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#3.「全社MTGで、なぜママリに関わっているのかということを話した」ときのこと


0.このnoteの位置付け

・自分がそのときどきに話したことを、そのまま何も加工せずに書き起こしたものです。なので「読みやすさ」や「情報としての伝達性」などはあまり考慮されていません。
・継続的に更新できるように「ただ、はなす」=>「ただ、書き起こす」をオペレーショナルにすると簡単じゃないかと思い、実験的にやっています。
・詳細な意図はこちら:  #1.「ただ、◯◯する」をやりたくて、noteをはじめます。 

1.日時/場所/天気/予定/参加者

・日時:2019年2月7日(木)朝11:30ごろ
・場所:白金高輪にあるオフィスの木張りのフリースペース
・天気:けっこう寒い日。でも天気はよかった。
・予定:月一の全社MTG
・参加者:コネヒト全社員60名ぐらい

2.「最初の自己紹介」のとき

はい!あっあっあっ(マイクテスト)
はい!えっとー、みなさんおはようございます。

これはちょっと自己紹介ということで、えっと、いつも朝の挨拶をやっています。で、採用担当をやっておりまして、えーっと一昨年の4月にコネヒトに入社しました。17卒入社になります。

で、最近のテーマは、ちょっといろいろあるんですけど、自立した健康と置いていまして。まあなんかそれを突き詰めた結果、ふっ笑。こういう右腕に笑。あの前は本当プラス10kgぐらいあって、けっこうあったんですけど、まああのコミットしました。で、自己紹介です。

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3.「発表にあたってどういう気持ちがあるか」のとき

発表にあたってどういう気持ちがあるか。えっと、あの自由な時間にしたいなとおもっていまして。なんか好きにあの聞いていただきたいですし、なんかきいた話をどう受け取るかというのは、あの自由だと思っています。反対に、僕も自分がはなしたいことを、まあはなしたいというふうに思っています。

で、あとはさっき立候補という話があったんですけども、なんか当事者意識を持ちたいというのがけっこうあってですね。あのアンケートを答えるときになんか、「話したい」「なんとかだったら話したい」「はなしたくない」みたいな。で、ぼくはちょっと話したいという気持ちがあって、なんか真ん中を選ぶのはけっこう憚られて、なんか話したいを選びました笑。そういう結果で、けっこう自分でちょっと踏み込んでみたいなと思いました。

で、同時にジレンマがあるんですけども、けっこうその表面的ていいますかね、なんかそういう話よりも自分の真ん中にあるものを、あの探求したくて。で、なんかそれって自分でもあやういし、なんかわかってもらえるか、なんだろうな、なんか伝わるのかなみたいな。でもけっこうシェアしたくて。それは、なんかやっぱりみなさんと一緒に働いていて、なんかこう、やっぱもっともっとはなしていきたいというのがあるから、シェアしたいとおもっています。

で、何を話すかってところなんですけども。まあここは単純です。あの「なぜぼくはママリに関わっているのか」。で、それは採用業務のお話ではないです。なので、業務の話っていうよりも、なんでぼくはママリにかかわっているのか、っていうことです。それは、自分はこうです。で、ママリはこう、ということをちょっとお伝えしたいかなと思っています。

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4.「自分はこうである」のとき

で、自分はこうですということなんですけども。自分はけっこう嫌だなあと感じることがあります。で、みなさんもあると思います。で、ぼくにとっては、あの「1人の人として、扱わないこと」。それは自分がそうですし、まあ扱われないことってことががすごくいやだなと思っています。

で、そう思うようになった背景なんですけども。あの昨年にこの「愛するということ」という本を読んでですね。で、別にこれがきっかけでというよりも、まあこれまでいろんなこう人をみていく中で、まあ人間の関わり方というか、なんか、よく考えていたんですね。で、この本を昨年の夏に読んで、そのなんだろう、けっこう人との関わり方がすごい開けたというか。で、同時に1月26日に、ヤモティーさんという以前ママリに関わってくださって、メルカリいって、今起業されている方も上げられてて、なんだかこうすごい嬉しかったんですね。

