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手術                   ――画像しりとりはじめました(#156)

(#155) 勝負師→「し」→手術


「…どっちの腎臓だっけ?」

「右です」
「左だろ」
「右ですって💢」
「左だって言ってんだろ💢」


「まあまあ。もめない、もめない。
 じゃあ、念のため、両方とっちゃおうか♪」



……ダメです、絶対( ̄∀ ̄)。

『白い巨塔』や『チームバチスタの栄光』等、ドラマや映画ではよく題材にされる「手術中の予期せぬトラブル」。

実際問題として、手術中にビデオを回したりというケースが増えて、多少は風通しが良くなっているとは思われるが、それでもやはり、「手術室の中は依然、ブラックボックス」なのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

それは、私が社会人になってまだ日の浅い、20代前半の頃の話。

勤務先が高校だったので毎日がそこそこ賑やかだったが、それが体育大会のようなイベントの日とくればなおさらのことである。

私は当然、教職員チームの一員として参加していた。
年齢がまだ若いということもあり、軟式野球チーム、それもピッチャーという比較的重要なポジションを任されていたりなんかする。

小さい頃は病弱だったが、成長するにつれ潜在的なポテンシャルが徐々に顕在化していた私は、とりあえずどんなスポーツでも人並み程度以上にはこなせるようになっていた。
野球もそれなりに自信もあったし、何よりデスクワークを離れての非日常空間がけっこう楽しい。

教職員チームは、もともと例年は参加しているだけの頭数合わせにすぎなかったらしい。
しかし、生徒たちとさほど年齢の変わらぬ若くて生きのいい大人が数人加わりガチで挑むとそこそこ強いようで。
ダークホースの教職員チームはポンポンと勝利を重ね、2日目の決勝戦へとコマを進めていった。

最初は、たまにはデスクワークを離れて身体を動かすのもいいもんだな♪くらいでやってた私も、野球好きな直属の上司がヘンに入れ込んできて、
優勝したら今日は祝勝会だな、なんでも好きなものご馳走するぞ、などと煽ってくるとなると話は別だ。
日頃から金欠に喘ぐ社会人2年生にとっては、不意に訪れた「負けられない戦いがそこに」あったのだ。

とはいえ、さすがに決勝ともなると相手は現役の高校生である、野球部員は出てないにしても、決勝に残るだけのチームはそれなりに強い。
そこまでの4試合では比較的簡単に抑えられていた我が「黄金の右腕」がけっこう打ちこまれる。

普段なら、まあレクリエーションだから(笑)、で生徒に花を持たせるのに何ら抵抗はないのだが、こちとらもはやただの体育大会のレクではない。
今日の一食、それもゴージャスな一食がかかった「負けられない戦い」なのだ。
セコいと言われようが大人げないと言われようが、ここはどうしても譲れない。

試合は最終回、かろうじて1点リードはしているものの、無死満塁の大ピンチで、相手バッターはバスケ部のキャプテン。
野球部じゃないからルール違反ではないが、そんじょそこらの野球部員よりははるかに野球が上手い生徒だ。
正直、シャレにならないシチュエーションである。

奥の手を出すか。

私は、意を決していったんマウンドを降り、グローブを変えた。
再度マウンドに上がると、今度は周りと、何よりバッターボックスのバスケ部のにーちゃんが顔色を変えた。

そりゃそうだ。
さっきまで右で投げてたピッチャーが、突然、左で投げようとしているのだから。
絶体絶命のピンチでついにイカれてしまったか、あるいは観念して笑いでも取りにきてるのか、とでも思ったのだろうか。バスケくんの表情には困惑と同時にあからさまににこちらを見下しているような嘲りも窺える。

だが、次の瞬間、バスケの顔から余裕が消えた。
私の左腕から放たれたボールは明らかに今まで投げた球よりも速かったからだ。

タネを明かせば何と言うことはない、私はもともと左利きなのである。
左利きを「ぎっちょ」と呼んで忌み嫌っていた昭和フィーリングの父によって日常生活は総て右利きに矯正されていて、小学校5年生で初めて野球をやりたいといった時も、喜んで買ってくれたのは右利き用のグローブだった。

