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いい歳して

今週誕生日を迎えた。49歳までは年齢を問われたら「45歳です!」などと小学生みたいに元気に答えていたし、必要な場合には自ら躊躇なく言っていたが、50代に入った途端その数字の圧倒的強さにおののき、なんとなくごまかすようになってしまった。まあでも隠すことでもないし、これを機にもう一度堂々としてみようと思う。
ということで52歳になりました。1回しか言いませんけど。

年齢をおおっぴらにしたくなかったのは、その数字的な脅威によるところだけでなく、偏見の目で見られるんではないかという危惧があった。頭が固いとか、頭の回転や行動が遅いとか、若ぶってるけど年寄りくささがにじみ出てるとか思われるんじゃないか。そうかもしれないしそうじゃないかもしれないし、妄想癖もほどほどにしろと自分でも思う。
また、年齢の割にはまったく人間ができていないのは自覚しており、えーそれでその年齢なの? と思われそうなのもこわかった。わたしはわたしの基準で生きるのだといった強さがない。

という妙な悩みは置いておいて、数字におののく50代になってとくに気をつけるようになったのは、現状がベストと思わないようにすること。気を抜くとすぐ現状維持になっちゃうからけっこう必死だ。
祖母が晩年「あたしはあの世に近いからもういいのよ」となにかにつけて言っていた。90歳近いんならちょっと投げやりになるのもしかたないかもしれないけど、あの世に近くなくてもめんどくさくなると「もういいのよ」と思ってしまいがちである。テクノロジーの進化やコロナ禍などさまざまな要因でわたしたちは望むと望まないとにかかわらず、絶えずアップデートが必要なのに。

話は変わるけど、少し前に引っ越しをした。分譲マンションだったのでお金のことを考えれば売らずにとどまっている方が得策ではあるので、冬に寒いという悩みを抱えつつも一生住もうと思っていた。間取りと周辺環境はとても気に入っていたので。
だけど健康のことを考えてもう少しあったかい部屋に引っ越そうと思ったのだけど(実は冬になると毎年引っ越したくなってた)、引っ越すことが損につながると思ってなかなか決められずにいた。その決断を促したのがイラストレーターのこぐれひでこさんのインタビュー記事だった。

彼女が何年か前に都内から葉山だか逗子だかに引っ越されたのは知っていたが、そこが終の棲家なのかと思っていたら、いい物件があればまた引っ越すということを記事の中で言っていた。もう後期(高齢者)らいしのに、一つところにとどまらず、常に自分にとってよいものを探求することをやめないことに衝撃を受けた。
それに比べてわたしはこの歳ですでに守りに入ってしまっている。心地よくない部分に悶々としながらも住み続けるのってアホだなと思った。
損するかもしれないけどそれを最小限にするようななんらかの対策を取るとか、そもそも損と考えること自体が違うのかもしれないとか、とにかく考え方を変えた。

それが春先に入院していたときに起こったことで、手帳を見返すと4月4日に退院し、4月10日には不動産屋さんが見積もりに来ていたので、決心した後はずいぶんとすばやい動きだった。決めるまでに時間がかかるのだ。

このことはただの事例でしかないけど、人間は何歳になってもアップデートは必要だし、やり直しもできると思う。

失敗したらそこから学ぶ以外ないし、まだ学べるし、そもそもやってみなければ学ぶことはできない。勉強だって間違えたところはその後は逆によくできるようになるでしょ。
だからいい歳して無様なことになってもくよくよしないようにしたいし、それに「いい歳して」という枕詞を捨てたほうがいいのかもね。

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