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組織でもメソッドでもなく場(フィールド)

音楽プロセス体験に関わる人たちと、
これまでの取り組みと、これからのことについて話し合いをしました。

みなさんのutena drawingと音楽プロセス体験をかたる言葉の隅々までこのワークへの理解の深さと愛情を感じ、じーんと今も余韻が残っています。
とともに、孤軍奮闘でここまで一人でやってきたと思っていたけれども、ここまで共有できるようになったのかと、しみじみ。
いやそもそもが参加者さんにひきだしてもらってここまで構築できてきたのが、このワーク、あらためてその起源と今とが重なってきます。

ちゃんと理屈が通っていて、体験に即した方法として「メソッド」と呼べるレベルにまで構築できてきたのではないか、これをメソッドと呼んでよいだろうか?という私の問いかけに、大きく頷いてくれる友人のいるありがたさと、そもそもたになかがしたいのはメソッドなのか?という問いかけをしてくれる友人と。
その場の話し合いに引き出されるようにして、
そうだ、私は「フィールド」を作りたいんだ、と何かがつながったような気がしたのです。そしてその時、それは、そこにいた人たちみんなに共有された、このなんだろうなあ、もとめていたものが今生まれた、そんな感じ。

どうやってこのワークを形にして行こうか、社会の中でクオリティを守りながら生み出していこうか、なかでと思案したとき、一般的には協会を作るとか、メソッドとして確立するとか。私もいまひとつピンとこないながら、その方向で考えていたので、まさかこのフェーズに「フィールド」という概念が飛び込んでくるとは思いもしませんでした。が、それを思いついたら、突然入ってきた子猫がさっさと自分の居場所をみつけてそこに座り込んだみたいに、ちょこんと、もうそれしかない、というふうで。

それと連動するように「みんなでつくるホームページ」という実際のいれものの話にもなって、なんだこのこんこんと話がつながっていく感じ。

さあ、これから
組織でもなくメソッドでもない、そういうものが位置するところに場(フィールド)を作るのだ。
フィールドだから、そこに序列はないし、いろんなものが共存もするだろうし、そそれぞれが自分の居場所を見つけてそこで学んでいける。

その具体的な、プラットフォームは?共有すべき約束は?システムは?仕事としての価値は?

まだまだ霧の中、それでも、方向が見えてきた気がします。

今年の目標は、このワークをたくさんのひとに知ってもらうことだ、と決めていたのですが、話せば話すほど、今必要なのは、このフィールドの降りてくる物質的な器を作っていくことだと変化してきました。
一度蛹に戻して、何をすべきか、考えよう。

思わぬ方向へそして、あるべき方向へ突然舵を切った、それも、一人ではなくみんなで、見つけた、この体験はもしかしたらすごいことなんかもしれない。





愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!