利き手じゃない右でのプレーを余儀なくされるので最初は見るもヒサンなヘタクソだったが、よくしたもので、2年も続けると、右手でもそこそこ周りと遜色ないプレーができるようになっていった。
まあ、野球漫画『ドカベン』のスイッチピッチャー、わびすけこと木下次郎の逆バージョンといったところである。

野球は普段右でプレーしているので、器用さという点ではもはや立派な「右利き」だが、単純に強い球、速い球を投げるのなら、当然もともとの利き手である左で投げた方が速い。

ストラックアウッ!

ノーアウト満塁の大ピンチから、最大の難関ともいうべき相手チームの主軸のバスケ部員を三振にしとめた。あと二人。

ぶっちゃけ、たった今三振に切って取ったスラムダンクが一番の難所で、これを越えたらあとの二人は、今日の対戦を見る限りそこまで脅威とは思えないレベルだ。

勝ったな( ̄∀ ̄)ニヤリ

頭の中では、早くもご褒美の豪華ディナーがチラつき始めている。
何にしようかな♪ 和食か?洋食か?中華はやや苦手なものもあるが、せっかくご馳走してくれるというなら、普段ならまず手を出さないようなものがいいよな。

打算と欲にまみれながら、久々にリミッターをはずした左腕をよりいっそう力強く振る。
そして――破滅の音がした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

――ということ。ここまではいいかな?

バリトンヴォイスのイケボをどこか遠いところで聞いていて、危うく聞き逃すところだった。
いかんいかん。
意識を集中させて、白衣のイケメンボイスが指で指し示すレントゲン写真を見つめる。

大体の説明は理解できた。
症状としてはわりと単純で、要するに「左肩関節脱臼」。
ただ、脱臼が起きた原因に少々問題があった。
私の肩は、肩峰と上腕骨骨頭の間が異様に離れている、俗にいうルーズショルダーという代物らしい。しかも、その離れっぷりが、詳細に研究して学会に報告したいレベルで異常なのだとか。

心の中で大きく一回ため息をつく。
「○○が異常」
「○○が人とは違って」
「○○がありえないことになっている」――
もともと日本では難病指定の方が尻尾を巻いて逃げてくレベルのレアな病気を持って生まれた身体なので仕方ないと言えば仕方ないとはいえ、30年足らずの人生の中でこのテンプレ、何十回聞いただろうか。
正直、またか、て感じだが、肩について言われるのは初めてだ。

「――なので、今後の治療方針だけど、対症療法的には、このままの保存療法でかまわないと思う。
ただ、このままの状態だと、いつまた同じように脱臼を起こすかわからないからね。特に左肩については、今回脱臼を起こしたことでよりいっそう脱臼しやすくなってるから。
今後も野球を続けていくのは厳しいかもしれないね」

別に野球で食っていくつもりは毛頭ないので、それはいい。
今回はご馳走に目がくらんで伝家の宝刀を抜いたらそれがまさかのポンコツだったというだけで、今後はそのなまくら刀は押し入れの奥にでもしまっとけばいいだけのことだ。

ただ、荷重に弱い肩というのは少々問題だ。
職業柄、数年に一度は転勤が待っているわけで、そこにつきものなのは引越しであり、その準備で本やらCDやらを詰めた段ボール箱は、何十個あるかしれない。もはや脱臼待ったなし、である。
引っ越しのたびに脱臼するのでは、おちおち転勤もできやしないではないか。

「根本的に治したいなら、選択肢は大きく二つ」

佇まいに威厳を感じさせる年配の担当医は、私の目の前でチョキを出す。

「一つは手術」

だろうな。さすがにそれくらいは想像がつく。いやだけど。

「もう一つは」

そう、もうひとつの選択肢は何だ?少しは期待できる方法か?

