ターニング・ポイント

今ってたぶん、本当に歴史のターニングポイントなんだろうな、という気がしています。根拠はないんですが、全体の流れをざっと俯瞰した時に、本当にそうなんじゃなかろうかと。

先日、こんな記事を書きました。

本当に何の気なしに書いたんですが、書いている中で、「これは今、もしかすると歴史的なターニングポイントの時期かもしれんぞ」という感覚があったんですね。

そして奇妙なことに、その日の夜、日米首脳会談で、岸田総理とバイデン大統領がどちらも「歴史の転換点」といった認識を示したわけです。

もちろん、「どのような方向性の未来を目指すか」という点においては賛否さまざまな議論があるでしょう。けれども、「今この時代に生きる我々の選択と行動によって、数十年後の未来の姿が大きく変わってしまう/変えることができるタイミングだ」という認識においては、両首脳と一致してしまったわけです。スケールがでけえよ。


まあ、未来のことはわからないし、予測もできないわけですし、ほとんど感覚的な話です。人によってはオカルトだとか非科学的なものだとか、そんな感じで嫌悪するような、感覚的な話。

けれども、個々の流体粒子の運動を厳密に計算しなくても近似的な流体シミュレーションが可能であるのと同様に、「ざっくり全体を俯瞰すると見えてくるもの」というのは、人という粒子の集合体であるこの世界全体に対しても言えるのだと思います。(あるいは、ハイゼンベルグの不確定性原理にも似た性質を、人の集合体は持っているのかもしれませんが。)

いずれにしても、『世界』と『時代』の中に『日本国』を位置付け、そこから『地域』や『暮らし』を帰納する視座が、とりわけ政治のプレイヤー達に求められるタイミングだと思います。


もしかすると、大したことは何も起きないかもしれません。しかしそれでも数十年後の未来から今を見た時に、「あの時はなんでもないことだと思ったけれど、今にして思えば、あれが今を形作る契機だった」と言われるような、そんな何か。

もちろん、政治の営みは常に未来を形作るものではありますが、その影響度がやたらとデカくなってしまうのが、今というタイミングなんじゃあないのかと、感覚的にそう感じています。


日々、靴底を泥まみれして、地域で活動している皆さんもそうです。

今このタイミングで何を為すか。

それによって、あの横断歩道を渡る子ども達の、手を振ってくれたあの青年の、チラシを差し出す手を振り払って歩き去ったあの人の、声を掛けてくれたお婆さんのお子さんの、この街の未来の姿が大きく変わっていく可能性がある。


なにぶん感覚的なものですから、そうだと信じろと主張はしません。
ただそれでも、国民民主党の旗を立てる仲間には、この背筋がゾワゾワするような奇妙な感覚を、共有できる人がけっこういるのではないかな…と思います。

以上です。