貴方の隣なら。
最近彼といると私が私じゃなくなる。
今までの私は、目を見て好きだなんて言わないし、キスをしたあともう一回なんておねだりもしたことない。運動もするより見る派でホームランドームに行っても見るばかりだった。
そんな私が、目を見て好きだと伝えて、おねだりもして、彼と一緒になってはしゃぎながら運動をしている。余韻に浸りながら「運動楽しかった」と嘘偽りなく言えている。
先日、一番大きな変化を感じた出来事があった。
それは、彼が私と出かけたはずの場所を友達と出かけたと間違えてそこで発見したことを私に報告してきたのだ。
その時その場で私と彼が盛り上がった話題で、当然私も知っていることだった。
今までの私なら、「そうなんだね」と傷つきながらも流していたけれど、間違えた彼に対して「一緒に行ったじゃん!」と反論した。
本気で謝る彼と、本気で不貞腐れる私。
「傷ついた」という事実をその場で相手に伝えられることが、すごく嬉しかった。そうさせてくれる彼がいてよかったと思った。
大きな喧嘩にもならず最終的にはネタにして笑い合えたことも嬉しかった。
もう押し殺さなくていいんだと安心できた。
今までの私もちゃんと私なのだけど、柄にもないことをしてしまえるのが嬉しくて少しむず痒い。恥ずかしい。
私が私じゃなくなれるのは、他でもない彼のおかげ。可愛いと笑ってくれるから、愛おしそうに頭を撫でてくれるから、彼は本当に嘘をつかないから、私は彼の前で思いっきり「私」を楽しめる。
目を見て好きだと言うのもまだ慣れてないし時間もかかる。素直になるのもすごく抵抗がある。いつかまた、そんな人だと思わなかったと愛想つかされて離れてしまうんじゃないかと過去の恋愛が邪魔をすることもある。
けれど彼なら、彼の言葉なら信じられる。
「照れてるの?」と何度も聞く彼に思い切って肯定をしてみると、何度も「かわいい」と声を震わせながら抱きしめてくれた。
目を見て好きだと言えば、「心が温かくなった」と幸せそうに言ってくれた。
この人と付き合えてよかったと思えた。
彼といると私が私じゃなくなる。
けれどそれはとても心地よくて頬が緩む。
いつも調子を狂わされて知らない自分を曝け出してしまう。
違う場所で生まれて、違う環境で育った彼だから、私の知らないことや知らない場所をよく知っている。彼の思い出の断片に連れて行ってくれるから、私もその断片を知ることができる。
これから先知らないことを彼の隣で幾つ知ることが出来るのだろうか。そしてそこにはどんな私が立っているのだろうか。
私だけど私じゃない。
でもそんな自分もなかなか嫌いじゃない。
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