「日常の筋トレで、筋肉の鎧を作る。これは千代の富士とかもやっている方法なんだがね」

なんと!
いやいや、そんなん二択ちゃうでしょ。まあ、筋肉の鎧いうくらいやから、少々シンドい回数こなし、継続してかなアカンのやろけど、筋トレで済むんやったら、楽なもんだ。

「どんな筋トレですか?」

前のめりの私の問いにイケボの担当医は自らその方法を実践して見せてくれた。
方法自体は単純だ。左腕を直角に曲げ、内側にひねるようにして肩を身体の内側に入れる。これをひたすら反復するだけだというのだ。
極めてイージーだ。

「わりと簡単そうですね。なんか、やれそうです。それ、一日どのくらいやればいいんですか?」

「そうだな、ざっと、五千回、できれば六千回といったところだろうか」

(・_・)

一瞬耳を疑った。
思ってたんとゼロが1個ちがう。
それは極めてクレイジーだ。

私の動揺を見てとったのか、ドクターがさらに詳細な説明を始めた。

「千代の富士の場合は、プッシュアップ、まぁ腕立て伏せだな。これを一日1000回。あとダンベルの上下運動も加えてたみたいだがね。ただ、これは屈強なアスリートだからこなせるのであって、一般人がやるには負荷が大きすぎるんだな」

だから、例の単純な筋トレか。
ま、負荷が小さくなる分、同じ筋肉鎧を作るのに回数が多くなるのは道理というものだ。
ウルフが腕立て1000回ていうなら、般ピーの筋トレで5000から6000、確かに決して無茶な数字ではないのだろう。
それに、冷静に考えれば、1ストローク1秒て単純計算なら、1時間集中すれば3600回できるわけだから、2時間で7200回。強ちアンビリバボーなくらい時間をとられるわけでもないのか……。

とはいえ、だ――

手術の日程は一週間後と決定した。

――毎日6000回筋トレできるほど、私の肝は据わっていない( ̄∀ ̄)。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

手術自体は、特に問題なく無事終了した。
患部を固定して入院3週間。それで問題ないようなら、デスクワークの日常生活には戻れる。

野球のピッチャーのような旋回運動はもう厳しいかな、
結局、診察だけでなく手術オペも執刀してくれたイケボの担当医はちょっと申し訳なさそうにそう言葉を濁したが、こちとら何も来シーズンのドラフト指名を待つような身ではないので、まるっきり無問題モウマンタイだ。

これまでの人生で、入退院は両手両足では足りないくらい繰り返してきたので、入院ということ自体への不安はまるでなかった。
強いていうなら、初めての病院ということと、6人部屋という大部屋の入院が久々、その程度のことだ。

――なんて高をくくってたのが甘かった、
そう気づかされたのは、入院初日の夜のこと。

自分を入れて6人部屋の5人までが埋まっている大部屋の、自分を除く4人が全員いびき持ちという、奇跡としか言いようがないコラボレーション。
しかも、その声がまあデカい。
昼間は何回も聞き返さないと会話にならないくらい声の小っさい50代サラリーマンが、おまへ一体誰やねん?とツッコみたくなるくらい打って変わった大音声で、そのいびきカルテットをリードしているのだ。

ベッドから半身を起こして苦笑いしてるトコに、夜中の巡回に来た看護師と目が合った。
眠剤用意しましょうか?と気を遣われたが、丁重にお断りする。
経験上、眠剤でカヴァーできるのはせいぜい最初の3日だ。すぐに体が慣れて効かなくなるし、そもそもこの素晴らしきア・カペラ軍団を前に、眠剤程度で対抗できるとはとても思えない。

奇跡というものは、起きる時には立て続けに起きるのだと気づかされたのも、この入院時だった。

私が入院して四日後だったろうか。
6人部屋の空いていた私の右隣のベッドに、右足骨折で地元の工業大学生が入院してきた。
入院は生まれて初めてということで、隣がほぼ同年代の私ということに少し安心した、なんて嬉しいことを言ってくれる人懐こい大学生だ。

