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歴研部員「橘の君」事件簿【第6話】猫塚にて…虐待の事情 Ⅱ

土曜日の昼下がり、佐賀は青空が広がり、秀林寺辺りは春風が吹いていた。

爽やかな風情とは裏腹に、猫塚の前で男の子が異様な雰囲気を醸し出して何かをつぶやいている。

その小学生らしき少年はめまいがしたようによろよろと歩きながら、こちらに倒れ込んできた。

「大丈夫?」

私は少年を抱きとめて声をかけると体を揺さぶった。

焦点の定まらない死んだような目が、少しずつ生気を取り戻していく。

「あっ、俺…何もしてないよ…」

そのうろたえようから人に言えない隠しごとがあるように思えた。

私は先ほど聞きとれた少年の言葉を確かめる気にはなれなかった。彼の心を傷つけるかもしれないからだ。

しかし意識はハッキリしているようで、取りあえずホッとした。

「救急車を呼ぶまではなさそうね。キミ、どこから来たの」

私が心配すると、彼はばつが悪そうに答えた。

「すぐそこの家からだよ。ちょっとふらふらしちゃって…ごめんなさい。もう帰る…」

「おいおい、無理すんなって。そんなんで歩いたらまた倒れちゃうぞ」

少年の言葉を遮るように万代くんが言い聞かせた。

「近くだから大丈夫。ホントにごめんなさい」

歩いて帰ろうとしたものの、足がまだおぼつかない。

「家はどこだよ。おんぶしてってやるよ」

万代くんは言うが早いか少年をおんぶするよう背中を向けた。

一見すると体調を崩した男の子だが、万代くんには取り憑いている霊が見えているはずだ。

私は彼が得体の知れない何かを感じながら、おんぶしてやると言い出したことに驚いた。

「ふーん、意外に男気があるんだ、それに優しいところもあるじゃない」

心の中で感心しながら万代“立ちション”先輩を少し見直した。

「ほらっ、遠慮するなって。ムチャしてまた倒れたら、ホントに救急車呼ぶぞ」

少年はそう言われて、しぶしぶおんぶされた。

薄手のジーパンにスニーカー風の運動靴を素足で履いていた。春の陽気だから、上着はグレーのTシャツだ。

私はおんぶされた少年を後ろから見たとき、首から肩にかけてアザのように青くなっているのが気になった。

少年の案内で畑と住宅地に挟まれた市道をしばし歩くと、団地が目に入った。

ふと顔を上げるとさっきまでの青空から様子が変わり、どんよりして今にも一雨きそうだ。

「あの団地の3棟だから。もうここでいいよ。ありがとう」

少年はそう言ったが、心配なので念のために3棟の階段下までおんぶしてあげた。

彼は声にこそ出さないが「バイバイ」というように手を振りながら、1階左側のドアを開けて入っていく。

すると…

「お前、どこほっつき歩いとったんか」

「やめてくださいっ!お願いだからっ」

両親だろうか、ドア越しに男女の声が聞こえてきた。

私と万代くんは顔を見合わせて立ち尽くす。きっと同じ事を思ったはずだ。

「あんたたち、そこでなんしようと」

後ろから声をかけられて、2人ともビクッとした。肝を潰すとはこういうことをいうのだろう。

向かいのドアからおばさんが顔を出して覗いていた。50代ぐらいだろうか、不審そうにはしているが怒っている風ではない。

「あの、私たち、こちらの男の子を送ってきたんです…」

私は不審者扱いされてはやっかいなので、事情を話そうとした。

「ああっ、ムラカミさんちのアキラくんね。まあ、ちょっと中に入んなさいよ」

突然言われて戸惑った。見ず知らずの我々をなんで家に招くのか。万代くんと目で相談しようとしたら、おばさんが重ねて声をかけてきた。

「いいじゃないの。私もね、年寄りのひとり暮らしで退屈なんだよ。雨も降ってきたし、雨宿りのつもりでさぁ」

確かに雨脚が強まっていた。道路に目をやると地面の色がこくなっているのがわかる。

私は、もしかしたらアキラくんと呼ばれる少年の事情を聞くことができるかもしれないと考えて、心が動いた。

「じゃあ、ちょっとだけ雨宿りさせてもらいましょうか」

万代くんに一応確認したものの、私はすでにそのつもりだった。

おばさんの苗字は「金子さん」らしい。

「私はカネコっていうの。ここには5年前に越してきてね。知り合いも少ないのよ。あんたたちは、どこから来たの」

隠す必要もないので、福岡市にある大学から猫塚を見学に来たと説明した。

「あの猫大明神を見に来たのかい?わざわざ福岡から。小さい祠があるだけだったろぉ」

私は何と答えてよいのかわからなかった。話題を変えるためもあって、少年と出会ったことを明かした。

「ムラカミさんちもねぇ、ダンナが勤めていた海苔業者が倒産してから大変みたいだよ。さっきもアキラくんを怒鳴る声が聞こえただろ。いっつもあんな感じでピリピリしてさ…」

