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スタニスラフスキー書簡(1874年6月24日)両親への手紙

愛しいパパ、ママへ (リュビーモフカから)

お二人が何事もなくペテルブルクに到着し、リューバとボーリャが大泣きしないよう願っています。お手紙を受け取り、その輪っか(リューバとボーリャが手紙に書いたキスマークのこと)に口づけしました。あなたたちが出発してからジーナは寂しがるのをやめ、私たちはハンモックに揺られに出発。しばらく揺られたあと、私たちは体操をしに戻り、そこで紙の兵隊さんを切り抜き、ボール紙に貼りつけました。しかし、それにもすぐに飽き飽きし、私たちは部屋に行き、そこで私は初めてドゥードカ(ロシアの民族楽器の縦笛)を吹くヴォロージャの伴奏をしました。あっという間に水浴びの時間です。あなたたちのご命令に従い、私たちはぴったり5分間水の中に座り、一度だって頭から入るようなことはありませんでしたよ。水浴び後は昼食へ。昼食中に、アンナ・イワーノヴナが雇っているトロイカに乗ってやって来ました。昼食が済むと、私たちはヴェーラおばさんのところへ。ちょうどおばさんのところでは、みんながヴィクトル・ニコラーエヴィチのコンサートに行く支度をしていました。彼らを見送ったあと、私たちは家に帰りました。ユーラとジーナのおやすみの時間だからです。私たちはヴォロージャのハンモックに揺られに行きました。それからヴォロージャは電報を書くために書斎に行きました。ヴォロージャが電報を書いているあいだ、私たちはおやすみに行きました。私とヴォロージャ、ジーナ、ユーラはぐっすり眠りました。アヴドーチヤ・アレクサンドロヴナ一人だけ4時まで眠れませんでした。月曜日、私とヴォロージャは8時に起き、水浴びに行きました。水が温かくて、あまりサッパリしませんでした。水浴びのあとお茶を飲みに行きました。お茶を飲んでいるときに、あなたからの手紙と花束、ユーラのおもちゃを受け取りました。ユーラはお船(送られたおもちゃ)に感激しています。お茶の後は旗を縫いに行き、朝食までやっていました。朝食のあと、ペトルーシカ(旅の人形使い)がやってきました。彼が行ってしまったあと、大雨が降りました。そのあいだ、私たちはあなたへの手紙を、次の日の朝に送ったこの手紙を書いたのです。

エヴゲニー・イワノヴィチ、マリヤ・フョードロヴナ、ウラジーミル・アキーモヴィチ、アンドリューシャ、アリーシャ、マーシャはあなたたちに一礼し、私はあなたに力強くキスをします。あなたたちからの手紙を心待ちに、愛する息子
 コンスタンチン・アレクセーエフ

【解説】
 この手紙を書いたときスタニスラフスキーは11歳。この3年後に家庭内で作られる「アレクセーエフ・サークル」が演劇に触れる第一歩となる。
 手紙のなかにたくさんの名前があるが、スタニスラフスキー(コンスタンチン)は10人兄弟(1人は早逝)の次男で、ヴォロージャ(ウラジーミル)は彼の兄である。ジーナ(ジナイーダ)はすぐ下の妹。彼の家には家族だけでなく沢山の人が住んでおり、超お坊ちゃまだった。
 これは両親が6人目の子どもボリース(ボーリャ)と7人目の子どもリューバ(リュボーフィ)を医者に見せるためにペテルブルクに行った際の手紙。

 写真中央で立って肘をつくポーズを取ってスカしているのが、アレクセーエフ(スタニスラフスキー)。左端に座っているのが彼の兄ウラジーミル。一番右にいるのが恐らくジナイーダで、その隣にいる二人が医者のところに行ったボリースとリュボーフィだと思われる。
 https://24smi.org/celebrity/3866-konstantin-stanislavskii.htmlから引用

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