そして、その夜。
いびきカルテットはいびきクインテットへとめでたくグレードアップした。

私の真正面に、件のジキル&ハイド氏、その両脇を絶妙なまでにいびきでコール&レスポンスしよるご年配の二人。
私の左となりには一見、ヤの字で始まる自由業の方っぽい雰囲気のチョビヒゲ中年が、きっとロックが好きなんだろうなぁ……と思わせる魂の叫びを挙げ続け、本日より右となりからも、負けじといびきのR&B。よくよく耳をすませば、しっかり裏拍がとれてるではないか。若いって、いいよね。

この日から、私は夜に睡眠をとることを諦めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

昼夜が完全に逆転したことを除けば入院生活もつつがなく過ぎ、いよいよ、コルセットと三角巾で固定されていた左腕を解放する時がきた。

「痺れとか違和感とかはないかい?」

相変わらずのバリトンイケボは、優しい言葉との相性がいい。

「ええ、問題ないです」

今日ですべて解放されるかと思うと、自然とこちらの声のトーンも上がってしまう。
そして、看護師の介助もありつつ、三週間ぶりに左腕が自由になった。

「じゃあ、ゆっくり腕を水平に上げてみようか」

私は言われたとおりに、ゆっくりと左腕を持ち上げ――られなかった。

それは不思議な体験だった。手術が終わってから今の今まで、確かに左腕は固定されていたが、左の指は何の問題もなく動いている。だからこそ、左の腕に力が入らない、どんなに頑張っても頑張っても、肩から先に力が入らない、という状態の理解ができなかったのだ。
不安に駆られて視線を左に向けるが、左腕はだらしなく垂れ下がったままだった。

「あれ? あれ? お、おかしいな」

あまりに予想外過ぎる事態に、大抵のことでは驚かなくなったこの私も、さすがに動揺が隠せなかった。とにかく意味が分からない。

「いや、力が入ら――」

不意にイケボの担当医は私の両肩をつかみ、その体勢のままうなだれた。

「もういい。……もういい」

嘆息までもイケボだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

説明を受けて、少しずつだが事態が整理できてきた。
かいつまんで言うと、どうやら、何らかのトラブルで、左胸から左腕につながる神経の一部が断線してる状態なのだそうだ。
ただ、これは恒久的なものではなく、少しずつではあるが回復していくものだということであり、回復を早めるためにも、また完全に断線させないようにするためにも、これから先のリハビリが非常に大切だ。そういうことらしい。

まあ、完全にイカレきったわけでないことが分かっただけ良かった。
今はそう思うしかない。
明日から早速、リハビリに入ろう。
年配の担当医はバリトンヴォイスに力を込めて、両手で私の両肩をポン、と軽くたたいた。

当初の予定通り退院手続きをとる、と告げるとイケボは少し意外な表情を浮かべた。

確かに、治療といっても今できることはリハビリと経過観察だけだから退院は可能だし、デスクワークのみなら、やってやれないこともない。
それでも、少なくともこれから一か月ほどは毎日の通院リハビリが必要となるし、何より私の職場からこの病院までは車でも30分かかるくらい距離がある。

ましてや、目下のところ左腕は20代前半の身にして四十肩という情けない状態なので、いかにデスクワークがメインとはいえ、日常生活に支障がないかと言われれば、たぶん支障だらけだろう。

タイヘンじゃないか?
そう心配してくれるのはありがたかったが、自分としては、ここまででも三週間の入院で仕事には穴開けて職場の上司や同僚に負担をかけているのだから、可能な限り早く戻りたい、そういう気持ちが強かった。

そして何より強く渇望していたこと――
そろそろ、久々にゆっくりと人間らしく夜に眠りたかったのだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

