君たちは「三角関数ギャグ」で笑ったことはあるか?

君たちは「三角関数ギャグ」で笑ったことはあるか?
おれはある。

もう10年以上も前、まだおれが売れないバンドマンだった頃だ。ライブ終わりに、仲のいいバンドと下北沢で飲んでいた時だったと思う。バンドマンらしいアホみたいな酒の飲み方で、みんなメチャクチャになってたんだ。

どういう話の流れだったかは覚えていないが、誰かが「おれ三角関数?ってよく知らないんだよね」と言った。なぜ三角関数なんて単語が出てきたのか今でもサッパリわからないが。すると、それを受けた別のバンドのベーシストがいきなり立ち上がって、「サイン!コサイン!タンジェント!」と言いながら、奇妙なポーズを三連発した。どうも円周角を腕で表したいようだったが、いかんせん面白かった。


また別の機会では、深夜の八王子のファミレスで、おれたちは古文と格闘していた。「おれ古今和歌集行くわ」「じゃおれ”新古今”攻める。」「ってことは、おれ万葉集?やだよ難しいじゃん」。

当時は、いわゆる「和風ロック」が少し流行りはじめた頃合いで、おれたちもその流行にあやかって、和風っぽい曲を書こうとしていたのだ。しかし、作詞担当が頭を抱えた。「和風っぽい歌詞ってどうすりゃいいんだよ。」別の誰かが言った。「あれじゃね?古文じゃね?」。そうして20代の売れないバンドマンだったおれたちは、安物のシルバーアクセサリーをジャラジャラいわせながら、真夜中の八王子のファミレスで古文と格闘することになったわけだ。

そのうち誰かが言った。
「おれ、この柿本人麻呂ってやつ好きかも」
「紀貫之エッジ効いてんなあ」
「てか恋歌多くね?」
「J-POPは恋ウタ多いって言われるけどさあ、昔っからじゃん」
「言ってる内容もだいたい同じようなモンだぞこれ」

そんなわけで、結局われらが売れないバンドの和風曲はサッパリ出来上がらなかったのだが、しかし楽しい思い出であった。


こんな思い出もある。

下北沢の某ライブハウスの控室で、リハーサル終わりにヒマを持て余していた時だ。「あのさあ」。言ったのは確かドラムのやつだ。「なんで電車の中でジャンプしても吹っ飛ばないの?」

「そりゃ慣性の法則だよ」言いながらギターのやつがピックを手に取り、コイントスのように指で弾いた。あいつはいつも気取ったやつだった。ピックのコイントスで慣性の法則を説明しようとしたあいつの努力は覚えているが、どう説明したのかは覚えていない。ともかく、ドラムのやつが「なるほどね」と、わかったような、わからないような返答をした。

それからおれたちは、いかにも物理っぽい話を楽しんだ。「重力って空間の歪みらしいぜ」「何それカッケー強そう」。ボーカルのやつが何処からか一枚の紙を持ってきて、水平にピンと張り、真ん中を凹ませた。「この紙の上にボールを置くとするじゃん?そうするとどうなる?」「真ん中の穴に落ちる」「でしょ?これが重力よ」「サッパリわかんねえな」「てか、よくそんなの知ってるね」「Youtubeで見た」「"つべ"かよ」。おれたちは笑った。


当時おれたちは売れないバカなバンドマンだった。ボロアパートの家賃やケータイの格安プランの支払いにヒイヒイ言いながら、そのくせ多少の儲けが出れば、その日のうちに安居酒屋で使ってしまう、そんな底辺のバカ。学歴は高校中退も珍しくないし、たいていのやつは良くて専門卒、四大卒はおれとあと一人か、そのぐらい。日々政治に物申すご立派な皆様と比べれば、ド底辺のバカなのは間違いない。

それでも、「あの勉強は役に立たない」だの何だのとご議論なさっているご立派な皆様より、バカでド底辺の売れないバンドマンだったおれたちのほうが、よっぽど『知の価値』を知っていた。学ぶことの楽しさを知っていた。おれたちはバカでド底辺で貧乏で、おまけにモテもしなかったが。