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こんなことを言うのは良くないと思うけど

正直僕は、結構コロナに感謝しているところがある。

もちろんそれは、コロナによって何かを取り返しのつかない形で損なったわけでもなく、たまたま時期の折り合いが良くて失ったものを楽しむ余裕すらあったからであるから、僕が感謝すべきなのはむしろ幸運の方なのかもしれないけれど、もしコロナがなければ僕の人生は全然違ったものになっていただろう。

当時はアメリカのそれも結構田舎の方にいて、なんかよくわからんけど日本はクルーズ船とか大変そうだな~くらいに思っていたのだけれど、それは全然最初だけで、対岸の火事が一度燃え移ってからというものアメリカでの生活は一変してしまった。日本でも同じだったと思うけれど、あらゆる施設がシャットダウンになって移動が厳しく制限されて、政府の方針もコロコロ変わるし何も確かな情報はないしで、とにかくすごい勢いで、目に見えないはずの恐怖と不安が広い空を覆いつくしていった。

異国の地にあって、天を衝く勢いの死者数のグラフはこれまでの人生で初めて死を身近に実感させ、アジアンヘイトの傷害事件が盛んに報道され息抜きの散歩で誰かとすれ違うたび体が強張ってしまうようになってはじめて、本当に大切なものが何なのか考えた。

授業自体はリモートながら続いていて、まわりの日本人留学生はほとんどみんな様子見だった。その時点では、アメリカ生活に不便を除けば目立った実害はなかったし、日本に戻ったところで、残りの家賃がもったいないわ2週間隔離されるわ日本で住む場所の手配も必要だわという状況だったから、むしろそれが当然の選択だと今振り返っても思うし、当時もそう思っていた。

でも僕は帰国を選択した。たくさんの議論を経て。妻には本当に感謝している。時々、アメリカにとどまっていた別の未来を考える。間違いなく、それなりに楽しくやっていただろうなと思う。同じアパートの家族と子供を遊ばせながら、開いているゴルフ場を探してラウンドし、移動規制の範囲内で上手く旅行しながら、もうちょっと太って帰国しただろう。

だからこそ、あの時の帰国という選択が正しかったのか間違っていたのか、今でもよくわからない。あの時帰国していなければ、その後の転職もなかっただろうし、いまごろ僕は全然違う人生を歩んでいたかもしれない。ただひとつ言えるのは、コロナによって僕の価値観がむちゃくちゃ揺さぶられたということと、いま手元にあるものをよくよく吟味して大事にしたいなということと、でもそれって結局僕の考え方に過ぎなくて、その物差しで誰かをぶったぎるなんて絶対ダメってことと、それからそれから、結局のとこアメリカでのあの日々は最高だったよなってこと。

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