TIMELINE for “parallel park” に向けて parallel parkを振り返る
4/5 tacicaの結成記念日!!
その翌日、4/6より始まるワンマンツアー
「TIMELINE for parallel park」
過去に発売したアルバムを現在のバンドで再現をする「TIMELINE」企画の4回目。結成19周年を迎えるtacicaが今回再現するのは2008年に発売した1st album 「parallel park」。
実はこのTIMELINE for parallel parkは2020年にも開催されていた。かのウィルスが猛威を振るっていたために、1公演のみで観客も収容人数を減らしていた。行きたくても行けなかったという方も多くいただろう。(私もその一人)
それが今回、さらに1st mini album
「Human Orchestra」も合わせて演奏されるという。結成20周年を迎えようとしているtacicaが
原点回帰をするツアーとなっている。
昔から知っている人も、最近知った人あるいはこれから知ろうとしている人も楽しめるツアーになるだろう。
そんな楽しみ満載なツアーをさらに楽しむために改めて1st album 「parallel park」を振り返ってみる。(あくまで自己満足)
1.ヌーの休日
束の間の休日にこれからを考えて、また移動を始める。
1曲目だというのにタイトルには休日という言葉が入り、本当にこれから曲が始まるのか? と思わせる。
イントロ無しで2分08秒で終わる短い曲。
後に出るアルバムでもtacicaのアルバムの1曲目は短めの曲が多い。
ヌーといえば大移動が有名な動物だ。食料を求めて群れとなって危険な場所を乗り越えていく。そんなヌーの束の間の休日と人の生きる様を掛け合わせているかのよう。
待つと持つで韻を踏んでいるのが心地よい。
0、無に帰るとき、つまり"ここからいなくなる"
瞬間なんて誰も待っていない。だからその瞬間を迎える時、何を持っていたいか問いかけてくる。
食料を求めて大移動するヌーは産まれ落ちたときのあの夜のことを思い出す。
輝いてみえたあの頃のことを思い出して、過去に惹かれながらヌーは、人は、休日を終えてまた歩き出す。
休日というタイトルであるもののどこか始まりを予感させて、次曲"ゼンマイ"とシームレスに繋がる。
2.ゼンマイ
あの時見た風景も抱いた感情も忘れないように、夜明け前にまた希望を探す。
ヌーの休日から自然に繋がって始まる。
ゼンマイは植物の方のゼンマイであり、機械の方の発条でもあるよう。
高層ビルが立ち並び、空や風景といったことを見ることが出来なくなった。発展や成長をするには何かを失うことも必要となる。
この街の風景を、ここで過ごした思い出もきっと忘れてしまうその前に僕がいた証を刻みたい。
傷ついたり、落ち込んだり、へこんだり。そんなことを周りには見せずに隠す。気づかれたって誰も失敗なんて言わないのに隠し続ける。
ゼンマイバネは引っ張っても弾性の力で元に戻ってくる。出来損ないのゼンマイは元に戻って来れず伸びきったままになってしまう。
そんな進むだけしかない、元には戻れない未来を嫌悪する。
スティックのカウントがあってからのサビ。
一度立ち止まって深呼吸をするかのようだ。
世界中にばら撒かれるのは息を切らすような か弱い希望。その希望を求めて日々を耐える。
誰にも気づかれないような場所で足が痺れるまでその時を待つ。ようやく巡ってきた機会に希望を夢見て一歩踏み出そうとする。
昔願った理想の通りではなくても今日という日は当たり前のように過ぎていく。
泣いてばかりいた僕はもういない。理想通りにならなくても小さな希望を探すことで生きる意味を知る。
そんな僕を見てどこかにいるヒーローが肯定するように頷く。
思い通りにならない世の中で立ち止まっては生きる意味を探す。
夜明け前に というフレーズが繰り返されて歌われる。
ゼンマイバネが跳ねるようにぐっと力を込めているように感じる夜明け前。
また明日を迎える為に力をつける。
3.人間1/2
相反する"僕と僕"。どちらかじゃなくてどちらもあって"僕"をつくる。