1ヶ月ほど、毎日のリハビリと週1での経過観察、という日々が続いた。

それまでに左アキレス腱断裂や右ひざ前十字靭帯損傷などを経験しており、リハビリの地味なシンドさはある程度理解していたので、私とさして年の違わない若手の理学療法士からとても優秀だとお褒めの言葉をいただくくらいに順調な毎日だった。

ただまあ、とりあえず左腕を水平に上げるまでに約半年、以前と同じレベルで自由が利くようになるのは、正直、現時点では日数の予想がつかない、
そう告げられていたとおり、最初の1ヶ月ではさしたる進歩もないのはいささか寂しいものがある。

「年末はどうするんだい?」

経過観察の診察を終えた時に、担当医からそう尋ねられた。
そういえば、あと一週間で年が変わる。
とはいえ、年末年始は診察自体は休診だがリハビリは年中無休でできるし、こんな体でわざわざ帰省する必要もない。そう告げた。

「そうか。……よし、来週、最後の診察が終わったら付き合ってくれ。リハビリを頑張ってくれたご褒美にキャバクラでパーッとやろうじゃないか」

ご褒美、という言葉には最近あまりいい思い出がないが、まあ断る理由もない。ありがたくお受けすることにした。

そして、5日後、官庁その他では御用納めとなる日、市立病院であるこの病院も、診察自体は今日で御用納めだ。
いつものように経過観察と理学療法室でのリハビリメニューをこなし、イケボの先生の勤務終了を待って、ともにタクシーを飛ばす。 

かつては鉄で栄えていたらしいが、今は人口も減少の一途をたどっているこの街にそんなこじゃれたキャバレーなんてあっただろうか?
――なんて疑問が湧きもしたが、じきにタクシーは先生御用達のキャバレー「スナック竜宮城 (仮名)」へ到着した。
質素な外構えと場末感の漂う看板を見て一瞬苦笑を漏らしそうになったが、まあ、もてなしてくれるという気持ちが嬉しいので、細かいことはこの際どうでもいい。

しかし、意外といっては失礼だが、意外にも中は広くて小綺麗だった。
一応、女性スタッフが二人お付きでついてくれてもいる。

「1か月間、リハビリご苦労さま。まだまだタイヘンだろうけど、頑張ってくれ、な」
「ありがとうございます」

こうして、少々おかしな取り合わせではあるが、この年最後の忘年会が静かに始まった。

遠慮せずどんどん食べてくれ。飲んでくれ。今日は私がご馳走するんだから。景気よくそう言いながら、自身もわりとハイペースでウイスキーの杯を重ねていく副院長。
――そう、このイケボの担当医、整形外科の部長にして病院全体では副院長というポジションだったのだ。そら佇まいに威厳あるわけだ。

せっかくなのでこちらも遠慮なく食べたいものは食べたいところだが、言うてもこういう店はお腹を満たすための場所ではない。どちらかと言えばお腹を満たした後に来る場所である。
そして、本来、メインであるはずの飲む方については、私は目に障害を抱えているので、アルコールは付き合いの乾杯程度が限界で、あとは基本NGだ。

ならば歌え、好きなだけ歌え。と副院長。
かなりいい感じに酔いが回ってきてはる。
……まあ、副院長いうたら管理職だからなあ、それ相応にストレスたまるだろうし、今日で御用納めとなれば、そりゃアルコールも進むか。

今なら、歌え言われたら、言われるまでもなくエンドレスで8時間9時間は平気な私だが、20代前半のこの頃はまだ、
カラオケなんて一体いつ以来だ?(゜o゜)?
……ていうレベルだったので、マトモに歌えるレパートリーなんてほぼなっしんぐだ。それでも歌えと言われるもんだから、困り果てた末に、プロ野球のパ・リーグの球団応援歌を順番に6球団歌い始める始末。
(……これは、意外とウケた(・_・)

ひとしきりウケもとれたし、あとはゆっくりチビチビとやりますかね。
歌唱強要も終了し、ていうか、
――副院長、いささかお酒が過ぎてません?――
こっちがちょっと心配になるくらいアルコールが回り、もはや泥酔一歩手前という風情でソファに埋没しかけておられる。