で、なんかこう僕もこの本を読みました。この本から得られたことは、あの、人としてってところにはけっこう自分も含まれるな、ってことをすごく思いました。けっこう人のためにという気持ちが強いんですけども、その中の人に、客観的にけっこう自分も含まれるなあ、ってことを思いました。

で、そんなことを思いながら、人として扱われないことがすごく嫌だなっておもっている背景としては、まあこれちょっともうながくなるのでさくっと。自分の過去と今。

5.「自分の過去と今」のとき

で、僕の母親は、けっこう過保護だったんですね笑。小学校。あーの、まあ小学校の先生でしたと。なのでやっぱり、まさしく子育てということをまわりから見られるという立場だったので、まあ自分のこどもが、要はしっかりしてないとという気持ちがすごく強くて。まあ、なんでしょうね。そのー僕にとってはすごく僕を見ていないことがすごく感じました。なんか世間をみているというか、僕を見てないなみたいな。ああしなさい、こうしなさいと、すごくありましたと。なので、端的にいうと、すごくこう、コントロールされるというかなんか笑。こーーーまあなんか、こうちょっとすみません。あのなんかこう。私がお金を出しているのよ、とか、なんだろうななんかこー。老後の世話をしなさいよとか、けっこう言われてですね。なんか、あーなんかこれは対価なんだみたいな笑。なんかぼくは育ててもらっているのは、対価なんだみたいな。そういうことがありました。

で、同時に今社会人として働いているんですけども、右側の方ですね。なんかけっこう自分の本音を隠すことがあるなと思っていまして。で、さっきの話でいうと、なんか自分をけっこう殺して、まあなんか良いことをいうみたいな。けっこう自分を自分、人間として扱わないみたいなことも、まあやっちゃったなーみたいなことを感じていますと。

で、そんな中でもけっこう自分とか、いろんな周囲の人とか見ていく中で、なんか圧力って書いたんですけども、なんかすごい外部のこう、なんですかね。流れとか仕組みがある中でも、なんかこう、個人としてあろうとする姿ってのをけっこうたくさん、なんですかね。見てきました。社会人になってから。

で、これはけっこう自分の例じゃないんですけども、まあなんかこどもだったら、強大、強大ていうか本当、世界である親からどんなに叱られようとも、やっぱりこう自由に振る舞おうとするというか。走ったら転ぶよ!って言われて、めっちゃつよい口調で言われてても、それでもやっぱ走りたいんだと、走り出そうとする姿だったりとか。

あとは、右側は社会人の方ですけども、けっこう本当に人が本音でしゃべっているときって、なんかその人がなんでもないことでも、けっこうなんか涙を流す瞬間があって、本当に、なんか、昨日のなんかごはんが美味しかったとか。なんか、でもそれがそのときその人にとって、なんかいろんな鎧を外して本当の本音だったんだなって。で、そういうとき、あのいろいろあるけど、でも自分はこうですってようやく言えたときの瞬間って。なんだろうな。言う必要はないし、いったらどうってことはないんだけども、それでも自分はこうです、ということを、けっこう言ってたりします。そういう姿をみると、本当に一人ひとりって、なんか、人間であろうとするんだなというふうに思っています。

で、これ、なんだろうな。こうアウシュヴィッツのあの夜と霧ですけども。けっこう自分の生命の危機が瀕されている状態でも、人は人を助け合うというか。ママリのその、ママリの中でかわからないですけど。善意の中で、自分が困窮してても、やっぱり人は人を助けるし。その立場、圧迫する側でも、そのなんだろうパンをあたえたりとか。単純にすごい満たされているから、できるっていう、やるんじゃなくて。すごい極限の状態でもなんか、そういうふうにあろうとするというか。なんかそんなことをけっこう僕は信じてたりしています。なので、一人の人間としてあろうとうする力強さというのを感じていますと。

