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【自分語り】朽ちていく家



正月、母がゆべしを食べたいなんて呟くから、ふんわりと母の田舎に懐かしさを覚えた。


母は、岩手県の秋田に近い田舎町出身だ。
田舎と言っても、田んぼや畑だけでなく、駅やスーパーも近い。

祖母が亡くなってから、祖父が1人で寂しいだろうから、と毎年盆と暮れに母の実家へ訪れていた。

隣を流れる小さい川、
庭から見える大きな岩手山、
ボソボソと流れるラジオ、
会ったことのない曽祖父母の写真。

祖母の古い化粧台、
器用な祖父が作った猫の人形、
母と叔母の無邪気な写真、
私の贈った修学旅行のお土産。

祖父の家は小さく、物も少なくなかったが理路整然としていた。
流れる空気も冷たく澄んでおり、綺麗にされている家の匂いがした。


祖父は祖母が亡くなってから数年で認知症を患い、亡くなる10年前から施設に入ったため、あの家は空き家になった。
ラジオも、化粧台も、人形も、写真も、お土産もそのまま、そのまま。

家は主人がいないと朽ちるのが早いというが、あの家は静かに、綺麗に朽ちている途中だ。

別に私の実家が無くなったわけではない。
勝手に母の立場になったとき、生家がゆっくりと朽ちていくのはどんな気持ちなんだろう、と寂しくなる。

無口な祖父とトランプしたり、
古いおもちゃ屋で買ったゲームを妹と取り合ったり、
川が見える庭でいとこと花火をしたり。
そんな思い出が漂ってるあの家を思うと、私はただただ胸がギュッとする。

そういえば、小さい頃、
いずれ今住んでる埼玉の墓に入る母親に、
「母さんの骨少しだけ、岩手山が見えるとこにまくからね」って変な約束をした。
母さんは、ありがとうって確か言っていた。


私が寂しさ感じる必要なんてないのにね。
寂しさに多分折り合いなんてつかないから、そのままでいっかな。
雪が溶けたら、祖父母の墓にゆべしでもお供えに行こうかしら。


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