【歌詞考察】back number「雨と僕の話」に見る、「失恋を受け入れる」ということ


記念すべき最初の記事は、back numberの「雨と僕の話」について。

以下注意事項

  • 全て個人の解釈であり感想であり妄想に過ぎません。なんの責任も負いかねます。

  • 誰の考えを否定するつもりも、肯定するつもりもありません。これが正解だとも思っていません。

  • SNS等でこの記事や題材の楽曲について言及される際には、本家アーティスト様にご迷惑がかからないようご配慮をお願いいたします。


それでは、はじまりはじまり。


1.歌詞分析

歌詞を引用しつつ箇条書きで解釈していくよ。
脳内で全ての文末に「〜かも。知らんけど」を付けて読んでね。

雨の交差点の奥にもうすぐ君が見えなくなる
おまけのような愛しさで呼び止めても
傘を叩く音で届かないだろう

・雨が視覚的にも聴覚的にも"君"を覆い隠していく="君"が物理的&精神的に僕のもとから遠ざかっていくことの表現。

・"おまけのような"という表現は、もう"僕"の中に本物の"愛しさ"がないことを暗に示している。未練と言うよりは情に近い。

終わったのさ ただ 君と僕の話が
エンドロールは無い あるのは痛みだけ

・"終わったのさ"という述語を先に置く=倒置法で強調している。

・続く"ただ"は、"僕"がこの失恋はなにも特別な話ではないと理解し、受け止めている表現。「僕と君の話がただ終わっただけ」なのだ。

・"エンドロール"って?
=「ある作品の制作に関わったスタッフの名前が流れるやつ」なので、「エンドロールが流れる」=それは創作物であるという前提になる。

・《エンドロールがある=創作物》なのであれば、《エンドロールがない=創作物ではない》が成り立つ。

・つまり、"僕"はこの失恋を紛れもない現実として受け止め、受け入れていることが伺える表現。

ついに呆れられるまで直らないほど馬鹿なのに
君に嫌われた後で僕は僕を好きでいられるほど阿呆じゃなかった

・"馬鹿"と"阿呆"の対比がすごい。

"ついに呆れられるまで直らな"かった、考え無しの自分は"馬鹿"だなと思うのに、
"君に嫌われた後で"自分を好きではいられない=後悔に捕らわれて考え込んでしまう=気にしないでいられるほど"阿呆じゃなかった"

・いっそ阿呆で居られたら楽だったかもしれないのに、という嘆きもある?かも。

今となればただありきたりなお話
言葉にはできない そう思っていたのに
終わったのさ ただ 君と僕の話が
エンドロールは無い あるのは痛みだけ

・誰にとっても付き合っている当時や別れた直後はその恋が一世一代の恋で、"言葉にはできない"くらい特別なものだったと思いたい。

・しかし、"僕"はここで、自分の失恋は"ありきたりな"ものでしかないということに気がつく。

どうして ああ どうしてだろう
もとから形を持たないのに
ああ心が ああ 繋がりが壊れるのは

・「形を持たないくせに壊れやがって」という恨み言のようにも読める。
・喪失感と悲壮感の表現。

君が触れたもの 全部が優しく思えた
例外は僕だけ もう君は見えない

・ここだけ自分の解釈を上手く書けなかったので思いついたら追記します。ごめんなさい〜

2.考察〜失恋を受け入れてるタイプの男、back numberの曲では珍しくないですか?〜

前章でも何度か言及しましたが、この曲の主人公は失恋を現実として受け止め、受け入れており、back numberの楽曲に登場する失恋した男にしては珍しく、メンタルが強めの人物だと考えられます。

「いやいや、冒頭で彼女のこと呼び止めようとしてたし、受け入れるまでは行ってないんじゃないの?未練タラタラなんじゃないの?」という考えもあるかもしれませんが、私はそうは思いません。

だって、もし気持ちが残っていて絶対に別れたくないのなら、雨なんてかき消すくらいの大声で呼び止めれば良いだけの話です。
じゃあ何故それをしない(できない)のかと言えば、"僕"の中に彼女との関係は修復不可能だという自覚があり、それがブレーキになっているからなのではないかと思います。

加えて、自分の中に残る愛しさを、"おまけ"と言ってしまうことができるのは、どこかで"僕"自身も「もう無理なんだ」と思っている(理解している)からなのではないでしょうか。

また、サビの"エンドロール"云々のくだりでも書きましたが、妙にリアリストというか、冷めているというか、自分の失恋に対してそこまでしなくてもってくらい自嘲的な受け止め方をしているように見えます。

これには、
・「終わってしまえばこんなもんか」という虚しさ。
・「大したことない」と言い聞かせることで傷を浅くしようとする防衛本能。
・悲しさで自棄になって自嘲している。
などなど様々な解釈ができますが、肝心なのは"僕"が「何故ここまで自嘲的なのか」という点ではなく、「自嘲的になってなお、結果を受け止めている」という点です。

反対に、結果を受け止められない男がどうなるかと言えば、玄関のドアを開けたり閉めたりする度に「君がいればなあ」って思ったり、テーブルの上の傷ひとつに君を見つけたり、君の代わりなど僕はいらないとほざいてみたり、人混みにチェックのワンピースを探してしまったりするわけです。

「雨と僕の話」以外のback numberの曲、特に男性目線の失恋ソングを聞いたことのある人ならもしかしたら共感してくれるかもしれませんが、私は、この曲の主人公のすごいところは、縋らないところだと思います。そこが、他の失恋ソングの主人公とは違うところだし、現実を受け入れるメンタルの強さを持ち合わせているのが面白いな、と思うのです。

以上、「雨と僕の話」の考察と感想でした。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
それでは、またいつか。

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