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理性の余白をまだ残せている私たちは

⚠️暴力に関するセンシティブな表現がありますので、後半は有料記事としています。興味のある方のみご覧ください。

先日のミシルラジオで、不倫についての議題が挙がっていたので、私の見解を述べてみようと思います。次の日にはもう書き上げていたのに、アップするのを忘れていました。笑

結論、私は不倫はやはり良くないと考えています。
理由は、本来パートナーである人が少なくとも傷つくからです。人は社会のなかで生きているし、社会的に許されはしないでしょう。

ただ、情状酌量の余地のある不埒な関係はあり得るとも思っています。


どの欲求を満たしたかったのか?

私は常日頃、マズローの欲求階層を頭の隅に置いてあります。何かをしたい、何かが欲しいと思ったとき、私は今どの階層にいて、どの階層の欲求を満たそうとしているのだろうか

やさびと心理学より引用

一般的かどうかはわかりませんが、世間のイメージする浮気・不倫はその通り浮ついた気持ちから始めた関係を指すように思います。

今のパートナー関係に満たされていない。その内訳は、相手に飽きただとか、相手も浮気・不倫をしているだとか、ついよそ見をしてしまっただとか、出来心だとか。完全に気持ちが揺れ動いています。

このような理由で不倫をしてしまった人は、社会的欲求・承認欲求・自己実現の欲求を満たそうとして不倫に及んだんだな、と推測できます。


安全が確保されていない状況を考える

では、安全の欲求が満たされていない場合に不倫をした場合、なにを求めているのでしょうか。

安全の欲求とは「心身ともに健康でかつ経済的にも安定した暮らしをしたい欲求」とされています。

この安全の欲求を求めており叶えたいということは、今置かれている状況は生理的欲求の階層ということになりますよね。

例えば。

・パートナーから暴力を受けている。
・「大好きだよ」「愛しているよ」と言われながらも殴られる。
・生活費を渡してもらえない。
・服を買うことは許されない。
・食べ物はパートナーより少ない。
・子供への暴力も止まらない。
・「お前は生きているだけ無価値だ」「死ね」などの暴言を受け続けている。

俗に言うモラハラ・DVです。
もしくは、

自分がとても辛い思いをして今にも死んでしまいそうなくらい追い詰められているときに、信頼していたはずのパートナーが助けてくれなかった。それどころか追い打ちをかけるような言葉や態度を投げかけてきた。

「どうしてこんな人を選んでしまったのだろう」

それでも相手のことが好きだから、離れることができません。
だけどやっぱりこのパートナーと一緒に生きることが辛い。

モラハラな人はまず、別れに応じてくれないことが多いでしょう。
別れを切り出すと殴られるか、「こんなに愛しているのに」と言いながら殴られるか、「別れるなら死んでやる」などと言います。こちらに逃げられることを恐れ軟禁されるかもしれません。刃物を取り出し襲われかけたら恐怖に支配されてしまうでしょう。

身の危険を感じているこの瞬間は、安全の欲求を求めている状態です。そうやって疲れてしまい、死にたくなるほど辛くなり、どうにか逃げたい。誰か助けてほしい。と縋った相手と結果的に不倫関係になったとして、それは全面的に悪いと言えるのでしょうか。もちろん警察には行くべきですが、身の回りで心の支えになる誰かもきっと現れるはずです。

死にかけのときに寄り添ってくれる人がいた場合、身を預けたくなってしまってもおかしくないのではないかと思うのです。それが同性の場合、不倫の可能性は考えにくいのかもしれませんが、それが同性とは限らないかもしれません。

倫理的に、“不倫”は良くないですが、不倫に至った暴力も、倫理的にいかがなものでしょうか。建設的に話し合いもできない。暴力で相手を支配しようとする。結果的に倫理に逸れた行いはお互い様だとして、相手が不倫をした理由は一体なんなんでしょうか。

下から2番目の階層が満たされていない不倫と、1番上の階層を満たすための不倫は、同様に責められることのなのでしょうか。

もしこの感覚が微塵もわからない場合は、“本当の意味で”自分の命が消えかけた経験がないのかもしれません。

それでも結果は同じ不倫です。
どちらも理性が飛んでしまっていることには変わりない。


逃げなければ命はない

私の母は、私の父から暴力を受けていました。

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