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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㊶

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

2020年9月、まさにコロナ禍の真っ只中にこの「ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied」を綴り始めました。先の見えない状況に不安な思いを抱き続けていましたが、それをのり越えてなんとか2回のドイツ歌曲の夕べLiederabendを開催することができました。それは偏にここでドイツ歌曲Liedの魅力について語らせてもらったからこそ!「ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied」は 私にとって大切な場所となりました。そしてまた新しく第3章がスタートいたします。“今まさにここで生まれる音楽”をひとかけらでもお届けできたら!と頑張ります。

41曲目はレーガー♬…ひとかけら、届くかな?

マックス・レーガーMax Reger(1873-1916)作曲
 歌曲集『 素朴な調べSchlichte Weisen Op.76 』より
幸せ Glück Op.76-16

                ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

 それはおまえの静かで純粋な瞳の仕業―
今や心からおまえを愛している
一つの光りが心に残っている
甘く密やかな幸せという光が
そしてあらゆる空間を通して
平和で誠実な音を耳にする
広々と深く、そして美しい
故郷を思うようなメロディを

ドイツの作家エルンスト・ルートヴィッヒ・シェレンベルクErnst Ludwig Schellenberg(1883-1964)による詩。

「音楽は全く新しい印象をもたらすが、幸せの感情とは実はこのような響きなのだろうと、不思議と納得してしまう。」と数年前のコンサートで解説に書きました。きっと皆さん、前奏で???と思われたのではないでしょうか?そして詩の内容をたどりながら耳にされて、聴き終わったときには、どうでしょう、納得されたのではないでしょうか?
 ゆったりとした4分の3拍子で進みますが、実は前奏の最初のピアノの和音はアウフタクトなんです!本当に不思議な曲です、教会の鐘の音のような拍子のない、幾重にも重なりながらずっと続いていく拍感です。歌声部も歌詞・言葉こそあれどピアノ同様、どこまでが一つのメロディか限定できない、解決しないものとなっています。前半の歌声部のメロディは4つとも小さな上行形で終わっています。それは浮遊感を音化していて、幸せで地に足がついていない、夢見心地を表しているのでしょう。後半の歌声部は一転、ピアノパートのオルゴールのような甘い響きを耳にして我に返り、幸せを噛みしめるようにドラマチックに展開します。最後の「故郷を思うようなメロディ」という歌詞の通り、後奏は平和に、そして満足気に、まるで光を音にしたかのように響いて眩しそうに消えてゆきます。
 
 この曲、私にはクリムトの「接吻」という絵を音楽にしたように思えてなりません。ピアノの前奏は天から降ってくる金粉…。その金粉を幸せそうに浴びる恋人たち…。

 歌詞の中に“nun hab ich dich herzlich lieb今や心からおまえを愛している”というフレーズがあります。普通「愛している」はドイツ語で“ich liebe dich”です。ここで使われている“ich hab dich lieb”は「君のことが好き」という意味です。それに「心からherzlich」が加わっているので「心から愛している」と訳してみました。…皆さん、「愛してるよ」って口にできますか?日本人は照れてしまって言えないのではないでしょうか?もしかしたら、この曲も「愛してるよ」の表現ができない照屋さんが主人公で、「大好きだよ」という表現を使ったのかもしれませんね。どちらにしても気持ちが伝わればいいんです、伝われば!「物凄く大切だよ」って。
 

レーガー没後100年の2016年にレーガーを特集したコンサートを歌いました。その時の解説を以下に張り付けてみます、よろしければ参考になさってくださいませ。

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マックス・レーガーMax Reger( 1873 - 1916 )
ドイツの作曲家。バッハ以来沈滞していたオルガン音楽を発展させたレーガー。多作家で知られ、歌曲も300曲以上残している。兵役についたころから過度の喫煙飲酒にはまり、除隊後、本格的に音楽の道へと進み、演奏・作曲活動に追われ、過労が原因で(肥満とニコチン中毒が原因とも)43歳でこの世を去る。身長が約2m、体重は100kg以上あった彼は、悲しいかな別の意味でドイツ最大の作曲家といわれている。
 
彼の作品は拡張された和声と複雑な対位法からなるものが多く、当時も“晦渋な作風”とされていた。歌曲集『17の歌Siebzehn Gesänge Op. 70 』はレーガーがエルザという生涯の伴侶を得た1902年に作曲された。この年はレーガーの「歌の年」といわれるほど多くの歌曲が作られた。エルザとの暮らしのために曲を書くのだが、どれも複雑過ぎて売れる見込みのないものばかり。出版社からの「一般の人に好まれるものを(売れるものを)」との注文を受けて作られたのが歌曲集『 素朴な調べSchlichte Weisen Op.76 』(1903-1912作)であった。民謡風を目指し、表現と技術に気をつかって作ったつもりだったが、彼の本来の才能は、意図した「素朴」とは異なる、「素朴へのあこがれ」となって現れてしまった。全部で60曲からなる歌曲集なのだが、ヒットしたのは「マリアの子守歌 Mariä Wiegenlied Op.76-52」1曲だけだった。他にオルガンやピアノのための作品、そして室内楽と様々な分野の楽曲を書いては出版社に持ち込むのだが、断られる一方。そんな彼を救ったのが当時の音楽界のスーパースター、リヒャルト・シュトラウスRichard Strauss(1864-1949)だった。ミュンヘンやライプツィヒの出版社にレーガーを推薦してくれたのだ。シュトラウスだけでなく当時の主だった音楽家たちは、音楽会でレーガーの作品を積極的に取り上げたり、音楽学校の職を世話したりと、彼を長年にわたって支えた。そのお陰で次第に彼は「彼の家は鉄道だ」と言われるほどヨーロッパ各地を飛び回る売れっ子の音楽家になり、1910年には最初のレーガー音楽祭が開かれるまでになる。しかし仕事のストレスと飲酒がたたって1914年に倒れてしまう。静養するために人生で初めて持ち家をイエナに持ち、その静かな暮らしの中書かれたのが歌曲集『5つの子供のための新しい子供の歌 5 Neue Kinderlieder Op.142』。レーガー夫妻には子どもはなく、孤児だった女の子二人を養子としてむかえ育てた。彼女たちにどれだけの深い愛情が注がれたのかが、この曲集からうかがえるだろう。
 

 


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