まあ、日付が変わるくらいまでゆっくりしたらお開きだな。
そんな風に計算しながら、ソフトドリンクとおつまみをちょこちょことつまむ。
ホステスさんたちのお話を聞いては、たまに相槌をうつ。
それだけでなんとなく心が和んでいた。
この職に就く前は5年ほど夜の世界でも働いていたので、正直、こういう雰囲気には懐かしさにも似た居心地の良さを感じるくらいだったのだ。

「大体だなぁ!」

いきなり副院長、復活(・_・)

「大体、最近の若い医者はなっとらんっ!」

はい???(゜o゜)?

「今日だって、手術オペ上がりで入院した担当患者がいるのに、とっとと帰省しよって!」

なんやしらんが、愚痴り始めよったぞ……

「日頃から、飲むにしたってだな、すぐに戻れる範囲内で飲まなくてどうするってのよ」
「先生、ちょっと酔っぱらっちゃったかな。まあまあ、そのくらいにして」
「そう、大体、キミの手術の時だって、本来だったら、なーんの変哲もない手術オペだったんだ。なのに、あのバカが!いらんトコ、ギューッて抑えて、気がついたらとんでないことになってる。
もう、激怒だね、激怒。
もういい!おまえは何もしないでいいから、そこに立ってろ!師長!コイツと替わってくれ!」

はい?(・_・)?
今、さりげなく、すっげえ問題発言してませんでしたか? 副院長……。

「すまんなあ、すまん。ホントはこんなことにならんかったんだよ。本当にすまん」

……んーと……。

少し涙声になったバリトンヴォイスは、ついにそのまま本格的に寝てしまった。

私は、酔いつぶれた担当医をしばらくじっと眺めていた。

――ま、いいか。
ここは聞かなかったことにするのがいい。

恐らく、手術オペでやらかしちゃったのは若い外科医だろう。誰かというのもなんとなく見当がつく。
で、もし自分の想像どおりのその人だとすれば、手術オペの最中にポジションを看護師長オペかんに替われだの、そこで立ってろだの、もともと高い鼻を相当へし折られたことだろう。

勿論、この発言が真実なら、間違いなく医療過誤だ。
ただ、目の前で寝息を立てている彼の整形外科部長&副院長という立場を考えたら、ここで医療過誤が発覚することのダメージは計り知れない。
立場上、この先生も相当な処分を受けるだろう。
最悪、職を失うかもしれない。

経緯の詳細はよー分からんけど、注意すれば防げる類のミスだ。だったらこのことを反省材料に使ってもらった方がいい。

幸いにして、私の命には別条ないし、リハビリ次第で元に戻れる公算も高い。それに、こちとら、もともとお釣りの人生を延長戦で生きてる身なんだから、命があるだけでもめっけものなのだ。

日付が変わる頃、私は、完全に酔いつぶれたイケボの担当医に右肩を貸し、もう片方をタクシーの運ちゃんに手伝ってもらいながら、「キャバレー」(笑)を後にして帰途に着いた。

先生を先に自宅へと送り、それから自分の公宅へと向かってもらう。
約束通り「キャバレー」での支払いは酔いつぶれる前に払ってくれていた。

それだけで十分。ごちそうさま、先生。

――おっと、着いたようだ。
今日は久々にちょっと多めにアルコールが入ったからなぁ。
いささか目の奥が痛い。

「いくらですか」
痛い目をしばしばさせながら、財布から5千円札を抜き取る。

「えーと、14,800円になります」


(・_・)

……ま、いいか。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


さすがに今日は、〆の一曲をセレクトするには時間がたりない💦💦

これは、明日以降に推敲せなアカンやろなぁ……

みなさん、良いお年を。←早ぇって



■ おまけ

今回の画像しりとり列車 (156両目) の前の車両です。タイトル「勝負師」と右下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。




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X日間やってみた

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