているようには聞こえないから、始末が悪い。

そう、音は、抜けていなくても、響くから、その判断が難しい。
軟口蓋裏を抜けるからって、鼻声になるというわけでもない。

音が音楽的に、音程の見えやすい響きのまま外に出るために、軟口蓋裏を通過させてあげる方法は、人それぞれのアプローチで良いはず。
その音の抜けを実現するためだったらなんだってありだと思う。

音程、言葉によって、使う筋肉が違うから、一つの方法に凝り固まってはいけない。

とにかく今は、そこに導くことをイメージして、それについてくる体に耳をすますだけだ。

音程や、言葉によって変わるそれぞれを、メソッド化できるまで、とにかく軟口蓋裏へ一音一音導くことに専念したい。

そして、もう一段階抜ける音の方法を、今、試し始めている。

今の感覚は、これまでのように目を離してしまえば、すぐにどこかへ行ってしまいそうなものと、すこし違う。

僕の中では、これまでよりずっと具体的になってきている。

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