論文ってなに?論文が書けるようになるための超入門

はい。国民民主党政治塾の卒塾論文、審査結果が出たようですね。

僕はこくみん政治塾、実を言うと参加していません。
というのも、申し込みが殺到してカツカツという話だったので…僕は大学時代に政策学をみっちり学ぶ機会に恵まれましたので、今回は遠慮して、学ぶ機会をお譲りしようと考えた…というテイで、実際は人見知りしちゃったからですね。はい。

でまあ、様子を伺っていると、どうやら「卒塾論文」の審査があったようですね。4000文字の小論文とはいえ、けっこうアカデミックな審査基準があったようで。惜しくも審査に通らなかった方も、まあ落ち込まないでください。ありゃ相当難しいッスよ。

少なくとも、アカデミックライティング(論文の書き方)の訓練を受けてないと無理ゲーですし、受けてりゃ通るというほど甘い審査基準でもないなと。

というわけで、せっかくなので「論文とは何か」という基本的な話について、ちょっと入口の部分をカンタンに書いてみようと思います。

僕自身はこの分野の専門家ではなく、何かをお教えできるほどの知見も経験もないのですが、一応、大学時代に一通りの教育は受けているのと、卒業後も身内に大学教授がいる関係で時々ゴニョゴニョしたりしているので、イメージをお伝えするぐらいはできると思います。

「論文」って?政治言論との違い

一言でザックリまとめてしまうと、論文とは、「研究成果の報告書」です。

なので大前提、まず「研究」をしてないと、「論文」は書けないんですね。
じゃあ研究って何なの?というと、これもザックリまとめると、「仮説と検証」です。


《論文とは》
仮説を立てて検証を行い、その研究結果をまとめた文書


政治言論と論文の違い

「論文は研究成果の発表である」と考えると、仮にそのテーマが政治に関するものであっても、私たちが日ごろ触れる政治言論とは、性質が大きく異なると言えます。

政治言論には、演説、討論、質問、答弁、解説、論考、その他いろいろあります。

たとえば政治家の演説なら、基本的に「自分の主張を訴えて、他者の賛同や共感を得る」性質のものでしょう。討論なら、「相手の論より自身の論のほうが優れていることを示す」性質と捉えて良いかと思います。しかし、こうした政治言論は、「研究成果の発表」とは、なんとなくイメージが違うな…と想像できますよね。

これもザックリしたイメージですが、政治言論の場合、まず「主張」があって、次にその「裏付け」がある、という感じかなと思っています。

一方、論文はまず「解き明かしたい疑問」や「課題」があり、それに対して仮説を立てて検証し、わかったことを文書にまとめる流れです。


《政治言論》
主張 → 裏付け

《論文》
疑問や課題 → 仮説と検証 → 結論


こんな風に、論の立て方そのものが根本から違うのですね。

論文は「結果」:重要なのは「研究」

さて、論文は「研究成果の報告」ですから、当然ながら、研究をしていなければ書けません。分野にもよりますが、「研究8割、論文執筆2割」ぐらいの感覚かな。というわけで最大のポイントは「何を研究するか」「どう研究するか」だと思います。

研究の流れ

一般的に、研究の流れは以下のようになります。

《1:研究のテーマと目的を決める》
「何について」「なぜ」研究するのかってことです。「意義と目的」とか「研究の背景」とかいうやつです。だいたい序論に書いてあるやつ。

小学生の夏休みの自由研究だって、

・テーマ:あさがおの観察
・目的:あさがおがいつ開くのか知りたい

というテーマと目的が必要なわけです。
こういった部分が明確になっていないと、そもそも研究になりませんから、当然、論文にもならないわけです。

《2:仮説を立てる》
基本的に研究というのは、理系でも文系でも、「仮説を立てて検証する」プロセスです。というより、仮説を立てないと、検証の結果を評価・分析できないので、研究が成り立たないんですよね。
もちろん場合によっては、はっきりと仮説を立てずに検証/調査に入るケースもありますが、基本的には、仮説を立てるプロセスがあると考えて良いでしょう。

《3:調査/検証》
仮説を立てて、それが実際どうなん?というのを、ちゃんと調べるってことです。

《4:結果の分析・考察》
調査/検証の結果として得られた情報を分析し、考察を展開します。「このデータってつまりどういうこと?」ってのを、ちゃんと論理的に考えるってわけですね。

こくみん政治塾の論文評価点も、ほとんど「研究」に関するもの

こくみん政治塾の卒塾論文の評価点も、「論文=研究報告」という基本を押さえておけば、なぜこうなっているのか、わかりやすくなります。

1.問題意識が明確で、課題設定が適切であること。

2.課題解決に必要な、ターゲットやゴール、評価指標等が確認出来ること。

3.事実調査・文献資料などの探索が十分に出来ていること。

4.分析の切り口が明確かつ説得的で、論理展開が一貫していること。

5.内容に現実社会のリアルやオリジナリティがあること。

【第1期こくみん政治塾】卒塾認定について
https://new-kokumin.jp/news/information/20240426_2

要するに…


1.問題意識が明確で、課題設定が適切であること。
⇒研究の目的とテーマがちゃんと決められていること。

2.課題解決に必要な、ターゲットやゴール、評価指標等が確認出来ること。
⇒仮説がちゃんと立てられている/評価可能な基準が示されていること(※ここはちょっとニュアンスが違うかもです)