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6.「ママリはこうである」のとき

こっからもうほぼ、三分の1ぐらいです。で、ママリはこうである、と僕は思っています。ママリはそんな「一人の人間であろうとすることを守っている場」って僕は捉えています。すべてじゃないですけど、そういう風に思っています。

こっからは、ぼく当事者にではないので推測になるんですけども、こどもを生んだ人はママであることを求められるし、自分も求める、ていうふうに僕は感じています。なんかこう家事ができないといけないとか、子どもは、なんだろうな、どんなときでも好きでじゃないといけないとか。おしゃれなんかしちゃいけないとか。おしゃれなんてとか。これ全部すごく推測ですよ。でもなんか、サービスを触れる中でなんかそんなことをなんか感じています。

で、なんかときには、けっこうすごいそれが身近な人にも言われるんだろうなみたいな。あなたは、まあ、ママですとみたいな。で、ママってこうなんだろうからこうしなさいっていうのを、けっこう一番身近な人からもいわれたりするんだろうなみたいな。

で、理想のママ像と、一人の人間としてのギャップにけっこう、まあ苦しまれているんじゃないかと。で、理想なママ像であることをやりすぎてしまうと、まあこれはいろんな要因がありますけども、やっぱり自分のこどもに対しても一人の人間としてみれなくなってしまう。虐待とか。あとは、やりすぎてしまうと、まあ自殺につながる。まあ右下にちょっとデータみたいなのをつけているんですけども。妊産婦の自殺がやっぱり一番多いですね。一番の死因で多いのが、自殺ですね。がんが70人ぐらいで。でも自殺は100人ぐらいで。けっこうやっぱり、こう自殺って究極なので、それにいくまでにすごいいろんな負があるんじゃないかなと、思っています。

で、僕はなんかいきてて、自分は一人の人として自分をそういう風に扱わないことも嫌だし、周りがそういう姿勢になるのもいやだと思っています。で、ママリのユーザーは、その嫌なことに僕の目でみたらさらされていると思っています。だから僕はママリに関わりたいということを思っています。まあ、そういう気持ちでやっています。

7.「終えるにあたってどういう気持があるか」のとき

最後に、終えるにあたってどういう気持があるか。なんかこういずれ自分にもふりかかってくるとかことだなっていう風に思っています。でもなんかこう、なんだろうな、見て見ぬふりはできないというか、なんかそんなことを思っていますし、単純になんか、こうある程度、自分がやりたいことはできて、ていうのはすごく運がいいだけだったなということを感じていまして。けっして一人でここまで、ここまでというかこの場にいれないですし、いろんな人が僕にかかわってくれて、今があります。やっぱ強く感じたのは、けっこう3.11のときで。ぼくは大分にいたので、やっぱぜんぜん大丈夫だったんですけど。でも同時期に本当に生きたいと思って瓦礫の中で死んでいったこう、同期というか同年代がいるんだな、っていうのをそのときはすごく感じました。なので、振り返ったら僕は大丈夫というか、なのでなんかやりたいなということを思っています。

で、それなんですけど、まあけっこういろんなことを思うので。なんかこう、ママがこうであるというか、ママで置かれた人はこうであるとか、自分はこういうふうに感じるとか、でも今の自分ってこういう風にあるなって、自分の中でけっこういろんなことが起こっています。で、これをなんか自分ではなかったことにしたくなくて、それをしっかりこうやっていきたいなというふうに思っています。そんな気持ちで、まあ人の生活になくてはならないものをつくるということを、僕は、ずっとやっていきたいと思っています。

以上。

参照

・Twitter:「#愛するということ | Yamotty (@yamotty3)」
・amazon:「愛するということ」エーリッヒ・フロム
・amazon:「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル
・厚生労働省:子ども虐待対応の手引き_第2章発生予防
・朝日新聞:妊産婦の死因、自殺がトップ 産後うつでメンタル悪化か


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