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感性にまかせて、生きかた、感じかた、考えかた、働きかた、想いの心象雑記です。京都では、…

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感性にまかせて、生きかた、感じかた、考えかた、働きかた、想いの心象雑記です。京都では、Le Marche de l’Institutを主催。societe-sphere.com フランスでは、L’immédiatにて舞台芸術を創作しています。 limmediat.com

マガジン

  • フランス ヌーヴォー・シルクの現場から

    フランスのヌーヴォー・シルクの現場から様々な模様をレポートします。日本人には、あまり馴染みのない最先端のコンテンポラリー・パフォーミングアーツ、舞台芸術の魅力を感じてもらえれば。

  • シネマの時間

    感性を刺激された映画の数々を振り返りながら、取り巻く社会背景や音楽、ファッション、インテリア、雑貨、書籍等を共に紹介していきます。

  • 感性のバイブル -琴線の言霊-

    魂を揺さぶられた言葉。心奥へ刻んだ言霊を、創作のバイブルとして紹介していきます。

  • -聖地礼讚-

    これまでに巡り合った特別な場所、その奇跡に感謝し、褒めたたえる気持ちを持って、心の襞を紀行文として記していきます。

  • 日仏比較文化-感性私的論-

    日本とフランスの2拠点生活している中で、印象的な感性の違いを、過去と現在に至る私的時代背景を語りながら、記していきます。

最近の記事

  • 固定された記事

サーカスの宇宙

禁色高度成長期と共に過ごしてきた私は、東京の下町で生まれ育った。小学生の頃までは、よく母親に連れられ、銀座や浅草に遊びに行っていた。当時は、デパートの屋上遊園地はテッパンであった。銀座は松屋、浅草は東武の屋上に遊園地があった。浅草には、現在も在る「花やしき」が当時からあった。その「花やしき」の前には、いつも大人が屯している怪しい小屋、そう、本当に掘建て小屋のような体裁の小屋が異彩を放っていた。呼び込みの叔父さんが体に合わない着古したジャケットをきて、流暢な言い回して口上をして

    • コンテンポラリーアートとしてのサーカス第五章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)のその先

      第一章〜第四章も併せてお読み頂ければ幸いです。 サーカスと子供たち、市民との距離感フランスには、習い事に通う感覚でサーカスを学べる施設が、500程もあると云われています。芸術文化教育としてのサーカスの学校は、最も多くの人が通っています。 誰にでもサーカス芸術の練習を提供しており、男女問わず、誰もが楽しみながら練習出来るようにしていますが、子供たちの教育の一環として、多くの子供たちが小さい時期からサーカスに触れる生活がフランスにはあります。 芸術文化教育プロジェクトは、3つ

      • コンテンポラリーアートとしてのサーカス第四章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)を支える文化の民主化

        第一章〜第三章も併せてお読み頂ければ幸いです。 フランス文化省の基本となるミッション「人類の、そしてまずフランスの主要な作品に、出来るだけ多くのフランス人が接することが出来るようにし、我々の文化的財産に対するで出来る限り広範な関心を確保し、かつこれらの文化的財産をいっそう豊かにする芸術と精神の作品の創造を助けることをその使命とする。」 と定められています。 これは、1959年に文化省が設立された際に、初代文化大臣となった作家のアンドレ・マルローが示した〝文化の民主化〟政策

        • コンテンポラリーアートとしてのサーカス第三章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)を取り囲むフランスの文化価値

          第一章、第二章も併せてお読み頂ければ幸いです。 更に躍進する80年代の政策フランスのヌーヴォー・シルクが今日のような進歩を遂げるフレームワークを作成したのは1980年代です。 1986年、文化大臣であったジャック・ラングは、新たな国立サーカス芸術センター CENTRE NATIONAL DES ARTS DU CIRQUE 通称 CNAC を発足させました。学校は世界で最も有名な学校の1つになり、ヌーヴォ・シルクの芸術性の向上に向けた動きを始めるのを助けました。 今日の

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        サーカスの宇宙

        • コンテンポラリーアートとしてのサーカス第五章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)のその先

        • コンテンポラリーアートとしてのサーカス第四章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)を支える文化の民主化

        • コンテンポラリーアートとしてのサーカス第三章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)を取り囲むフランスの文化価値

        マガジン

        • フランス ヌーヴォー・シルクの現場から
          7本
        • シネマの時間
          4本
        • 感性のバイブル -琴線の言霊-
          1本
        • -聖地礼讚-
          1本
        • 日仏比較文化-感性私的論-
          2本

