確定申告シーズンの終わりに考える、公租公課の負担とかについて

先日、先延ばしにしまくっていた確定申告をいよいよもってして終えた。
否応なしに税と社会保険料について考えてしまうタイミングである。

税金について、僕は前々から思っている疑問がひとつある。

果たして国や自治体は、「その人(個人または世帯)が、トータルでいくらの税や社会保険料(公租公課)を負担しているのか」を把握しているのだろうか。

トータルで僕が、公租公課をいくら負担しているのか。トータルで年収の何割ぐらいの負担になっているのか。そういった情報は、いったいどこの誰が把握しているのだろうか。

そんな疑問である。


なぜこれが疑問なのかというと、結局のところ、ナニ税であれナニ料であれ、“出ていく財布は一つ”だからだ。僕に課せられた公租公課は、何であろうが僕の財布から出ていくのだ。

所得税、住民税、健康保険料(税)、年金の負担金、消費税、揮発油税、再エネ賦課金…。どれも“出ていく財布は一つ”である。


たとえば…ちょっとうまい説明が思いつかないので、ざっくりケース事例で考えてみよう。
あくまでイメージを掴むために、大雑把に考えていく。

話をシンプルにするために、年収150万円、フリーター、一人暮らしを想定しよう。

所得税はだいたい年5万円ぐらいだろうか。
この金額“だけ”を見れば、なんとか頑張ってくれませんか…となるかもしれない。

では住民税はどうだろうか。自治体によって違うが、軽くググってみた感じ、これもやっぱり年4~5万円ぐらいの様子だ。こちらもやっぱり、その金額“だけ”を見れば、なんとか頑張ってもらえませんか…となるかもしれない。

国民健康保険料はどうだろう。こちらはけっこう重くて、年15万円ぐらいだそうだ。月々12,500円。こちらもやっぱり、この金額“だけ”を見れば、まあ頑張れば何とか…ぐらいの感じはしなくもないが、しかしキツい金額だ。

ここに国民年金保険料が月々16,520円が乗っかってくるとする。これもやはり相当重いが、しかしこの金額“だけ”を見れば、頑張れば何とか…という感じかもしれない。

しかしだ。一旦ここまでの公租公課の負担を合わせてみよう。
なんと、これで年間448,240円にもなってしまう。この時点でもう三割ぐらい持っていかれているのだ。

さてお気づきの通り、まだ消費税の話をしていない。他の税目の話も。でもまあ、ここまでくれば十分だろう。

担税力の評価がおかしいのである。

多分、おそらくは、「あなたは年収150万円あるのだから、“このぐらい”は負担できますよね?」が積み重なった結果として、トータルでおかしな量の公租公課を課せられてしまうのではないだろうか。

年収150万円で、公租公課の負担はざっくりトータル4割ぐらいだろうか。そうして残った年90万円ぐらい、月あたり7万5000円の中で、衣食住の費用をまかない、水道光熱費やら通信費やら何やら…と考えていくと、もうこれは、相当しんどい。無理ゲーである。


どうしてこうなったんだろう?と素人ながらに考えてみると、もしかすると、税金を使う側の人達が、だれも“出ていく財布は一つ”ということを考えてないからじゃないだろうか…と思えてならないのだ。

一人一人の国民や各世帯が、トータルでいくらの公租公課を負担しているのかを、誰も把握してないんじゃなかろうか。所得税を扱う人たちは所得税のことだけを考え、住民税を扱う人たちは住民税のことだけを考え、年金機構は年金のことだけを考え…となり、だれも“出ていく財布は一つ”ということを認識してないんじゃないだろうか。

そんな風に思えてならないのである。


しかし、改めてこうして考えてみると、やはり社会保険料の負担はエグい。
累進性が弱いのか、ほとんどないのか。
ちょっとこの辺も勉強不足で、よくわからないのだが。


なにはともあれ。

ここでひとつ、甘酸っぱい原理論を言わせてもらえば、納税は義務だが、しかし納税のために俺たちは生きているんじゃあないんだ。

俺たちは納税マシーンじゃあない。

贅沢をさせろとは言わないが、しかし、最低限の慎ましい暮らしを穏やかに過ごしたり、好きな相手と結婚したり、望む数の子どもを産み育てたり、自分にとって必要な技術や学びを得たり、あるいは次世代にそれを注いだり、そういった「文明社会の住民として当たり前の営み」をおくることが、納税の義務によって著しく阻害されるような社会に、未来なんかない。

…ということがわかっているから、みんな、必死になって知恵を絞っているんだろうとは思う。
はてさて、どうしたものかね。