3.事実調査・文献資料などの探索が十分に出来ていること。
⇒調査によって、しっかりと仮説が検証されていること。

4.分析の切り口が明確かつ説得的で、論理展開が一貫していること。
⇒調査結果がしっかりと論理的に分析・考察されていること。


というわけで、1~4の評価点は、「論文がちゃんと研究報告になっているか?」という観点なんですね。先ほど説明した『研究の流れ』に沿っていれば、その報告として、こういう論文になるわけです。

新規性・独自性の要件もある

で、ここまで(要件1~4)だけなら、実を言うと、そこまで難しい話ではありません。小学生の夏休みの自由研究でも、この要件を満たすことはできますからね。

こくみん政治塾の卒塾論文のハードルをがっつり上げているのが、「5.内容に現実社会のリアルやオリジナリティがあること」です。

これは学術論文的に言うと、「研究の新規性・独自性・現実性」がちゃんと求められてるって話です。

研究の新規性・独自性とは何か…という話はドチャクソ奥が深いので省略させて頂きますが…。「文章をパクらない」みたいな低次元の話ではなく、「その論文”ならでは”の内容や切り口があるか」って話です。

難しさのイメージをお伝えしますと、ほとんどの四年制大学の学部卒論(学士論文)では、この新規性・独自性はそれほど求められないのが現実です。そうしないと、卒業できる人が極端に限られちゃうからね…。

「現実性」の話もややこしいので省略します。ってかそこまで説明できるほど詳しくないんよ…。

「新規性が特にない」の具体例

たとえば…論文とは違いますが、僕の過去記事で言うと、このあたりは「よくまとまっているけど、新規性はあんまりない」記事です。

要するにググれば出てくる情報をまとめただけなので、新規性も独自性もあんまり無いのです。後半の私見をもっとガチにやれば多少マシになるかな?ぐらいですね。たぶんこれを論文の様式に仕立てても、「分析と解決策の提示がない」として、こくみん政治塾では認定は通らないと思います。

アカデミック・ライティング=論文の「お作法」も必要

さて、ここまでの内容が、論文を書く以前の話です。

ここまで示したような、ちゃんとした研究内容になっていればオッケーか?というと、そうじゃないんですね。それに加えて、「アカデミック・ライティング」という、論文のお作法もちゃんと守っている必要があります。

この『論文のお作法』=アカデミック・ライティングは色々あるのですが、解説が面倒くさいので、大阪府立大のテキストを置いておきます。

◆アカデミック・ライティング入門 レポートの書き方 大阪府立大学https://x.gd/rwsiz

このテキストが非常にわかりやすく、必要なポイントが全部入ってるので、これを読んでください。

そのうえで、たぶん最初のうちは、テキストを読んだだけだとピンと来ないと思います。ですから、興味のある論文を探して読んでみてください。実際の論文を読みながら、テキストの内容と照らし合わせていくと、実感が掴みやすいはずです。

論文の探索には、例として以下のサイトが使えます。

◆CiNii Research - 国立情報学研究所
https://cir.nii.ac.jp/

◆Google Scholar
https://scholar.google.co.jp/schhp?hl=ja

よくある「論文になってない」パターン

最後に、よくありがちな「論文になってない」パターンを紹介します。アカデミック・ライティング(論文の体裁)以前の話です。

1:仮説と論考のみで、調査と検証が行われていない

たとえば、「少子化対策には○○をすべきだ。理由は~~~だからだ」みたいな論があったとします。この「理由は~~~だからだ」の部分が、頭の中で組み立てた論考に留まってしまっているようなケースです。いかに筋の通った論理的な考えに基づいていても、調査と検証が行われていなければ、それは仮説止まりです。論文=研究報告にはなりません。研究してないんだもん。

2:調査と検証が不十分

「仮説が正しい」という前提に立ち、その「仮説が正しい根拠」ばかりを集めているようなケースですね。

仮説Aが正しいか否かを検証するためには、「仮説Aが正しい根拠」だけでなく、仮説Aが間違っていた場合に生じる矛盾など、「仮説Aが間違っていることを否定する根拠」も必要ですし、もっと言えば「仮説A以外の可能性を否定する根拠」も必要です。

ただし実際には、そんなにキッパリ言える材料が揃うことは、まずありません。揃っちゃったら大抵なにか見落としてます。

特に社会科学領域においては、「絶対に仮説Aだけが正しい」と言えるような展開は、基本的にまず出ません。社会ってめちゃくちゃ複雑なので。なので結論としては、「他の可能性は否定できないが、少なくとも○○が××に有意な影響をもたらすと考えられる」みたいな、白黒ハッキリしない言い方しかできないことが多いんですよね。

3:ただの感想文になっちゃってる

先ほど紹介した以下の記事は、自分で言うのもなんですが、これ「ただの感想文になっちゃってる」パターンです。

こんな疑問を持ちました。調べたらこんなことがわかりました。私はこう思いました。おしまい。まる。という話なので、まあこれだとダメですね。

4:論文じゃなくて文学や演説になっちゃってる

たとえば、「…そこで私は、先行研究の調査に着手した。向かったのは国立国会図書館である。ここでまず調べたのは…」みたいな感じで、『研究記』みたいになっちゃっているパターンですね。非常に面白いんですが、読み物としての面白さは、論文には求めらないのです。

ほかにも、「…以上の結論をもってして、〇〇政策を推進すべきだと強く訴えたい。この政策こそが日本社会の未来を切り拓くものであり、大勢の国民にとって…」みたいに、『演説』になっちゃうパターンとか。これも残念ながら、論文にはエモさは求められないのです。

ただそれでも、いろいろな論文を読んでいると、完璧に論文の形になっていて、それでも『想いが滲み出ている』ものが時々あるんです。そういうのが逆にエモいんですよ…!


というわけで、今回はこの辺にしておきます。