生きる目的なんて一つしかない
生きる目的は何か?
みたいなことを問いかけたり考えたりすることは多いと思います。
大いに考えれば良いと思うんですが、もし生きる目的が何か分からずに落ち込んだり悩んだりしているのなら、そんなのやめときましょうよ。
生きる目的なんて一つしかないんだから、というのが今回の主旨です。
生きる目的は、生きることである
結論から言いますと、生きる目的は、生きることそのものです。
志とか、使命とか、自己実現とか色々ありますが、それらはあくまでオマケ。
生命体である以上、その生命を維持し続けること以外に目的などありえません。
そもそも生命を維持し続けるというのは、めちゃくちゃ大変なことです。
私たち人間の身体は、常に酸素と栄養を補給し続けないと維持できません。
しかもものすごく絶妙なバランスの上に成り立っていて、怪我や病気といった原因でそれらがちょっとでも狂うと、あっけなく死んでしまいます。
かつて私たちは生命を維持するために食糧をかき集め、病気や事故や害獣や戦争といった脅威から逃れるために意を尽くしてきました。
(かつてと言いましたが、今この瞬間でも生命を維持するために必死な人もたくさんいます)
しかし大半の現代日本人にとって、生命を維持するために必要なこうした労力は、かつてとは比べ物にならないくらい小さなものになっています。
つまり我々の大半は生きる目的である「生きること」を、さほど意識することもなく達成してしまっているのです。
目的を達成した、じゃあ次はどうしよう
目的を達成した。
しかも大した努力もせずに。
だからこそ、私たちは自然な行為として、次の目的を探し始めます。
しかし、次の目的は私たちが本来持っている「生きること」に比べればはるかに弱い目的でしかないので、容易に「これが目的だ!」と断じることができません。
ゆえに私たちは「生きる目的が見つからない」などという頓珍漢なことを言い出すのです。
アブラハム・マズローさんが欲求五段階説なんてものを提唱していますが、本来なら下から二つの生理的欲求と安全欲求、この二つを満たすことさえできれば十分であり、あとはオマケです。
もちろん、それは大事なオマケです。
ただ生きるのではなく、より良く生きようとする努力を、私は素晴らしいと思います。
しかし、あくまでオマケです。
この文章を読んでいる貴方は生きています。
貴方が生きる目的は、既に達成されているのです。
生きる目的は達成されている
生きる目的がないなんてとんでもない。
私もあなたも、既に生きる目的は達成できているのです。
そのうえで「良いオマケ」を探し求めるのは良いでしょう。
しかし「良いオマケ」が見つからないからといって思い悩み、本来の生きる目的である「生きること」に支障をきたすのであれば、それはナンセンスと言わざるを得ない。
要するに、もう目的はクリアされてんだから、気楽に生きましょうよと。
私が言いたいのはそんなところです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 小難しい話からアホな話まで、気の向くままに書いてます。 「スキ」を押すと、これまでの記事のエッセンスやどうでもいいネタがランダムで表示されます。