前の2曲とは打って変わって激しいギターの音から展開される。その後、ベースが主張しながら入ってくるのも気持ちがいい。
ちなみにタイトルの1/2は2分の1とそのまま読んでもハーフと読んでもいいとのこと。ただ猪狩さんはあえて読まずに人間というタイトルで呼称している。
物事は角度を違えて見ると変わる。生物だってそうだ。皆が皆、同じじゃない。闘争心を燃やす者もそうでない者も、角度が違うだけの同じものたちが競い合っている。
非対称ではなく、不対称。こんな言葉はないが、違和感なく聞ける。
ぶつかり合う感情たち、でもそのバランスをとるのはどうしてか疲れてしまう。
相反する2つが声を揃えて、この身体で生まれて良かったのかい? と聞いてくる気がする。
そんな言葉に動揺してしまう。
そんな2つの内の1つを選んだら、その人の本性が顔を出す。そして選ばれなかったもうひとつは姿を消してしまう。
選ばれなかったもうひとつは怪我をして、眠った振りをして、まるでもう関係ないかのように振る舞っている。しかも自ら追い出したはずなのにその言葉すら覚えていない。
脈を打っているかのようなドラムが鳴り出す。
その後、血が巡るようにギターの音が駆け回る。
2つの声は心臓のように場所が決まっているわけではない。だからといって無視できるものでもない。
「生まれて良かった」
きっとそう言われている。そんな都合良く解釈して生きて行くためにも、置いてきたもうひとつの僕を探す。
自分との闘いを終え、眠るかのように音が止む。
4.HERO
聞こえているか、いるんだろう? ヒーロー。 ボロボロの僕を助けてくれよ。
人間1/2の余韻もそこそこにまたアップテンポな曲が続く。こちらの曲はmvが作られている。
中々に難解でシュールさもあるmv。ただ演奏している姿はめちゃくちゃ格好いい。この頃はまだ顔出ししていない時の為、顔は照明で上手く隠されている。
失っても傷ついても、堪えて決して泣きはしない。そんな強がりが窺える。
ここでタイトルのヒーローという言葉が登場する。泣いたりしないと強がっていたが、弱音を吐くように涙を流して、縋るようにヒーローに守ってくれと願う。
降りてきたイメージがエンジンとなって、手を動かしてくる。しかし、胸の最上階の心臓は機械のようにいつも通りに精密に脈を打っている。
つまり、どんなときでも心臓は脈を打って、自分というものが存在している。
機関銃はマシンガンと読む。まさにマシンガンのように言葉が矢継ぎ早に続く。
自分のために作ったマシンガンでは不安は撃ち出せないのに、ヒーローでも辿り着けないような場所を望んでしまった。
ボロボロになってまでもやりたい何かがある。
空想上のヒーローに助けを乞う。
いつになったら。いつになっても。
その助けは来ないのに。
それは分かっているのに助けを乞う。
行き先が分からずに立ち止まってしまう。そんな中で地球儀を廻して廻して、ヒーローを探す。どこかにいるそのヒーローの助けを乞う。
そんなヒーローからとうとう答えてもらえる。
確かに答えはもらったけれど、思っていた答えではなかった。でも、それでも"次"という希望をもらえる。今はダメでも次ならば。
他人から良く見られていても、自分だけは騙すことは出来ない。泣いたりしないと強がっても、本当は泣いていたり。心の中ではヒーローに縋っていたりする。
そんなどこにでもいる人間なのだ。
「また次回の機会に」
そう言われたからその"次回"のために今度は0から作り上げる。何度だって作り上げる。
ラスサビが終わったと思ったら、最後にcメロが続く。こういうパターンはLEOやaranamiなどでも見られる。
何度だってヒーローを描く。
汚れだらけ、傷だらけでも何度だって立ち上がる。それこそヒーローのように。
どこかにいる、どこにでもいるヒーローへ呼びかけるような歌い方で終わりを迎える。
5.黄色いカラス
どれだけ変わろうと僕は僕。色をつけるのも自分自身。
かなり文字量が多く、素人が歌うのには難しいなと思わせる。こちらもMVが作られている。
こちらはHEROとは違いアニメーション。黄色いカラスとモノクロの世界という単調ではあるものの引きこまれる。
カラスは黄色が視認できないという話がある。
