見出し画像

障害とはその人と周りの環境である

障害者って何だろうという話。

「私は目が悪いので、眼鏡かコンタクトレンズがないとほとんど何も見えません」

「私は姿勢が悪く首肩腰が痛いので、定期的にマッサージに通わないと動けなくなります」

「私は頭痛持ちなので、ロキソニンがないと仕事にならない日が月に半分はあります」

一般的に、こういう人たちは障害者とは呼ばれません。
しかし彼ら/彼女らも、もしも眼鏡・コンタクトレンズ、マッサージ、ロキソニンがなかったならば、日常生活がままならないわけです。

つまり障害者というのはその人単体で成立する概念ではなく、周囲との兼ね合いの中で

「多数の人はこれができるけど、あなたはできない/できなくはないけどやるのが困難」

という形で成立するものです。

障害者の定義は流動的

たとえば、聴力が極端に弱く人の声を聞き取ることが困難な人。
彼らの主なコミュニケーション手段は手話であり、大多数が発声によるコミュニケーションを用いている社会においては日常生活を送るのが難しいことから聴覚「障害者」と定義されます。

しかし、もしも聴覚「障害者」だらけの空間に「健常者」が放り込まれたらどうなるでしょうか。手話を知らない「健常者」は、ただ一人周りの人たちとコミュニケーションを取ることができない、彼こそが「障害者」であるという逆転現象が起こります。

周りの環境から障害を変えるという発想

このように、障害とはその人自身が持っている資質よりも

「周囲の環境との兼ね合いで、日常生活に不便が起きるか」

によって生じる、あるいはその軽重が変わってくるものです。

たとえば車いすで生活せざるを得ない人の住まいあるいは職場を、階段や段差だらけの環境からバリアフリーな環境に変えたならば、その「障害」は軽減されます。

障害とはその人と周りの環境の関係性の中から生まれる。

かつては

「車いすだから、階段を昇れないのは当たり前」

と、誰もが見切る、あるいは諦めていました。
しかし近年はバリアフリーという概念の下、多くの施設でその環境が改善されつつあります。

私たちが気付いていないだけで、障害を減らすきっかけはあちこちにあるのだと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 小難しい話からアホな話まで、気の向くままに書いてます。 「スキ」を押すと、これまでの記事のエッセンスやどうでもいいネタがランダムで表示されます。