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大切にしたいものが決まった日

一年前、自分で音声の記録をしていたものが出てきたので文字起こししてみました。この気持ちは今も変わらない。それどころか、濃く深まるばかり。

少し文章は整え、そのままnoteにも記録しておきます。


2022.9.25

今は24歳です。
最近、私はやっぱり言葉を大切にしたいなと思いました。 言葉を大切にする人と関わっていきたいなと思いました。それが自分のアイデンティティというか、太い軸になるところだなと思ったから、 思ったこととか考えたこととか、ちゃんと残しておこうと思いました。

Twitterは日付も時間も残るし、 読み返して私は当時そういうことを考えていたんだなとか見返したいなと思って、ツイートしています。

もともとちょっとSNSのリセット癖があります。
現実世界の友だちをいきなり切ったりとかはしないんですが、、
私にとって、日常生活のなかで、 何度も生まれ変わりたい願望があるのかなと思っています。SNSって簡単に消せるし、何回も生まれ変われるような感覚になれると思っているから、 何度もアカウントを消しちゃうのかなって思うんです。

でも昨年くらいから、ちゃんと自分の記録を残し、軌跡を残していくことに少しずつ抵抗がなくなってきました。消したくなる衝動は、もちろん今もあります。だけど、残さないと、やっぱり記憶には限界があると思うから。

記憶に残らないものは残しておかなくていいっていう考えの人もいますが、 私は残しておきたいし、自分の成長も知りたいし、 どんなことを考えていたのかもう一度見たいです。

過去の自分は私ではないので。
と思っているけど、まあ私なので、その過去の私じゃない私と、今の自分の考え方を見比べてみたいなと思えるようになってきました

昔はきっと、自分がとっても完璧主義で、過去が汚いものだと思っていたところがあったと思うんです。汚いというか、黒歴史と思っちゃう。

でもそういうふうに思うときもあるけど、 残していきたいなと思えるようになりました。写真を撮るのも好きです。そう、写真の記録は残すのは好きなのに。自分の写真フォルダのなかの写真は、全然昔の写真も消そうと思わない。

やっぱりSNSって人に見られるものだから。
自己満でやってるつもりでも、結局評価が欲しかったり。
承認要求のところになると思うんだけど。人に見られると思ってるから。
一年前まで、「昔の自分、こんなものがいいと思ってたんだ」って思うのがとっても恥ずかしくて。今は、ちょっと思うけど前ほどはそう思ってません。

SNSのリセット癖の波が来るけど、来てもちょっと耐えたりログアウトしたりしてしっかり残していこうかなと思っています。
二度と戻らないから今は。 これを録ってる今も。


今日はどうして私が言葉を大切にしようと思ったのか、言葉を大切にして生きていきたいと思ったのか、お話しようと思います。

私は昔、小学生の頃から本をたくさん読むことが好きでした。
読書量1位、学年1位とかになったこともあったり、、
思えば知識欲が昔から強かったんだと思います。

で、ここ最近になってどうして自分のなかではっきりと言葉を大切にしたいと思ったかというと、これまで関わってきた人たちがあんまり言葉を大切にしていないことに気づいたからです。

私が落ち込んだり傷ついたときって、大体人間関係なんですが、、
「相手の言いたいことは分かるんだけど、 察することもできるんだけど、言い方が悪い」と感じることが多くて、言いたいことが分かるならいいじゃないとか、言いたいことが分かるからいいよっていう話でもないよなと思ったんです。やっぱり傷ついてるから

やっぱり人間、思ってないことは口に出ないので。
幼稚な言葉とかを簡単に発する人とかに、「思ってないこと言わないでよ」みたいな流れとかよくあるけど、いや、思ってると思うんですよ。

汚かったり鋭い言葉がその人のなかにあるっていうことだから。
あるんですよ。
無かったら出ないし、あってもそれを理性で止められる人なら、その言葉が口に出ないと思う

やっぱり特に傷つくのが恋人から言われることだったりします。
もちろん言葉も、行動も伴うといいなと思いますし、行動力があることはとっても大事なことだなと思っています。