(本当は色よりも紫外線がカラス除けになっているらしい)
mvの冒頭でカラスの群れに見向きもされずに落ちて行く黄色いカラス。そんな孤独なカラスの歌。
イントロもなく、猪狩さんの歌が息継ぎも絶え絶えに怒涛に続けられる。
〜ぜ。という歌詞はtacicaにしては珍しい口調な気がする。
千年経ったとしても知らないことはきっとある。この世の中の全てを知るには千年でも一万年でも、何億年経ってもきっと無理だろう。
何かになりたい、あの人のようになりたい。
憧れを追い求めているうちに自分というものが分からなくなっていた。そして憧れからも掛け離れていたことを知ってしまう。
なんて馬鹿馬鹿しい物語だ、とフィクションを笑っているけど、自分の人生は色もつかないようなつまらない物語。
育った街は不安も弱さも包み込んでくれた。
でも、そんな場所から離れたくなって、自分の物語に色をつけてみたくなって、何の根拠もなしに飛び出した。
飛び出して自由は有り余るほど得ることが出来た。でも、何の考えもなく飛び出したせいで、誰からも見向きもされていない。そして孤独になっていることにすら気付いていない。
もっと自由に、もっと上手く、もっと……。
そんな願望を呟く。
サビ終わり後すぐに2番の歌詞へと入り、また矢継ぎ早に言葉が畳み掛けられる。
待ち構えているときに限って、"それ"は、やってこない。そんなことはもうわかっている。
でも無限に続くことなんてあり得なくて、いつかは終わりを迎える。
いつかは終わりを迎える僕や街はそれでも憶えている。ここで過ごした日々や風景、思い出。そういうものは決して忘れない。
そして続く歌詞からは自己問答が続く。
理に適ったではなく、理に叶ったという表記。
そんな道理に叶ったモノだけが大事じゃない。もっも大切なモノはきっとある。
誰に見つからずとも自分のしたいことをする。
それだけなんだ、と気付く。孤独になりながらも鳴き続ける。きっと自分のことを気づいてくれる誰かが何処かにいるだろうと黄色い羽根を振り翳しながら今日も飛んでは、鳴く。
6.サカナヒコウ
なぜ僕らは生き(息)続けなければならないのだろうか。感情なんてものがなければもっと簡単なのに。
激しいサウンドが続いたが、ここで一度テンポダウン。カラスから今度はサカナへと続く動物のリレー。
魚 飛行という言葉だとトビウオを連想させる。トビウオは魚でありながら外敵から身を守るために空を飛ぶ。そんなトビウオの歌だろうか。
(ちなみに猪狩さんの奥様の元所属バンドでもとび魚の名が入った曲がある。もちろん単なるただの偶然だが……)
すごく詩的。
空に尋ねるとそれに応えるように雨が降り出す。
そんな雨から逃げるように水中へ潜る。そんな水中で水か涙か分からないように誤魔化して泣く。
水の泡になるとは、今までのことが全て無駄になることだ。
大切なモノがありすぎて、いつか終わることを恐れてしまう。
敵から逃げるとかそんな危ない事をせず、ただ日々を過ごしたい。何事もなく泳いでいたい。
感情はなぜあるのだろうか。感情がなければこんなに苦しいことも辛いこともないというのに。
身体に付属しているそんなものを恨む。
敵から逃がれるために飛ぶトビウオは嘆く。
どうしてこんなに辛い日々を過ごさなくてはならないのか。なぜ、泳ぐだけでなく、飛ばなければならないのだろうか。
猪狩さんの声とメロディはまるで夜が明けたかのように感じる。
行き着く先は分からないのに呼吸は続く。
それなのにどうして自分らしさを貫くのか。
魚 非行。
魚でありながら空を飛ぶという特殊なサカナ。
そんな嘆きのような歌。
7.ウソツキズナミダ
嘘吐きがつく嘘が誰かの為になれたら。 心の中で涙を流しても笑ってもらいたいから。
ギターの特徴的なイントロから始まる。
この曲もベースがいい味を出している。
ちょうどいい速度で走る。それには砂糖のような甘さが必要だ。ずっと同じ速度で生き抜くことなんてきっと無理だ。少しの休息やご褒美があるからこそ生きていられる。
交代してくれ! と願うほどの痛みや失敗といったものを知り、怖じ気付く。しかし、また次の朝になれば不思議ともう一度立ちあがろうとしている。
