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演奏につまづく人に・・

楽器を演奏するとき、間違うから、迷うから、と、どうか悲観しないで。

いろんなシーンで音楽と関わって、
また、生徒さんや、ワークショップの受講者さんと関わってきた経験から、
お話ししたいことがあります。

間違わない演奏が正解?


間違いなく演奏できていても大事な何かが遠いなっていうこともあるし、
たどたどしくってもそこに美しい脈があって、それを届けてくれて嬉しいなと思うこともあります。ちゃんとそれは聞こえているんです。

音楽に正解はないです。

”でも、そうは言っても、どこかに正解があると思わなければ、何を学んでいいのか分からなくなってしまう・・・
それに、そういうところじゃなくって、まず間違わないで演奏を通したい。”

たしかに。
でも、もしかしたら、それが遠回りになっているのかも。

演奏するってどういうことかな

人は美しいものにであったとき
心が休息と充満の両方を吸い込むような体験をします。

演奏というのは、
それを自分の外側から与えられるのではなく、
内面から湧いてきて、内側で満たされて外へと
自然、流されていって波紋のように人と共有できる、
そういうものだと思います。

驚きや、発見。
迷い、求めている、その姿も。

もしも、自分を置き去りにしてまでも頑張って
間違いのない演奏をしたとして、
それで、満足できるのでしょうか?
その先に見えてくるものがあるのでしょうか?
そこで終わってしまうのでしょうか?

一番そのときの音楽を体験したいはずの自分は
はたして、音楽を体験できるでしょうか?

できることなら、
自分を見失わないで、自分を連れていってあげてほしい。

正解の前に、土台を

こうかんがえてみたらどうでしょうか。

正解ではなく、土台を育ててみる、と。

土台というのは、
自分の感じる力と、音楽の生きた理論
その両方が出会うところにあります。

まだるっこしいかもしれないし、
とにかく目の前の曲を弾き切ってしまう方が
実は脳は楽です。
一方方向に思考は突進していけるから。

でも、振り返ったり、吟味したり、
自分と向き合ったり、
聞こえてこないものを探したり。

100回練習するのをやめて
耳を澄ませてみる。

実はその方が
自分が喜ぶ出会いがあちこちにあって
見過ごしてきた、景色にも出会える。

見えなかった景色が見え始めた時に
少しずつ霧が晴れていくように
音楽のその姿がみえてくる。

つまづいていたのは、
自分をおきざりにしてきたこと
音楽を後回しにしてきたこと。

霧が少し晴れて道が見えてきたら、
その道を歩めばいい。

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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!