うとQ世話し 求む、お叱り。我が「ガキンチョ・レベル」へ

2021/5/5
(うとQ世話し 求む、お叱り。我が「ガキンチョ・レベル」へ)
5月5日。
こどもの日。
大人のくせにこらえ性がなくて「ガキンチョみたい」
といわれておりますが。
最近、とみに思うのは、
「してはいけなと思いながら、どうしてもしてしまう」
「しなくちゃいけないと思いながら、どうしてもする気にならない」
そんな裏腹なことだらけの日々が続いているなぁと。
それを自分は疲労故の意志力の弱体化によるものと思っていると、意外にもひと様は
「あんた、近頃、益々のガキンチョ・レベル、アップやね」
と。
それで、改めて考えてみたのですが、
上述の二つの文章の前半部分、have to do, should do, must doの「ねばならぬ」という強要は理性(頭)が司っていそうだ。
しかし、後半の部分の「でも、してしまう」「でも、する気にならない」と本意を翻すのは、一体何が司っているのか。
通常言われるのは「こころ」とか「感情」
でも「こころ」とか「感情」と言われるのも、実は脳(頭)の働き。
では、「禁止」や「督促」を司っているもう半分の「翻意」の部分は何なのか?
思うに、それは各人が個々に持っている(持って生まれた)特質、性向もっと具体的に言えば「傾向」とか「方向性」なのではないのかな?と。
つまり、お上(理性)からの強要は強要として聞きながらも、どうしてもそちらの方向に「流れてしまう」ある種の「傾斜」「傾き」のようなもの。
右20度とか、左8度とかの「傾き加減」とでも申しましょうか。
(ここで言う右、左は政治的な意味ではありません。別に東に20度。西に8度でもかまわないのです)
縦横斜め、各方向に正位置で立っているつもり、或いはそうでなくてはならないと思いつつも、生まれつきどちらかの方向に傾斜しているために、どうしても「ズレ」が生じ、思うようにコントロール(補正)が出来ない。
たとえて言えば、一月前に散々苦労させられたタッチパッドの入力指示と動作始動のタイムラグのズレとそこから来る苛立ち(ストレス)の発生。
「なんやねぇん。どうして思うように、行けへんねぇや」
という様なもどかしさとその鬱積。
そして、それがいつの間にか、苛立ちに変質し、苛立てば苛立つほど、苛立ちの傾斜がどんどんキツくなっていく…
最近、自分は可成り暴走しております。
身近に諫める者もおらず、かなり、ガキンチョ・レベルに傾きまくっております。
このままでは、碌な事にならないので、
「どうか、どなたでもよぅございます。手加減せずに「キツく」「ピシッと」お叱りくださりませ!!」
本気で、そう願っております。

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