ここのドラムが力強くそれを後押ししてくれるように演奏される。
明日をまた迎えるために嘘をついて自分を守る。そんな自分を守るだけのちっぽけな嘘が迷っている人に届いて、そんな迷いを晴らしてくれればいいのに。
そんなことを考える夜。
いいのにな、の歌い方には優しさを感じられる。
この曲は"手を繋ぐ"ということがキーワードになっているよう。
嘘つきは知ってしまう。
こんな自分でも信用してくれる人のことを。
ふとした時に零れた言葉だって、見捨てないでいてくれるあの人に届いてくれたらいいのに。
4回に渡って繰り返される歌詞。
嘘吐き's涙。
嘘吐きたちだって涙を流す。自分を守るために嘘を吐いて、苦しんで涙を流す。
嘘吐き 傷 涙。
嘘を吐いて傷ついて傷つけられて涙を流す。
嘘 月 傷 涙。
傷だらけになってまで嘘をついて涙を流した夜。
ウソツキズナミダ
涙さえ嘘にはしない。
眠れないほど辛いのに、心の中でしか泣けないキミの側にいて馬鹿みたいに笑っていたい。
例え最低な明日を迎えようとも生き続けなくてはならない。でもそんな最低な明日でさえも
「予報通りだ」と嘘みたいに笑って欲しい。
最後に猪狩さんの雄叫びが響き渡る。涙を流している全ての人たちに向けるかのように。
鷽(うそ)という鳥がいる。災いを"嘘にして、幸運を呼び込むという伝承がある。
そんな嘘みたいなことがあったらいいのにな。
8.バク
夢は飲み込んだ。それでも誰かの思い通りではなく自分らしくありたい。
ここでまたロックテイストの曲。ライブではストロボも焚かれたり、tacicaの中でも激しめの曲。
ドラムやコーラスもライブでは見所。
バクは夢喰いで知られる伝説上の生物。
バクに夢を上げますと唱えると悪夢から逃れられるという。
夢は何故見るのか、はっきりとした答えは未だに出ていない不思議な体験だ。
空想をすることでそれが活力になることもある。
弱音を吐いて、それが染みついたベットで恐怖から逃れるために夢を見る。まるで夜の逃避行。
誰かに晒すことは出来ないから、ずっと秘密にしていたこと。レールに乗った人生ではなく、そんな理想を夢見る。
身体と心の関係。tacicaでは多く見られる。
身体に傷はなく、開けない心。そんな自分が嫌で塞ぎ込もうとするが、肝心の鍵は掛けられていない。
現実では打ちのめされるばかりでただ無駄な時間を費やす。
「おかえり。」
打ちのめされた僕を夢の中で迎える。
自分に足りないモノ、自分の理想は自分で創造すると豪語するが満たされない。そんな空っぽの口だけの自分。
cメロのコーラスの声の重なりはゾワッとする。
バクは周りに邪魔されながらも"僕"の夢を喰おうとする。
誰かに決められたルールに縛られるのではなく、叶わない夢ばかりを見過ぎるのではなく、不格好でも自分らしさを持っていて欲しい。
「ただいま。」「おかえり。」
迎えて、迎えられていた、縋りついていた夢に
「さよなら。」を告げる。
さよならを告げたけれど、でもまた何かのときに助けになるかもしれない。だから少しくらいなら夢に縋りついてもいいだろう。
ラストでは今まで響いていた音が止み、まるでさわやかな目覚めのような気分になる。
9.Silent Frog
忘れては覚える日々を繰り返す。でも、きっと誰かが忘れないでいてくれる。
優しげなアコギの音色と歌声が響き渡る楽曲。
訳すならば沈黙の蛙、鳴かない蛙。
求愛の為に鳴く蛙が鳴くのを止めるとき。それは何を意味するか。
余談だが、後に発売された「命の更新」のMVでも蛙が登場する。
「命の更新」→「ドラマチック生命体」→
「不死身のうた」という三部作の蛙の物語。
昨日のことすら忘れるくらいの充実した今日。
そんな日が過ごせたらなんて素敵だろう。
夏は蛙が生きるのには中々難しい季節。変温動物の蛙は夏眠をして地中で過ごす。
太陽に照らされて渇かされる日々に雨を望む。
歴史は美化される。上手くいったこと、成し遂げたことが取り上げられる。でもきっとそれだけじゃないはずだ。
たった一つの頭を使えば、アイデアはいくらでも思いつく。でも奇跡だけは起こらないと知ってしまう。
蛙は求愛のためによく鳴くことが知られている。そんな蛙はまた次の春を迎えるための地中で周りの風景や感情を知る。地上にいた時には知らなかったことを。