金子さんによると、ムラカミ家が変貌したのはコロナ禍の頃だったという。


父親は有明海で海苔を養殖する会社に勤めていたが、温暖化の影響で生産量が減ったのに加えて新型コロナウイルスが猛威を振るい売上も落ちた。中小企業だったこともあり社長が自己破産するのは早かった。

職を失った父親は家に籠もって酒を飲むようになった。母親がパートに出てなんとか食いつないでいるようだ。やがて父親によるDVが夫婦間からはじまり、矛先は息子のアキラくんにまで向けられた…。


私は金子さんから話を聞いて、アキラくんのアザを思い浮かべた。きっと父親からひどい仕打ちをうけて腫れたのだろう。

たとえそうだとしても、いったい私に何が出来るというのか。自問自答しているうちに、胸が締め付けられるような気持ちになった。

そのときだ。

「きゃー!やめてー!お願いだから許してください!」

外の騒ぎが耳に入って私は思わず立ち上がった。万代くんもほとんど同時に飛び出した。

間違いなくムラカミ家から聞こえた。先ほどの怒鳴り声どころではない、おそらく母親による必死の叫びだ。

ドンドンドン、ピンポンピンポンピンポン、ドンドンドン

「どうしました!大丈夫ですか!」

ドアを叩きチャイムを連打して呼びかけるが、応答を待っている余裕はない。

ドアノブを回すと鍵がかかっていなかったので、勝手に飛び込んだ。

母親と思われる女性が顔を引きつらせて固まっていた。

私は彼女の視線の先を追って色を失った。

父親と思われる男性が傷だらけで床に倒れていたからだ。

額や頬、そして首筋から血を流して呻いている。どうやら息はあるらしい。

その傍らには異様な動物が立っていた。

「アキラくん…」

グレーのTシャツを着ていたのでそう思ったが、いや違う。

服装は同じだとしても、中身は少年と似ても似つかぬ化け物だ。

目は鋭く吊り上がって、口は耳まで裂けて牙が覗いていた。

気配を感じて縦長の瞳孔がギロリとこちらを睨んだ。

しかし私など眼中に入らないかのように視線を戻すと、爪を立てて男性を威嚇した。

「シャーーーァッ」

鳴き声を出しながら牙を剥いたため、再び襲いかかりそうな緊張感が走った。

その瞬間、万代くんが風のような素早さで飛びかかった。

「やめろ!アキラくん、やめるんだ!」

彼は叫びながら化け物の腰にしがみついたが、すごい力であっけなく吹っ飛ばされた。

しかも化け物はあろうことか、万代くんに向かって爪を立てるではないか。

「あぶないっ」

私は咄嗟に化け物をとめようとしたが、頭がボウッとして体が動かない。

自分が自分でないような変な気持ちだった。

           「やめるのです」


発した自覚すらないのに…そんな言葉が私の喉から放たれた。

まるで宇宙に響き渡るような丸くて分厚く奥深い声だ。

ピクッと反応した化け物は、ゆっくりと私を振り返った。

黒い瞳孔はまん丸になり、じっと私を見つめていた。

すると、化け物の口からモヤモヤと白い雲のようなものが出てきた。それは次第に形を成してゆく。

今度こそ、紛うことなき“化け猫”が現われた。

とはいえ高貴なオーラがあり、妖怪の類いとは思えぬ風貌だ。

瞳は深い海のように碧く、全てを見透かすかのように輝いていた。

頭の上には立派な耳がピンと立ち、あらゆる音を聞き分けることができそうな存在感がある。

全身は薄茶色のフサフサした毛に覆われ、七つの尾はそれぞれが意志を持つかのごとく動いていた。



「ほう…こんなところでお目にかかるとは思わなんだ。今日はいい日だ」


只ならぬ力を感じさせる“化け猫”が、私を見ながらそう話したので、真意を確かめたい気持ちが勝り、なんとか我に返った。

「あなたは誰?私の何がわかるというの?」

「私はご覧の通り…」

そう答えようとしたところ、見守っていた万代くんが横やりを入れた。

「こまだろう。知ってるさ。鍋島猫化け騒動で大勢を呪い殺したのはお前だな」

「愚か者!私はこまなどではない。こまの祟りを鎮めるために祀られた、七つ尾の猫じゃ」

なるほど、伝説を紐解いても辻褄は合う。猫塚に祀られたのはこまではなく、七つ尾の猫なのだ。

勘違いを指摘された万代くんは、自分でも誤りに気付いて赤面した。と同時に彼らしく機転を利かせた。

「“七つ尾の猫”じゃ呼びにくくてしょうがないな。今風に“ななお”っていうニックネームはどう」

「な、な、ななお! なんか草履の鼻緒みたいじゃな。まあ名前などどうでもよい。好きに呼べ」

「ところで、そなたは本当に自分が何者なのか知らないようだね」

七つ尾の猫、改め“ななお”が私を見つめて笑みを浮かべた。


「【第7話】猫塚にて…虐待の事情 Ⅲ」へ続く





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