        記事

          シネマの時間 -ベニスに死す-

          L'hommage ルキノ・ヴィスコンティ今年のように閉塞感があり、息苦しく、気怠い夏を過ごしていると、あのベネツィアの夏の物語を想い浮かばせられる。 1906年にミラノの貴族に生まれたヴィスコンティは、往々にして過ぎ去った貴族世界を、明確な視線でエレガントに表現しています。彼が直接知っていた時代と社会階級、つまり戦争と革命によって崩壊の瀬戸際にあり、彼が生まれた瀕死の世界のヨーロッパそのものです。 1936年、ヴィスコンティは30歳でパリに移り、第二次世界大戦前のフラン

          シネマの時間 -ベニスに死す-

          コンテンポラリーアートとしてのサーカス第二章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)とは

          第一章も併せてお読み頂ければ幸いです。 フランス 文化政策としてサーカスの再興へ70年代、フランスのサーカスは大きな危機に見舞われ、フランス政府から援助の手を差し伸べられました。当初の目的は、何か新しいものを作成することではなく、その逆でした。何世紀にも渡る長い伝統を、絶滅から救うことでした。 1978年、管轄を文化省に移されたサーカスは、ついに芸術として受け入れられ、最も重要なことは、サーカスのアーティストたちは他の芸術分野のアーティストたちと同じ権利を取得し、断続的な

          コンテンポラリーアートとしてのサーカス第二章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)とは

          コンテンポラリーアートとしてのサーカス第一章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)とは

          長文の為、六章に分けて記します。 ヌーヴォー・シルク発祥の地、フランス 他の舞台芸術の歴史は十分に文書化されていますが、サーカスの進化を描く試みは殆どありません。道化師、アクロバット、動物の曲芸のサーカスは、もはや過去の残像であり、最も進化し、画一したフランスの現場の現実は、より現代的なものへと着地しました。 フランスで発祥した新しい芸術表現ヌーヴォー・シルクとは何なのか。日本人にあまり伝えられていないフランスの現状を、現場からの声として伝えていきたいと思います。 かつて

          コンテンポラリーアートとしてのサーカス第一章 Nouveau Cirque(ヌーヴォー・シルク)とは

          TANGOとマテと

          バンドネオンのアルゼンチンの音色アルゼンチン人の友人が2人出来た。一人はスペインのバルセロナに住むギターを弾き、歌も唄う芸術家で、もう一人は、一年程前から一緒に舞台の創作を行なっている仲間のナウエルだ。南仏モンペリエの大きい家で画家の両親と共に暮らしている。モンペリエは、フランス人の成金と移民と大学生の多い都市だ。地中海の向こう側は、モロッコ、アルジェリア、チュニジアが在る。 しかし、ナウエルの両親は、遥か遠くの南米大陸の南に位置するとんがった土地から移住して来た。芸術家た

          TANGOとマテと

          シネマの時間 -悲しみよこんにちは-

          L'hommage フランソワーズ・サガン この映画を語る上で、圧倒的な二人の女性の存在があります。一人は、ヒロインの少女セシルを演じるジーン・セバーグ、そしてもう一人、映画の原作になった小説の著者、フランソワーズ・サガン。ここでは、原作者のサガンにフォーカスしてこの映画の魅力を伝えられたらと思います。 原作は1954年に発表されたフランスの女流作家、当時19歳だったフランソワーズ・サガンです。フランスのブルジョワの家庭で3人兄姉の末っ子として育ちました。彼女は幼少期から熱

          シネマの時間 -悲しみよこんにちは-

          TORUS=多重連結空間 感性のバイブル -琴線の言霊-

          表現する行為私は創造したモノやコトをアウトプットする際、意識するイメージがある。こうして note を記し、〝公開〟をクリックする際にも、身体の何処かに、そのイメージを宿す。モノやコトを創造する事、発信すると云うことは、エネルギーを放出する事です。 自然界に目を向けると、創造的エネルギーの源として、渦巻きが思い浮かぶ。自然界の動きに直線は無く、螺旋形、或いは渦巻きの形をとる。螺旋形は、混沌から秩序を発展させる流体エネルギーの本来の姿である。銀河の構造から原子に至るまで、生命