当たり前に過ごしている毎日も改めて見返すと意外な発見があるかもしれない。
その日感じた景色や雰囲気、その時々に感じるもの。そういったものに救われるけれどこれからを生きる為には忘れなくてはならないことでもある。そうして日々は過ぎていく。
覚悟などという曖昧なもので痛みが無くなれば、ルールに縛られずにやっていけるのに。
いくら歳を重ねたって敵わないものがある。でもそれくらいでいい。歳をとったからといって何でも出来るわけでもない。
同調圧力。みんながやってるからという言葉に惑わされ、やりたくないことにも手を出してしまうこともある。
何にでも手を出して良いということではない。自分がどう思うかが大事だ。
口を耳を目を塞いで知ることもあるように、諦めた夢や今までのことがいつか日の目を見るかもしれない。だからずっと守っていて欲しい。
雨の降る頃に顔を出す蛙。地中での日々を耐えて再び顔を出す頃にはまた雨が知らせてくれる。
目の前の風景も感情も"次"を生きるために忘れては目に焼き付けて覚える。そして蛙は静かに地中へと身を潜める。
きっと来年も。
そんな希望を持って。
10.アースコード(ver.118STG)
僕らは存在し続ける。地球の音を奏でるように。
アルバムの最後に相応しいストリングスも入った壮大な曲。1stシングルのカップリングとして入っていたアースコードとのバージョン違い。ver.118STGとはbpm118でストリングス(strrings)有りとのこと。
食べ散らかして←バク、silent frog
チョコほど甘くはない日々←ウソツキズナミダ
(砂糖に紛れて)
抜け殻←人間1/2 (もう片方の僕見当たらない)
などなどその他にも後にも出てくるが、(こじつけっぽいが……)今まで出てきた曲を彷彿とさせるフレーズが散りばめられている。
割とtacicaの歌詞は過去を振り返るような言葉が多い。この曲もそうだ。
チョコのように甘くない日々を過ごす。そんな当たり前の日々に特別な名前は無く、その日々は抜け殻のように残る。
歳を重ねたとて完璧にはならない。いつだって弱点や欠点がある。それを隠して挑戦するけれど理想には辿り着けていない。
雨という言葉もtacicaの歌詞にはよく出てくる。
雨の似合うバンドといってもいいくらい。
挫折。躓き。空振り。失敗をしても、次こそは。
そんな思いを胸にして吹いてきた追い風を味方につけて駆け出す。
日の目を見るような人生ではない。決して目立つような派手な生き方をしていない。
それでも覚えているから、キミのことを。
人間だけではなく、動物も。生きとし生けるものの多くは泣きながら産まれる。きっとそれはこの地球に生まれたというメッセージなのかもしれない。そんな地球の音を奏でるように生きているのだろう。
忘れるから生きていられて、忘れないから生きている。
相反する事のように思えるが、真理ともいえるようなこと。
過去があるから現在があって未来がある。
記憶は曖昧だ。はっきり憶えていたこともいつかは忘れてしまう。だから、五感を感じて、此処に存在する現在。それが自分なんだ。
これからも地球の音を奏でるように存在し続けていく。
おわりに
休日から始まり、最後は地球の音を奏でる。
言葉で書くと何だか壮大さに溢れる。でもこれは人間の一生なのかもしれない。産まれ落ち、成長し、時には挫折を味わって、悲しみに打ちひしがれる事もあって。そして今度は育てる立場になって誰かや何かの為に生きる。
そんな一生をこのアルバムで体感出来るのではないだろうか。
また、1st albumということから、tacicaの決意のようにも思える。
これからも音楽を続けていく。
そんな言葉にも思えてくる。
2008年に出したこの曲たちがあってこそ、現在のtacicaがある。きっとこの先も彼等は歌い続けてくれるだろう。
来年の結成20周年が今から待ちきれない。
こちらの記事でデッドエンドの歌詞を投稿したところ採用されておりました。
様々な"ことば"が載っております。是非。
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