だけど、行動で示しているのであれば、言葉がなくてもいいということには私のなかではならなくて。
言葉を丁寧に大切にするっていうことが、自己表現を適切にできるっていうことなのかなと思ってもいて。自己表現を適切にできる人と関わっていきたいなと思ったし、自分もそうなりたいなと思いました
そういう人と関わっていくためには、私がもっときちんと言葉に向き合わないと、そうやって関わりたい人とも関われないかもしれない

これまでもやっぱり文章とか言葉とか、言葉で自分の何かが突き動かされることが多かったから、これまでも言葉は大切にしているつもりだったんだけど、なんかもっと、もっともっと丁寧に向き合わないといけないんじゃないか、ってここ一ヶ月くらいで思いました。思ってもないことは口に出ないから。

言い回しだとか、言葉の使い方っていろいろあると思うんですけど、単純に語彙力があるかどうかとか、読書をしているか、とか言い回しが単調でないか、とかいろいろ着目点はあるんですけど。

すべてひっくるめてですね。全部。
全部ひっくるめて言葉を丁寧に、自分のなかでちゃんと吟味して口にできる人、文字に起こせる人、そういう人がいいなって思いました。

私はよく言葉を空気に触れさせるという表現をするんですが、自分のなかでもやもやと抱えていても何も解決しなかったりします。
言葉は生きているものだと思っているところがあるので。
言葉にもちゃんと息をしてほしいと思っています。

だからちゃんとTwitterとかnoteとかバレットジャーナルとかInstagramのキャプションでもなんでもいいから、ちゃんと自分の内側から出すということを 意識するようにしています。スッキリするっていうのもあるけど、言葉を生かしたいという感覚が自分のなかにあります

自分のなかに湧き上がる言葉や文章はたくさんあるんだけど、やっぱり語彙力って言葉を知らなければどうしようもなくて。
その言葉を自分のなかに増やしていくための読書を、高校生くらいからほとんどしていなくて。高校生の頃はまだギリギリ読んでたかな。大学生になってビジネス書とか読むようになって、もちろん人の人生を読むことができるのはすごく面白いなと思うし好きだけど、小説から離れていたから小説をなにか古本屋さんで2,3冊、文庫本を買おうかなと思っています。

私は映画の“マチネの終わりに”が好きなので、原作も読んでみようと思います。小説は本当に大好きなんですが、やっぱりその別の世界に入り込むことにすごくエネルギーを使っていることに気づいて。

だからちょっと敬遠するようになっていました。
感情移入をしがちなので、割り切れないことが多いというか。

小説に比べれば、ビジネス書とか自己啓発本って、現実の世界の話。
比べればというか創作ではないお話だからあまりエネルギーを使わずに読むことができるけど、小説はその世界に足を踏み入れなきゃその世界のことが読めないから、切り替えをしないと読めなくて。それが多分疲れるから読まないようになってる。

でも読まなくなってしまってるから、文字を追うのがすごく遅くなってしまって、読み終えられない。読み終わらないみたいなこともあって読まなくなったのもあります。

だからちゃんと文字を追えるように。
小学生の頃に読んでいたぐらい、読書をたくさんして自分の語彙力も増やしたいし表現力も磨きたい。

でも表現力を磨きたいから読書するんだ、というわけじゃなくて、自分が持った感情や自分のなかに沸き上がった感情を適切に表現するためにボキャブラリーを知っていたいから。

1日10分でもいいから、読むようにしようかなと思っています。
ジャンルだと何になるんだろう?
ファンタジーが好きで、私は日本の作品なら獣の奏者が好きです。
おすすめの小説があれば教えてください。
上橋さんの文章が、内容は難しいんだけど文章が読みやすくて好きなんです。 ファンタジーじゃなくてもおすすめがあれば教えてください。


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