          TORUS=多重連結空間 感性のバイブル -琴線の言霊-

          モンペリエ・ダンス・フェスティバルを終えフランス Cirque de Navacelles紀行 -聖地礼讚-

          2019年7月の話になる。 モンペリエ・ダンス・フェスティバルで、無事、初演を終える事が出来た。これまで、3年の月日をかけ、フランスと奈良を何度も往来し、大切な仲間との創作と、その生活に没頭してきた。 上演の出来は、まだまだ粗削りで充分満足出来るまでには至っていないが、創作とは常にそんなものである、と云う事も充分認識している。限られた制約の中で、ベストを尽くす事しか出来ないのが実情である。 私が取り組んでいる舞台芸術は、一回一回の本番が勝負だ。無論、其処に至るまでの過程は、日

          モンペリエ・ダンス・フェスティバルを終えフランス Cirque de Navacelles紀行 -聖地礼讚-

          パリの現在を発信するコンテンポラリーアートの拠点 LE CENTQUATRE-PARIS

          躍動的なパリのアートセンター2020年2月〜3月パリ ロックダウン寸前まで、Cent quatre-Parisのアーティスト イン レジデンスに滞在し、作品制作と10日間の劇場公演を行なってきました。 これまでに無かった、とても刺激的で、パリのアートシーンのエネルギー漲るスペースを紹介します。 パリには数多くの素敵な美術館や劇場がありますが、移民が多く、パリの比較的恵まれていない地域の近くに位置します。19区の104 rue d'Aubervilliersにあるこの文化施

          パリの現在を発信するコンテンポラリーアートの拠点 LE CENTQUATRE-PARIS

          夏の午後、パリ・リュクサンブール公園で 日仏比較文化-感性私的論-vol.2

          ある夏の日当時、決まって週末の午後は、恋人とリュクサンブール公園で過ごす事が常でした。大学で心理学を専攻していて、誰よりもフランス人らしい彼女は、ファッションデザイナーを志し、パリに留学した私にとって、先生のような存在でもあったと想います。日本人の男の私には感じることが出来なかった、女性である彼女の服に対する私的心理を解いて伝えてもらっていたからです。 陽射しが眩しい夏の午後でした。樹々の木陰に並ぶゲームテーブルにはチェスやオセロに興じる老若男女、その傍でペタンクの一投に一

          夏の午後、パリ・リュクサンブール公園で 日仏比較文化-感性私的論-vol.2

          シネマの時間 -危険な関係-

          L'hommage ジャンヌ・モロー こんなにフランス女性を体現した女優がいただろうか。彼女は 2017年7月31日にパリの自宅で亡くなった。享年89歳。その日の朝、アパルトマンにやって来た家政婦が倒れている彼女を発見したらしい。死因は老衰。看取る者もいない、いわゆる孤独死。ジャンヌ・モローらしい最期だ。 ジャンヌ・モローの訃報を聞いたとき、フランス映画の一つの時代に、幕が降ろされたと感じた。その存在は大きく、私の大好きな女優の一人だった。 ヌーヴェル・ヴァーグを代表する監

          シネマの時間 -危険な関係-

          シネマの時間 -地下水道-

          L'hommage アンジェイ・ワイダ ポーランド映画を代表するアンジェイ・ワイダ監督は、2016年10月9日ワルシャワで亡くなりました。90歳でした。まだ、ワイダが存命だった頃の記憶です。 サン・ミッシェル辺りの映画館でアンジェイ・ワイダ監督のオマージュを特集していたので、「地下水道」を観に行きました。 かつてのパリは、まだまだ名作映画信仰が根強く、パリ市民達によって路地裏にひっそりと佇む古ぼけた小さな映画館が、それなりに人を集めていました。映画館は、こぞってオマージュ

          シネマの時間 -地下水道-

          静かな声で真髄に問う 今、何に興味があるかと

          創造するこだわり興味があるモノとは流動的に生きていると数々、魅了する出来事に出合っては、また瞬時に興味を失うモノも必然的に訪れるものであると歳を重ねる毎に実感をしている。その中でも変わらず興味が持続しているモノ、それはファッションである。私は所謂ファッションと区別するために、MODEと称えている。 東京で学生生活を送っていた頃、音楽+ファッションがロンドンから押し寄せ、おおいに影響を受けた。美術を学び、フランス文化に憧れ、躍動なる感覚でヌーベルバーグの映画に魅せられた。池袋

          静かな声で真髄に問う 今、何に興味があるかと